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今日のセンセイ日本近世文学文学部 日本文学科田中 仁先生HITOSHI TANAKAFocus!本は普段はただ静かにそばにいるだけの存在ですが、ひとたび何かを問いかければ必ず答えてくれます。江戸時代中期から幕末明治期にかけての和歌や歌人について研究しています。 本の魅力について、私なりに思うところは、本を通して「人間」という存在を見つめることができるということです。また、自分が経験していないこと、経験できそうもないことを仮想体験させてくれるのも、本が持つ大きな魅力であると思います。 私の専門は、日本古典文学、とくに江戸時代の文学です。文学の扱うテーマは実にさまざまですが、なかでも江戸時代の文学はそれ以前の文学と比べてみてもとりわけ多彩です。人が生きていく上で誰もが抱えるであろう問題、例えば、老いや病、貧富の格差、欲望、道徳、自然災害など、挙げればきりがないのですが、それらのどのような問題に対しても考えるヒントを与えてくれるのが江戸時代の文学だと私は思っています。 なかなか先行きの見通しがきかない今の時代、私たちは時として悩んだり迷ったりしながら日々を生きています。そうした私たちの切実な問いかけに対して、何かしらの答えを与えてくれるような奥深さ、何が出てくるかわからない面白さ江戸時代の文学は、それ以前の文学が培ってきた知と教養をある時は受け継ぎ、ある時は打ち破りながら自らを形作ってきました。江戸時代の和歌も例外でなく、伝統を受け継ぎあるいは打ち破りながらさまざまに展開しました。江戸時代の和歌がどのような位置にあったのか、幕末・明治期の歌人たちはどのような態度で歌を詠んだのか、などに関心を持っています。が江戸時代の文学にはあります。 私の場合、江戸時代から明治時代までのさまざまな「和本」をできるかぎり収集しています。古書店や古書市で入手した和本の中には、時折、旧蔵者の「書き入れ」があったり、「蔵書印」が押されていたりします。『徒然草』の一節に“見ぬ世の人を友とす”という言葉がありますが、和本を読むときにはその本の著者とだけでなく旧蔵者とも向かい合っているような気持ちになります。かつて誰かが所蔵していた本が巡り巡って今は私の書棚にあるということ、そして、この本もいつか将来、私の手を離れて誰かの書棚に収まる日が来るということを想像すると、あたかもリレー選手がバトンの受け渡しをするように、自分はそれをほんの一時だけ預かっているに過ぎないのだということに気づかされるのです。 そう考えてみると、本というものは、時間も空間も超えて絶えず移動し続ける永遠の旅人のような存在だとも言えるのかもしれません。Profile1980年生。父はドラマー、母はかつて歌手という家庭に生まれ育つ。大学・大学院では日本古典文学(日本近世文学)を専攻。高校や高専、大学で教壇に立ったのち、2017年、本学日本文学科に着任。1児の父。FEATURE PAGE12TODAY'S TEACHER
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