地域貢献・国際交流

深める地域との絆、広がる国際交流

協定留学生ブログ ミュンヘン大学(ドイツ)から

留学が終わり日本に帰ってきました

協定留学期間最後の報告がやってまいりました。
ミュンヘン大学での授業を終え、先月に続き様々な国を訪れたようです。
また外国語のとらえ方に関するマインドなども記してくれており、大変読みごたえがあります!

(国際担当T)
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いよいよ留学が終わり日本に帰ってきてこのブログを書いています。

最後の月は、イタリアのベネツィア、フランスのコルマール、チェコのプラハ、ポーランドのワルシャワ、トルコのイスタンブールとカッパドキア、ドイツのケーニヒス湖、そしてオマーンのマスカットに行ってきました。

イタリアは何度か行っており、ベネツィアを訪れる機会はこれまでもありましたが、暑い夏に行って美しい運河を眺めながら本場のイタリアジェラートを食べたいという願望があり、7月まで大事に取っておきました。そして、念願かなって7月に赴きましたが、天気にも恵まれ私が想像していた以上に美しい景色を拝むことができました。

まず、ベネツィアに到着したら水上バス一日乗車券を購入して、シチリア島に向かいました。シチリア島はカラフルな建物が有名で、島中がたくさんの色に包まれており虹のような島でした。シチリア島はネットで調べて見つけた場所なのですが、載っている情報では時々美しい一部分だけを見せて、赴いたら美しいのはその一部分のみでがっかりするということがあります。しかし、シチリア島は本当にすべての建物がカラフルで、とてもかわいらしい島でした。


思い出に、ベネツィアグラスで作られた赤色の指輪を購入しました。この指輪も色のバリエーションが豊富で、シチリア島のお土産にぴったりだと思い選びました。私はこの一年間で多くの都市を訪れましたが、それぞれの都市でアクセサリーを買うようにしていました。アクセサリーは小さいため持ち運びやすく、さらに身に着けることで行った場所での思い出を定期的に思い返すことができます。そもそもアクセサリー集めが好きなので、それぞれの都市の特色が出たアクセサリー集めを楽しんでいました。そのあとは、ベネツィアに戻ってベネツィア散策をしました。

ベネツィア散策の中で念願のジェラートと海鮮フライドミックスを食べましたが、どちらも絶品でさすが美食の国だと思いました。

風景はどこをとっても美しく、長時間歩いたのにもかかわらず疲れをあまり感じませんでした。歩きながら見るベネツィアの風景も美しいですが、【水の都】という別称がある通り、船から見る風景はさらに美しく、水上バスの一日券は移動のためというよりも風景を楽しむために利用していました。

海鮮フライドミックス

ベネツィアは運河が通る都市であり、道が非常に細いため日陰の割合も高く、夏の割には涼しく過ごすことができるため、夏に行って大正解の場所でした。

フランスのコルマールは「ハウルの動く城」と「美女と野獣」のモデルになった街であり、おとぎ話の世界に入ったのかと思えるほどメルヘンでかわいい街です。街の中にはハウルの動く城の主人公であるハウルとソフィが空を飛ぶシーンに映っている建物や、美女と野獣の主人公であるベルが歌う噴水などがあります。

ハウルの動く城に実際に描かれている建物

カラフルな建物プチベニス

コルマールもカラフルな建物がたくさんあるのですが、ベネツィアとは違いパステルカラーのような薄い色味なのでまた違った魅力があります。


フランスといえばマカロンという印象が自分の中で強く、パリで食べれなかったので、コルマールで試してみることにしました。お店に入ってマカロンを眺めていると店員さんがフランス語で話しかけてきました。私が知っているフランス語はボンジュールとメルシーのみだったので、挨拶したあとに英語で注文したのですが、店員さんは私の英語を理解したうえでフランス語で返答してきました。

もともと、フランス人は母語へのプライドが高いという噂は聞いていたので、噂が本当であったことに感動しました。ちなみに、パリは世界一の観光地ということもあり、スーパー以外は英語で対応してくれました。店員さんも意地悪で英語を話してくれないわけではなく、ただただフランス語への誇りがあるのだろうなという感じで、にこやかに対応してくださいました。よく考えれば、その国に赴いているのだから少しでも話そうとする姿勢を見せるのが礼儀でもあるのかなと考えさせられる経験でもありました。

