僧侶が集団生活を送る場は寺院ですが、特に修学を目的とした生活の場を学寮といいます。広い意味では大正大学もまた学寮といえるでしょう。その大正大学にはかつて寄宿舎としての学生寮が存在しました。古くは宗教大学の学寮であった明照学舎。この学寮は小石川の伝通院近くにありましたが、明治41年(1908)、宗教大学の移転に伴い西巣鴨に新設されました。
そして、学寮は次のように変遷していきます。昭和33年(1958)に新設された男子寮(1981年閉寮)。この学寮は同35年刊の『学校案内 大学編』には「近代的設備の学寮」と紹介されています。同40年(1965)には女子寮として光琳寮(1996年閉寮)。また埼玉校舎が開設されると、同53年(1978)に埼玉男子寮として道心寮(1998年閉寮)が、翌年に埼玉女子寮として紫雲寮(1993年閉寮)が新設されました。
また学外の学寮として、第11代学長大村桂厳が主宰した勢至学寮、別科仏教専修天台学コースの学生を対象とした谷中天王寺学寮、豊山学寮(練馬区の長命寺内)、智山学寮(港区の真福寺内)、千日谷文庫寮(女子寮。新宿区の一行院内)などがありました。
巣鴨男子寮の舎監であった武智孝英は多くの寮生に慕われ、37回忌法要が大学礼拝堂で営まれています。また苦楽を分かち、寝食を共にした学生同士の結びつきは強く、令和6年時点で大正大学の任意制の登録団体「鴨台倶楽部」には7つの学寮系団体が承認されています。
上記の学寮は、現在はすでに存在しませんが、大正大学の「失われた伝統」といえるでしょう。