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【卒業生インタビューシリーズ】田邊孝顕さん:ハワイで開教使として奮闘した4年半 ―異文化交流のリアル。すべては「掛け算」でできていた―

【卒業生インタビューシリーズ】では、海外や国際的なフィールドで活躍されている本学の卒業生の方々にインタビューを実施し、現地でのリアルな体験談や、世界へ踏み出すためのヒントを伺います。

今回はハワイで活躍されていた田邊孝顕さんにお話を伺いました!


「ハワイで開教使として奮闘した4年半―異文化交流のリアル。すべては「掛け算」でできていた―」

【プロフィール】 田邊 孝顕(たなべ たかあき)さん

大正大学 仏教学部 仏教学科宗学コース 浄土学専攻 卒業。

在学中から海外寺院への赴任を志す。卒業後は実家の寺院等での勤務を経て、202110月から20262月まで開教使としてハワイ浄土宗別院に赴任し、オアフ島とカウアイ島の二拠点で活動。
現在はご実家の寺院で副住職を務める傍ら、友人と立ち上げた地域創生団体で東京都北区赤羽と宮城県塩釜市浦戸諸島での事業にも尽力している。

ハワイでの44ヶ月にわたる赴任生活を経て、現在日本で活躍される卒業生の田邊孝顕さん。実は筆者が学生時代にハワイ実習へ赴いた際、現地で大変お世話になった方でもあります。今回は、言葉や文化の壁に直面しながらも、現地コミュニティに果敢に飛び込んだ田邊さんのリアルな体験談と、後輩たちへの熱いメッセージを伺いました。

 

──まずは、ハワイへ赴任された経緯についてお聞かせください。海外の寺院を目指されたきっかけは何だったのでしょうか。

田邊さん(以下、田邊): 幼い頃から、アメリカに留学していた母の話を聞いて育ち、海外に対する漠然とした憧れを抱いていました。決定的な転機となったのは、大学3年生の時です。ハワイから大正大学へいらっしゃった僧侶の方とお話しする機会に恵まれ、ハワイの心にゆとりのある暮らしや人柄の温かさ、みんなと一緒に何かを成し遂げる姿勢に強く惹かれました。そこから「ハワイの寺院へ赴任したい」という目標が明確になったのです。

 

──念願のハワイ生活はいかがでしたか? 驚いたことや苦労されたこともあったかと思います。

田邊: ハワイは気候も人も温かく、日系人も多いため日本食も手に入りやすいたいへん恵まれた環境でした。ただし物価は非常に高く、もやしや納豆が約3ドルもしたのは驚きました。

また、ハワイに到着し、迎えに来てくれた上司の車に乗ってわずか3分後に「オアフ島とカウアイ島を一か月ごとに行き来する二拠点生活をしていただきます」と告げられたのも衝撃的でしたね。先輩と交代で入れ替わる形で、偶数月はオアフ島・奇数月はカウアイ島といった感じでした。特にカウアイ島は日本人がほとんどいない環境でしたから、英語で乗り越えるしかなくて苦労しました。ですがありがたいことに、オアフ島・カウアイ島ともに現地の信者さんがとても優しく、困った時に何度も助けてくださいました。時においしいお弁当やテイクアウトの差し入れまでいただいて、どれもおいしかったので残さず食べていたら赴任中に体重が激増し、一時期は100キロを超えてしまいました(笑)。

またハワイとはいえアメリカですから、「夜はたいへん危険なので一人歩きをしないほうがいいよ」と上司から何度も耳にしました。確かに夜になった途端に治安が悪くなったので、防犯に対する意識の差も肌で感じました。幸い車を貸与されていたので夜に歩くことは滅多にありませんでしたが。

 

──語学の面でも、やはり壁を感じることはありましたか。

田邊: 赴任して最初の一年間は、英語が全く話せずに本当に苦労の連続でした。確かに学生時代に英検2級は取得していたものの、いざ現地に立つと、机上の勉強と実践は全く別物なのだと思い知らされました。電話対応で言葉に詰まって先方を怒らせてしまったり、スタッフからも「英語が話せないなら日本に帰ったら?」と厳しいお言葉を受けたこともありました。    

言葉も通じず、友人もいない孤独の中で心が折れそうになった時は、アラモアナビーチへよく足を運んでいました。ハワイの先住民の哲学に「海はあらゆるものを浄化してくれる」がありますが、私自身も海風を浴び、潮の音を聞くことで、幾度となく鬱憤とした心を浄化してもらいました。
 