マカロンはピスタチオとレモンを購入しました。日本でもマカロンをよく食べるほうではないため、違いはわかりませんが、とにかく美味しかったです(特にピスタチオ)。

ピスタチオとレモンのマカロン


チェコのプラハは行った人の多くが大絶賛していたため、気になっていた場所でした。
私は天気運がよく、観光する日は晴れていることが多いのですがこの日は雷雨予定でした。観光における天気はとても重要で、美しい風景も晴れか曇りかでは受ける印象が大きく異なるため、雷雨と知ったときはショックでした。
天気予報では午後から雷雨予定だったため、午前のうちにプラハ城や天文時計などの外の観光地を見終えて、午後からはミュシャ美術館など室内の観光地を楽しむことにしました。

結局雨が降らなかった午後の空とダンシングハウス


結局雨は降らず、むしろ午後につれて晴れていくため、傘を持って行って損をしました。むしろ午前が曇りで午後が晴れだったので午後に外の観光地を回れば、もっと美しい風景を見ることができたのにとも思いました。しかし、自分の天気運の良さが確信に変わった気がして、少し誇らしい日でもありました。

お昼はチェコ人の友達が教えてくれた、チェコ(スロヴァキア)の郷土料理「スマジェニースィール」を食べました。これはチーズに衣をつけて油で揚げる料理で、チーズの弾力が強く絶品でした。またデザートにはトルデルニークというスイーツにイチゴとアイスクリームがトッピングされたものを食べたのですが、ボリューミーで激甘なため二人で一つにすればよかったなと思いました。


ワルシャワは半年前にワルシャワに留学していた友達におすすめを聞いて、約半日で観光しました。
というのも、トルコのイスタンブールに行くための乗り換えでワルシャワを観光したので、あまり時間がありませんでしたが、行く前におすすめを聞いていたためスムーズに楽しむことができました。


文化科学宮殿やワルシャワ王宮、バルバカンなど街歩きが主でしたが、一番感動したのはピエロギという郷土料理でした。ピエロギは様々な具材を皮で包んで揚げる、または茹でる餃子のような料理で、私は店員さんのおすすめで揚げたピエロギを食べました。上に付けるソースも特徴的で私は店員さんおすすめのヨーグルトソースを試しました。食べる前は美味しいのか少し疑っていたのですが、揚げたてのカリカリ触感とヨーグルトソースの相性がよく、とても美味しかったです。

ピエロギ



ワルシャワで乗り換えてイスタンブールに到着した私は、夏休みに入ったタイミングで遊びに来てくれた大学の友達と合流しました。

感動の再会を果たして最初に向かったのはブルーモスクとアヤソフィアです。この二つの巨大なモスクは向かい合っており、前を見ても後ろを見ても美しいモスクを見ることができて至福の時間でした。

そして私たちはモスクを眺めながらトルコアイスを食べることにしました。本場のトルコアイスは種類が豊富で、バニラ、チョコ、キャラメル、イチゴの4種類がありました。店員さんはやはり陽気な方で、トルコアイスと言えばのパフォーマンスをしてくれました。味は日本の物より少し塩味があってとても美味しかったです。

髪の毛を隠すためのスカーフを借り、ブルーモスクの中に入ったのですが、近くで見るブルーモスクは一段と美しく、見とれてしまいました。アヤソフィアも何年か前までは無料で入ることができたのですが、オーバーツーリズムにより本当の目的であるお祈りに支障をきたすという理由で、入場料がかかるようになってしまいました(もちろんお祈りの方は入場がかかりません)。

ブルーモスク


その後はモスクのすぐ近くにある地下宮殿に向かいました。この地下宮殿はもともと貯水池として利用されていた施設だったのですが、その美しさからこのような名前が付いたそうです。中は貯水池としてこんなに美しくする必要があったのかと思ってしまうほど、美しく豪華でした。
また、照明に工夫がされており3タイプの地下宮殿を楽しむことができました。一つ目はナチュラルな色、二つ目はオレンジ、三つ目は緑で、私はオレンジの照明が神秘的で好みでした。

