キャンパスライフ

CAMPUS LIFE

協定留学生ブログ ミュンヘン大学(ドイツ)から

ドイツ人が持つ真面目さとは

ミュンヘンでの暮らしも、今月で3か月目となり、だいぶ余裕が生まれてきた。最近では、暮らしの中でのふとした瞬間にドイツ人の持つ「真面目さ」が目につく。この「真面目さというのは、決して「勤勉」という意味ではない。なぜなら、ドイツ人は私たち日本人が想像しているよりも、勤勉ではないからだ。ドイツに来る以前は、「ドイツ人は真面目に働き日本人と同じように勤勉である。」というイメージを持っていた。しかし、実際に生活する中で、彼らは「なるべく余計な仕事はしない」ということを大切にしているということに気が付いた。特にそれを感じたのは、銀行である。少し前に、ATMを利用し自分のクレジットカードが戻ってこなくなるという事態に陥った。(防犯上の事情からドイツの銀行では3回以上パスワードを間違えるとカードが戻ってこなくなる。)すぐに銀行へ行き「カードが戻ってこなくなったので、取り出してほしい」という旨を伝えたところ「数日間待ってほしい」と一言言われただけで返されてしまった。その後、一週間たっても何の音沙汰もないので、再び銀行を訪れると「機械からお金を取り出すのは2週間に一回だから。」ときっぱり言われ返されてしまった。決まっているのであれば仕方のないことであるが、日本であれば臨機応変に別の対応をしてくれたのではないかと考えてしまった。決まりはしっかりと守り、やらなければならないことはやるが、やらなくていいことに対しては「Nein」というのが、ドイツ人の真面目さである。しかし、裏を返せば、「決められた以上のことはしない」というようにも見受けられる。日本では、「お客様のため」を第一に考えて時には自分の仕事ではなくとも、仕事を請け負う場合もある。しかし、ドイツでは、あくまでも「自分の仕事は自分の仕事」というように割り切っている。もちろんすべてのドイツ人がこうであるとは言い切れないが、今まで自分が抱いてきた「ドイツ人の持つ真面目さ」のイメージが塗り換えられた出来事だった。また、ドイツ人と日本人の持つ勤勉さや、真面目さの価値観の違いについても興味が湧いた。
(追記:仕事がめんどくさくて、少し適当にあしらわれる場合もある。)



ドイツ語翻訳について

現在、私は日本語をドイツ語へと翻訳をする授業を受講しているのだが、日本語の表現について新たな発見がたくさんある。ドイツ人の学生と一緒に学習したときに「日本語で『~してくれた』という感謝の気持ちを含んだこの表現をドイツ語では表現しきれない。」と言っていた。そう言われてみると、必ずしもすべて一言一句翻訳しきるということは不可能であり、それぞれの言語でしか表現することのできない意味合いがあるということに気づかされた。ただ、書かれている文章を翻訳するのではなく、筆者がどのようにこの文章を表現しているのか、伝えたいことは何なのかまで考える必要があるのだ。また、それを行うためには膨大な語彙が必要になる。しかし、現時点での自分自身の語彙力はまだまだ未熟であり、常に授業内で語彙力不足を痛感している。しかし、その気持ちこそ自分を奮い立たる力になる。語学の学習というのは、終わりが見えずそして孤独である。その一方で、終わりが見えないからこそさらに高いところを目指したいという気持ちが湧いてくる。常にドイツ語に触れていられる環境に感謝しながら、引きつづき多くのことを学んでいきたいと思う。



南ドイツの方言について

街中を歩いていると、ドイツの若者たちが「Servus(ゼアブス)」とあいさつを交わしているのを目にする。また、駅のパン屋さんなどに立ち寄ると「Gruess Gott(グリュスゴット)」とあいさつされることがある。これはすべて南ドイツ(バイエルン)の方言であり、北ドイツでは話されない言葉なのである。友人曰く、この南ドイツ式あいさつには法則があるらしく、自分よりも目下のまたは親しい間柄の相手に会ったときは「Servus」と言い、逆に自分よりも目上の相手に会った時には「Gruess Gott」と言う。このように、ドイツでも日本と同じように目上の人に対する敬意を示す文化が言葉に表れているというように私は感じる。(英語は誰にでもYouを使うことができるのに対して、ドイツ語はDuとSie(敬称)を使い分けることも一例として挙げられるだろう。)また、南ドイツの方言は、「バイリッシュ」という言語として一昔前までは、大学で学ぶことができた。それほどまでに、バイリッシュは標準のドイツ語と異なり日本語で例えるならば、標準語とウチナーグチ(沖縄口)ぐらいの違いがある。そのため、バイエルン州には「バイリッシュ検定」があり、私も問題を見せてもらったがちっとも理解することが出来なかった。方言は、その地方の人柄や文化が顕著に表れるものであり、その地の文化を周知するためには方言に触れる機会を持つことが大切ではないかと思った。(Ayame)