──その大きな壁を、どのようにして乗り越えていかれたのでしょうか。

田邊: 「現地で友達を作る、現地コミュニティに飛び込むこと」が糸口となりました。とはいえ赴任して一年間は友達がいなかったんです。「ただただ待っていても友達はできない」と悟り、居ても立っても居られなかった私は、2022年にオアフ島のハワイ弓道会に飛び込みました。高校時代に弓道の経験があったからです。アポ無しでの訪問で驚かれましたが、ありがたいことに皆さんから温かく迎え入れていただけたんです。弓道を楽しみつつ、メンバーとの会話を通じて英語力を鍛えてもらったと思っています。日本語が堪能なメンバーも多く、彼らにもたくさん英語について質問し、時に彼らの口癖もコピーしていました。

2024年になると弓道会のメンバーの一人から「流鏑馬(やぶさめ)をやりませんか?」と誘われました。胸が高鳴る思いで「やります!」と告げた反面、これまで馬に触れたことがありませんでした。はじめは馬の世話から学ぼうと、もう一つの赴任先だったカウアイ島で馬牧場のボランティアを始めました。カウアイ島でもほとんど友達がいなかったのと、ちょうどボランティア募集もかかっていたのでタイミングがバッチリでした。ところが馬牧場は弓道会と真逆で、メンバーのほぼ全員が白人の方、日本語話者は一人もいませんでした。馬の乗り方、引っ張り方、毛繕い、蹄の手入れ、餌やりから鞍の扱い方全てが未経験。それら全てを英語で乗り越えなくてはいけない環境でした。だからこそ「彼らと仲良くなり、そして馬を扱うためにもっと英会話学ばなきゃ!」と意欲的になれました。時にメンバーから「小学生に伝えるような簡単な言葉でゆっくり話すね!」と理解を示してくださった方もいました。

余談ですが、巡り巡って流鏑馬の団体の合宿がサンフランシスコであり、そこでも多くの出会いに恵まれました。中には日本のみならず、フロリダやオーストラリアから来た人もいて、さらに会話の幅が広がったと思います。

友達を作ったことで、巡り巡って心の豊かさにもつながりました。もし現地コミュニティに入って友達を作らなかったら、間違いなく言語や心身の壁は乗り越えられませんでした。 

 

────私がお邪魔した際、食事会に鬼の格好をした田邊さんが登場し、豆まきの豆が「ピーナッツ」だったことに大変驚かされました。異文化交流のリアルを感じた、印象的なエピソードはありますか。

田邊: 2月の節分の時でしたね、私がパンパンの青鬼のコスチュームを着て登場したときの(笑)。上司の采配で「ピーナッツ」だったんです。大豆が手に入りづらかったのもあると思いますが、現地の文化にマッチしててよかったと思ってます。ちなみにあの鬼コスチュームを見た現地の女の子を怖がらせちゃいましたね(汗)、どこ行っても鬼は怖いと感じられるんだな・・・と思い知りました。

またハワイのお寺では日本人をルーツに持つ方々のみならず、人種問わず全ての方々に日本の文化を楽しんでもらおうと、定期的に日本行事を開催しています。3月にお雛様を飾り、5月は鯉のぼり、8月は盆踊り、12月に餅を作ったりするなど、年間を通して様々な日本文化の発信を行っていました。

それとアメリカの仏教寺院は私たちのもの含め、横長の椅子が並ぶチャペルのような様式になっていることが多いです。私たち日本仏教が現地の文化に合わせて共存すべく、柔軟に進化したんだなと感じました。

お葬式に対する価値観の違いも衝撃的でした。悲しみの場でありながらも、「家族が全米から集う機会」とライトに捉えていた方もいたと思います。もちろん出席者全員がたまらず大泣きした場にも立ち合ったことがあるのでその限りではありません。ただ「人はいつか亡くなる運命にある」と最初からお考えの方が多い肌感覚はありました。

 

──大正大学での学びは、ご自身のキャリアやハワイでの活動にどのように活きていますか。

田邊: 大きく二つの経験が活きています。一つは、野村島先生に誘っていただいた「英会話サロン」です。それまで机上の勉強しかしてこなかった私にとって、知っている単語をとりあえず口に出してみるという「初のアウトプットの場」を与えていただきました。 これをきっかけにアウトプットの重要性に気が付きました。

もう一つは、宮城県塩釜市浦戸諸島での地域創生フィールドワーク授業です。オープン科目でしたので地域創生学部でない私でも履修できました。この授業を通じて、「地域の方々と関わること」「相手が求めているもの、ことを考えること」の重要性を学びました。この土台があったからこそ、ハワイの全く新しいコミュニティにも臆することなく飛び込めたのだと実感しています。

 

──現在は、日本でどのような活動をされているのでしょうか。

田邊: 実家のお寺で副住職を務めながら、地域創生事業にも携わっています。大学卒業前に友人と立ち上げた非営利の地域創生団体の活動に再合流した感じです。一つが東京都北区赤羽のお寺をお借りして、お年寄りの孤立死を防ぐためのコミュニティづくりを行っています。今では赤羽地域の方々・東洋大学の学生さんと協力して共に成長しています。もう一つが大学時代にご縁のあった宮城県塩釜市浦戸諸島です。今でも私たちで独自に活動を続け、新たなプロジェクトも進めているところです。