地下宮殿という名の貯水池


グランドバザールという大きな市場にも行きました。お金を換金していなかったので、買う気はなくウィンドウショッピングのつもりで行ったのですが、押し売りがしつこくて見ると捕まるので、ゆっくりと見ることはできませんでした。
何も買うことなく次はガラタ橋に向かいました。ガラタ橋は2階建ての大きな橋で下はお店がにぎわう商店街のようになっていて、上が道路になっています。ガラタ橋付近では鯖サンドが有名なので食べたのですが、とても大きい鯖が一匹分入っていました。久しぶりの焼き魚に感動し、私の舌は完全に日本人だなと思いました。ただ、鯖を焼いているキッチンの部分が船になっており、ありえないほどに波に揺られていたので心配になりました。

鯖サンド

揺れまくりのキッチン


カッパドキアへの出発時間が近づいていたので、その後空港に向かいました。

カッパドキアには夜8時ごろ到着予定だったのですが、飛行機が乱気流に巻き込まれた関係で、1時間遅れての到着になりました。今回の乱気流は飛行機が揺れるというわけではなく、着陸ができないという状態にあり、着陸を試みては危険と判断して再上昇するということが4回ほどありました。急上昇したり降下したりしたので、三半規管の弱い友達は酔いと恐怖で気分が悪くなっていました。5回目の挑戦で着陸に成功した時は飛行機内で拍手が起こり感動を乗客みんなで分かち合いました。

その後、荒々しい運転のシャトルバスで洞窟ホテルに向かいました。洞窟ホテルの頂上はアラビアンな絨毯とクッションでくつろげるようなスペースになっており、そこから見える夜景がとても美しかったです。カッパドキアは独特な形の岩山と、その無数の岩山を眺めることができる気球が有名な観光地です。気球は天候により上がるかどうかは運次第なので、気球の予約はせずラブバレーという有名な眺望スポットから気球を眺めることにしました。

気球は早朝に飛ぶと聞いていたので、私たちは朝5時に散歩がてらラブバレーに向かうことにしました。ホテルを出ようとするとホテル前に野良の大型犬3匹が戯れていました。最初は少し警戒していたのですが、みんなとても人懐っこくすぐに仲良くなりました。ラブバレーまでは片道1時間ほど歩くのですが、この犬たちは仲間を増やしながら最後までついてきました。写真を撮るために止まれば後ろで待っていて、車が来ると吠えるなど、まるで頼もしい護衛たちを連れているようでした。この日は、朝は少し曇り気味で結局気球は飛ばなかったのですが、美しい景色と犬たちのおかげで全く悲しくありませんでした。

犬たちと朝の散歩

ホテルに犬たちと戻り、私たちは朝ごはんを済ませました。朝食後、チェックアウトをしてもう一度街歩きのために外に出たのですが、私たちはまた匹の犬たちと再会しました。今度はシェパードの1匹だけが付いてきて、買い物や食事、観光まなどのすべての予定を夜まで一緒に過ごしました。犬が入れないレストランに入ったときは、私たちが出てくるまでずっと外で待っていて、かわいいと思いつつ暑い中待たせているのが申し訳なくなりました。

懐きすぎてるシェパードのシェパ

そのため、私たちはシェパ(勝手に名付けた愛称)と一緒に行動するにはどうすればよいのかを一番に考え、どんなに遠くても徒歩で行って、シェパが暑がっていたらカフェに入って休憩し、日陰を見つければ休憩するという日程を過ごしました。あんなに暑い中徒歩で観光する人はいないらしく、道中はほとんど人と出会いませんでした。シェパとこんなに仲良くなったため最後のお別れはさみしすぎて、また会いに来ようと決心しました。次来るときは一泊ではなくもっと長く滞在したいです(気球のリベンジも含めて)。

