学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

大正大学大学院比較文化専攻を修了し先輩の修士論文を紹介します。

カルチュラルスタディーズコースで学部を終え、2016年3月に大正大学大学院文学研究科比較文化専攻の博士課程前期を修了した先輩の論文抄録を紹介します。

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題名:「写真絵本『なおみ』における少女像とルイス・キャロルの描く少女の比較研究」

 本論文は、「少女」という表象と概念を軸に、写真とは何かという問いを追求するものである。分析対象としたのは、谷川俊太郎の詩、沢渡朔の写真からなる写真絵本『なおみ』である。その比較として、ルイス・キャロルによる少女の写真も分析した。比較の根拠は、沢渡がキャロルの写真から影響を受けたと明言していること、沢渡自身にも『アリス』と題された写真集が存在することである。
 1982年に『こどものとも310号』として発表され、対象年齢を5~6歳とする「無邪気な」絵本であった写真絵本『なおみ』が、ハードカヴァーの絵本として2007年に再出版されたことに注目し、少女写真における作家間の影響関係という伝統的比較研究の手法と表象をめぐる近年の理論を応用して、写真を撮影するという行為と少女の表象を読み解いた。19世紀の写真の黎明期に撮影されたキャロルの少女と、現代の写真家沢渡の写真を比較することにより、少女の概念と表象の変容と普遍性を考察し、切り取られた現実であるともいえる写真が、いかに自律性を獲得し、新たな表現媒体としての可能性を切り開くものであるか、被写体と撮影者のあいだの関係性がどのようなものであるかを論じた。
 論文の構成は以下のとおりである。
 第1章では少女の概念の出現を、先行研究をたどりながら、近代社会の成立にあわせて論じている。そのうえで、ルイス・キャロルの理想の少女像、『不思議の国のアリス』から読み取れる少女像を分析する。さらに、明治、大正、昭和と続く日本の近代における少女の概念の進展を、先行研究の文献を用いて、検証している。
 第2章から論文独自の視点での分析が始まり、写真絵本『なおみ』における少女像を、沢渡のエッセイなどを読みながら、分析している。そして沢渡の構図とキャロルの構図の類似性と独自性を考察する。
 第3章では、写真を撮影するということの現代的な意味を、セクシュアリティの問題を含めて考察する。子どもでもなく、大人でもない、少女という刹那的な瞬間を、写真がとらえようとするとき、そこに芸術性と卑猥性の問題が差し挟まれることは回避しがたいことであるといえる。また写真にとらえられた少女の姿や表情は、写真の撮影者のクリエイティブな創作であるといえるのか、それともモデルとなった少女自身に帰属するものであるといえるのか、写真を撮影するという行為に必然的に発生する撮影者による被写体への、被写体の承認を必要としない表現上の介入を論じている。
 結論として導き出されたのは、写真という表現媒体が少女を被写体とするとき、写真は撮影されるモデルと撮影しる表現者とのあいだに主張の葛藤を創出するということである。そのことによって、静的なものとして存在する写真は、その表現においてつねに動的であるという逆説を伴うことになる。

研究に使った資料の一部です

研究に使った資料の一部です



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絵や写真を論じるために、たくさんの文化研究の理論も読みました。読み応えのある修士論文を書き上げました。

先輩のあとに続いて、カルチュラルスタディーズコースの学生たち、あるいはコース外の、学外の方たちが比較文化専攻に関心をもってくださればと願っています。

                                          ♪伊藤淑子


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