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鴨台盆踊り特集 【第3回】
「愉しむ心を忘れるな!」 弓山達也
弓山達也 東京工業大学教授/大正大学非常勤講師(元同大学教授) 奈良県出身
専門は宗教社会学。
現在は、教団という枠を超えた宗教性(スピリチュアリティ)や、震災被災地における宗教者と市民の協働について研究。
鴨台盆踊りには、2011年の再開第1回から第5回まで運営教員として関わり、第3回は「フィールドワーク」、第4回、第5回は「サービスラーニング」の担当教員として、現在の学年学部学科を超えた学生が集まる実行委員会スタイル授業の基礎を築く。
1. 伝説化していた盆踊りの復活
-本日はよろしくお願いいたします。第7回を迎える盆踊りですが、弓山先生と鴨台盆踊りにはどのようなご縁や関係性があるのですか?
第1回の盆踊りから関わっていました。NCC地域セミナーの一環だったのですが、私は庚申塚商栄会で「大正さろん」(※)の運営と実務を担っていたため、地域担当として関わることになりました。
その後、第1回から授業を担当していた先生が事務局に移られたので、それを引き継ぐ形で第3回の盆踊りから第5回まで盆踊りの実行委員会が集まる授業「サービスラーニング」の担当教員を務めました。
※大正大学が出資する「NPO法人でもくらしぃ」が運営していたコミュニティサロン(フリースペース)。庚申塚商栄会の通りの一角で2005年に始められたが、2012年末に閉鎖。
-1回目から関わっていらっしゃるとのことですが、盆踊りを復活させるとなった時はどのような思いでいらっしゃいましたか?
NCCでは年に1度イベントを実施していました。その中で戦後すぐに大正大学で開催されていたという盆踊りを復活させたいという話はありましたが、当時の様子を実際にご存知の先生はおらず、盆踊りはなかば伝説化していました。
また、年に1度イベントを実施していたとは言え、大学構内を使っての大きな地域イベントとなるであろう盆踊りを「学生が出来るの?」という思いもありました。
しかし、2011年に東日本大震災が発生し、「大学としても、個人としても何かできることはないか」という思いもあって、追悼の意味も込めながら、少々強引に復活させる形になりました。
2. 年々変化していく盆踊り
-1回目からの変化について教えてください。
1回目は約40人の受講学生で盆踊りを企画しました。当時5号館が工事中だったため、その横に竹竿一本立てて開催しました。ライトは工事現場の物を借りていました。
その翌年は30人程度と受講学生が減少し、私が担当教員になったときから、NCCとは別に全学生が受講できる科目に変更しました。
最初の頃は学生よりも地域の方の出店が多く、学生は遊べる場所を提供するなど、屋台のようなものは少なかったですね。
-最初は「みたま祭り」という名前だったと聞きますが、なぜ現在は「鴨台盆踊り」に変化したのですか?
1回目から3回目までは「みたま祭り」として開催していました。しかしこれは宗教性が強いとの意見もありました。また、地域の方の高齢化もあり、ターゲットを子どもしてはどうかという話が上がりました。
そこで、第4回から「鴨台子ども盆踊り」という名前に変え、子どもを中心とした盆踊りを実施しました。そして現在の「鴨台盆踊り」と変化してきました。
第5回はあいにくの雨であったが、3号館内で開催され、大いに盛り上がった。
3. 失敗してもいい!出来なくても大丈夫!
-学生に対してメッセージをお願いします。
手違いの要因は学生間の連絡!スマホでの連絡に頼りすぎるな!
他人にきつくあたることもだめですよ。
完璧なイメージ通りに行かなくても余裕をもって取り組みましょう。
そして「盆踊りを愉しめ!」
さらに、教職員も、盆踊りをスルーせず積極的に参加・関与してください!
インタビュアー社会福祉学専攻(院)2年 小林俊暁
第8回鴨台盆踊り たかが盆踊り されど盆踊り
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問い合わせ先 大正大学 教務部 フィールド学習支援課