カッパドキアの岩山


カッパドキアの後はミュンヘンに戻り一週間ほど過ごしたのですが、ミュンヘンの話は最後にしたいと思います。


ドイツ国内最後の長距離旅行はケーニヒス湖でした。私は留学に来てからずっとアニメのハイジに出てくるようなTheスイス!という景色を見たいと思っていましたが、スイスは物価が高いのと行きたい場所へのバスが出ていないという理由でずっと先延ばしにしていました。

そんな中で見つけたのがケーニヒス湖です。ケーニヒス湖の景色は完全に私の理想と一致していたので、「ここでいいか」と思いました。というのも、私が想像するスイスっぽい景色というのはアルプス山脈に広がる自然豊かな山々だったのですが、そもそもアルプス山脈は、スイス、オーストリア、フランス(南東の一部)、ドイツ(南の一部)にかけて広がるとても大きな山脈なので、ドイツの南に向かえば、いわゆる「スイスっぽい」景色は見放題なわけです。

中でも特にケーニヒス湖は、美しい湖とアルプス山脈のコラボレーションが見られる、ドイツで人気の観光地だったので行くことに決めました。まず、ケーニヒス湖に着いたら湖を渡るための船のチケットを買いました。船に乗り込んだら美しい景観を眺めながらゆっくりと進んで行くのですが、この船に使われているモーターは環境に配慮した電気モーターのため、船らしい揺れは感じられず氷の上を滑っているのかと勘違いしてしまうほどに振動がありませんでした。そのため、三半規管の弱い友達も全く酔わずに1時間ほど船に乗れていました。その後、オーバー湖があるところで降り、ハイキングを楽しみました。周りをアルプス山脈が囲んでいるため360度美しい景色が広がっており、空気もおいしくて最高に贅沢なハイキングでした。

ケーニヒス湖とアルプス山脈

オーバー湖とアルプス山脈


マスカットは日本に帰国する際の乗り換え地で、せっかくなら観光しようと思い一日滞在することにしました。マスカット空港から市内に行くには、バス運賃(現金)が必要だったのでリアルというオマーンの通貨に少しだけ換金しました。これまでたくさん旅行をしてきて換金したのはエジプトとオマーンだけだったのですが、換金の際に引かれる手数料の多さにいつも泣きそうになります。

ブルーな気持ちを切り替えてバス乗り場に行くために外に出たのですが、湿度の高さにびっくりしてしまいました。日本の湿度もすごいですが、オマーンはレベルが違い、ミストを直接浴びているのかと勘違いしてしまうほどの湿度で、気温の高さと日照りの強さも相まって外にいるのが耐えられないほどでした。マスカット空港に着いた際になぜこんなに室内が寒いのかと疑問を感じていましたが、外の暑さを知ってなるほどと思いました。

到着したバスに乗って最初に世界で二番目に豪華と言われているスルターンカブースグランドモスクに行きました(一番はアブダビのシェイクザーイドグランドモスクと言われています)。半袖で行ったのですが、中に入ろうとすると何か羽織るものはないかと聞かれました。持ってないと答えると3リアルで肌と髪を隠すアバヤとスカーフを借りる必要があると言われました。ちなみに、上着を持っていたらスカーフのみで大丈夫なので、2リアルでスカーフを買うという選択肢もあります。

スルターンカブースグランドモスク


ピンクのアバヤとピンクのスカーフのフル装備で敷地内に入ると金と白に輝くモスクを一望できる庭園が広がっていました。エジプトやトルコでもいくつかモスクを見て来ましたが、こんなにも庭園が美しく整備されているモスクは初めてでした。庭園を進んで最初に見える建物に入ると小さなシャンデリアが並ぶ美しい祈祷室がありました。この祈祷室は女性用の建物でもちろん美しかったのですが、なんといっても美しかったのは男性用の祈祷室です。水色の美しい天井に豪華な金色の大きなシャンデリアが吊り下がっていて二番目に豪華なモスクと言われている理由がわかりました。