また流鏑馬の射手を目指して稽古も重ねています。

 

── 海外への一歩を踏み出せずにいる学生や、英語に苦手意識を持つ学生へ向けて、メッセージをお願いいたします。

田邊: 今日は学生の皆さんにお伝えしたいことを、大きく4つ用意してきました。

1つ目は、「どんどん外国人と接していこう」ということです。できれば現地でコミュニティで友人を作れたらベストなんですが、日本に訪れる外国人向けの観光ボランティアに挑戦してもいいと思います。今はSNSの発達で世界中の人たちとつながれる便利な時代にもなりました。写真好き・車好き・プログラミング好きといった共通の趣味を持つコミュニティがFacebookDiscordにはありますので、まずはそういった場に入り、英語に触れ続ける機会を作ってみてください。

2つ目は、「どんどん失敗しよう」ということです。 原則として、アウトプットに失敗はつきものです。私自身、YouTuberのタロサックさんの書籍『バカでも英語がペラペラ! 勉強法 「偏差値38」からの英会話上達メソッド(ダイヤモンド社)』にあった一文に強く共感しています。「アウトプットを躊躇うのは間違うことを気にしすぎるから。喜んで失敗するようにマインドを切り替えてほしい」
相手の「え?ん?」って反応を受けると失敗したー!って悔しくて恥ずかしい思いをするでしょう。私は何度もそのような反応をされましたが、それは自分の英語の使い方が間違ってたんだなと相手が教えてくれたサインだと気が付きました。それに拙い英語を笑ってくる人は意外といませんし、そもそも誰も最初から英語を完璧に話せないのですから。英語の「え?ん?」を怖がらず、どんどん失敗してほしいですね。

3つ目は、「会話を楽しむ思考を持つ」ことです。 学生時代、苦手な教科を「覚えなきゃ、やらなきゃ」と思うと苦痛だったように、英語も「完璧にやらなきゃ」と思うと途端に苦しくなります。英会話の目的は、一言一句完璧な英語を話すことより、会話を楽しむことじゃないですか?自分の単語力が稚拙で限定的でも相手に想いを伝え、「それでもこの会話を楽しむんだ!」という思考に切り替えてから、不思議と英語がスラスラと出てくるようになった気がします。

4つ目は、「中学レベルの英語で十分だ」ということです。 旅行でも赴任でも、大学レベルの学術的な英語は必要ありません。ハワイに4年いて気づいたのですが、現地のアメリカ人も日常会話では難しい言葉をほとんど使っていません。speakeatcandoといった中学で習う英単語の組み合わせで十分にコミュニケーションが成り立ちますし、逆に難解な単語を使うと伝わらないことすらあります。だから、今の英語力にビビる必要は全くありません。

 

──最後に、これから海外への挑戦を迷っている方へ、もう一言いただけますか。

田邊: 海外に行けば、日本にいれば得られたであろう経験ができなくなります。出世、転職、公私問わずの出会い、結婚や子育て――そういったものと引き換えに、私たちは海外での日々を選んでいるとも言えます。

でも私はこう思うようにしています。「日本でできなかった代わりに、海外だからこそできた経験がある」と。私の場合で言えば、アメリカで働かせていただいたこと、弓道会や馬牧場の方々と出会い、拙い英語でも語り合えたこと。来たばかりの時は正直、笑う余裕なんてなく、悔しくて情けない思いばかりでした。でも今振り返れば「あの頃の苦労があったおかげ」だと、心から思えます。

全ての経験、ご縁は掛け算でした。
英語ができなくて友達もいないから現地コミュニティの弓道会に入った ×みんなのおかげで英会話が少しずつできるようになった × 弓道会のメンバーから流鏑馬に誘われた × 馬牧場でボランティアを始めた ×サンフランシスコに赴いた = 多くの出会いに恵まれて今がある。お寺や地域創生をより盛り上げる活動だけでなく、流鏑馬射手になるという新しい目標にも出会えました。

これからの長い人生を想像したとき、「海外で壁にぶつかりながらも、あんなに刺激的で面白い経験をしたな」と笑って振り返れる一幕があってもいいと思うんです。海外に行けば、日本の当たり前が通用せず、悔しい思いやもどかしさ、言葉が伝わらない歯がゆさを何度も味わうでしょう。でも、若いうちに既存の価値観を壊される経験は、人生をより一層豊かなものにしてくれます。苦労したことほど、後から「最高の思い出」になる。それは私が身をもって知ったことです。皆さんの人生にとっても、味わい深いスパイスになってくれるはずです。

「海外に行って本当によかった」、そう思える未来になることをお祈りしています!

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