アバヤとスカーフ

豪華なシャンデリア


その後、マトラフォートという要塞に行ったのですが、上に行くには階段を上る必要があり、暑い中上る気にはなれず下から眺めるだけで満足してしまいました。

諦めたマトラフォート


涼みたい一心で昼ごはんのためのレストランを探しました。目をつけていたレストランが見つからなかったため、目に入った地元の方が集まっているレストランに入ることにしました。マスカットは海が面している地域なので魚料理が有名で、ローカルレストランであれば安くて1リアルほどで食べれると調べてわかっていたので、1リアルの魚料理を目標にしていました。しかし、レストランの店員さんは魚のショーケースからウツボを出してきて「これを使って6リアルで料理作ってあげる」と言ってきました。ウツボも珍しく興味があったのですが、目標の値段と比べると予算越えだったので「今3リアルしか持ってなくて、帰りのバスに1リアル必要だから二人で2リアルで食べたい」と交渉したら、陽気な店員さんがしょうがないなという表情をしながら違う魚を使った料理を2リアルで作ってくれました。

届いた魚料理はとても美味しく、なんと2リアルだったのにご飯とサラダもついていました。二人にしては少し量が多かったのですが、おいしいのと残さず食べたいという意地が働き、米の一粒も残さずに食べきったら、よほどうれしかったのか店員さんがお米のお代わりを勧めてくれました。さすがにお腹がいっぱいだったので断ったのですが、そのほかにも冷房が一番当たる席に案内してくれたり、頻繁に美味しいか聞きに来てくれたりとオマーンの方たちの親切な接客に心が温まる経験でした。

2リアルの魚料理


お腹いっぱいになり十分涼めたので、次はマトラスークというバザールに行きました。マスカットの中でも大きなバザールと聞いていたのですが、開いているお店は少なくシャッター商店街のような暗い雰囲気が漂っていました。思えば観光客の方とすれ違う機会がほとんどなく、あまり観光地として繁盛している都市ではない印象でした。しかし、これまでいくつかの中東の国々を訪れ、中東の雰囲気が大好きになった私は数少ないお店の中でスカーフを買うことにしました。

私の狙いは1リアルのスカーフをゲットすることで、店員さんに頼むと悩みながらもスカーフを選ばせてくれました。これまで何度か値段交渉をしてきて学んだのは、値段交渉をするうえで重要なのは自分の中で出せる額というのを事前に決めておくということです。その後地元のスーパーでオマーンならではの商品に触れあった後、空港に向かいました。
「せっかくなら観光しよう」くらいのテンションで行った国がこんなにも楽しいとは思わず、思いがけず素敵な体験ができた観光でした。

 

最後に一年間お世話になったミュンヘンでの思い出と、留学生活を振り返って学んだこと・感じたことを記して、私のブログを締めようと思います。

まず、ミュンヘンでの最後の一週間は日本から来た友達を案内する一週間だったので私も初心に帰ってミュンヘンを観光することができました。思えばたくさんの観光地を回った留学生活でしたが、一番長く生活していたミュンヘンをちゃんと観光したことはありませんでした。そのため、知らなかった教会や雑貨屋、レストラン、カフェなど、新しい発見、新しい体験をたくさんすることができた一週間でした。もし友達が来ていなかったらミュンヘンを知った気になって日本に帰っていたのではないかなと思います。そう思うと、私は日本で21年も育っているのに日本のことを知らなすぎるなと気づきました。ミュンヘン観光も、まだ一年あるしゆっくりミュンヘンは楽しもうと思っている内に留学は終盤を迎えてしまいました。

日本でも、まだまだ日本で生活するんだしゆっくり観光すればいいかなんて考えいると、日本を知らないのに他の国はたくさん行っている日本人になってしまうので、これからは日本の魅力もたくさん発見していきたいと思いました。また、その土地のことを知らない人を案内することで、自らの知見も広げることができると今回学んだので、ドイツで友達になった外国人がいつか日本に遊びに来た時に案内できればいいなと思いました。そのためには、ドイツで築いた交友関係をこれからも繋いでおきたいと思いました。今はSNSなどで簡単に連絡が取れる時代なので、定期的に自分から連絡をするなどアクションを起こそうと思います。
さらに、来てもらうだけでなく会いに行きたいとも思っています。私が今一番回ってみたいと思っているのは東南アジアと南アメリカで、それぞれの地域に友達を作ることができたので、連絡を取り合って会いに行きたいと考えています。


そして、お気づきのように、今回の留学で得た友達はドイツ人よりもドイツに来ている留学生が多く、会話はほとんどが英語でした。また、ドイツ人も英語がとても上手で親切な方が多いため、嫌な顔をせずに英語で会話してくれる人がほとんどでした。そのため、正直なことを言うと、ドイツに留学に来たのにも関わらず、ドイツ語のレベルはあまり上がりませんでした。少し反省点ではあるものの、やはり世界で通用するのは英語であると気づけたこと、そしてその英語を上達させることができたという点では、悪いことでもないように思えます。

では自分の英語レベルを振り返って、そんなに自信をもって成長できたと言えるのかと考えると、微妙な気がしますが、過去を振り返ってみると最初の方は語学学校の子たちが何を話しているかはわからず、自分が伝えたいことも英語にできないため、とりあえず逃げの姿勢であったなと思いだしました。

留学を終えた今、完璧に英語を話せるようになったかと聞かれたら全然そんなことはないですが、過去の自分と比べれば明らかに成長していると思います。それは私が理解できてなくても優しく声をかけてくれる友達が周りにいたからだと思います。今の私の英語レベルを言葉にするならば、「外国人の輪の中で会話を理解できて、ボロボロだけど伝わる英語を話せる」くらいのレベルだと思います。また、前までは何回か聞いてわからなかったら、わかったふりをして終わらせてしまうことが多かったのですが、今ははっきり「理解できなかった、どうゆうこと?」と理解できるまで話に突っ込めるようになりました。


私流の英語を上達させるために気を付けていたポイントをここに記録しておこうと思います。
まず、会話の中のどの部分(単語)を聞きとれば大体の意味を理解できて、逆にその拾い上げる部分くらいの単語をくっつけて話せば英語を話せる人は察してくれると分かったら、途端に英語を話すことが楽になり自分から話すことが増えました。ネットがつながる環境にいるとどうしてもSNSを見たくなってしまうので、私は見ないと制限をかけるよりも英語を話すインフルエンサーを片っ端からフォローしてSNSを開くと英語が流れるようにしていました。

また、仲良くなった友達、または仲良くなりたい友達に「この子は英語未熟なんだ」と初めから理解してもらうことで、友好関係が気楽に結べると学びました。そうすると、私の英語レベルに合わせて話してくれたり、他の人の早い英語や難しい表現の英語を違う単語に言い換えて教えてくれたりするので、とてもありがたかったです。英語が未熟でも仲良くしてくれる国の人は私調べだとポルトガル語・スペイン語圏のラテン系の人と、同種族のアジア系の人です。ラテン系の人は面倒見がよく優しくて、陽気な人が多いので英語が未熟でも一緒にいるとなぜかずっと楽しいということが多いです。アジア系の人は見た目が近いという同種族に対する安心感が大きく、他の人よりも気楽に話すことができました。そのため、留学生たちのグループは国籍がバラバラでも、顔の系統が似ている人達で固まるケースが多かったです。

そして、留学を通して得たことの一つとして、将来の見通しがあります。
私は就活を始める年なのですが、留学に行くまで自分が将来何をしたいのか全くわからず、どのように希望の企業や職種を見つければいいのか悩んでいました。
しかし、帰ってきてから海外勤務・出張がある企業に勤めたいと強く思うようになりました。逆に言えば、それ以外はまだ何がやりたいかはわかっていないのですが、そう考えられるようになったのは確実に留学における経験が私の世界を広げてくれたからだと思います。そのため、見つけたのは小さな手がかりですが、この手がかりをもとに海外に支社を持つグローバルな日系企業を狙いたいという目標ができました。

留学を通して学んだこと、感じたことは数えきれない程たくさんありましたが、とにかく最後に言いたいのは「留学に行く選択をして本当に良かった!」それのみです。

Danke schön!

R.S

初めて飲み切ったビール

 

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