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綜合仏教研究所

【開催御礼】公開講座「近世南アジアにおけるサンスクリット宗教詩:ヴィシュヌ教ベンガル派の視座から」について


綜合仏教研究所では、平成28年1月7日、標記の講座を開催いたしました。
ここに、講義の様子をレポートいたします♪

(以下、研究所研究員による、聴講レポートです♪)


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 2016年1月7日、ヒンドゥー教がご専門の置田清和先生(京都大学白眉センター 特定助教)をお招きして、標記の講座が開催されました。年明け早々にもかかわらず、多くの方が参集し、普段あまり触れる機会のないテーマでの興味深いお話を伺うことができました。  
 置田先生は、そもそもヴィシュヌ教(Vaiṣṇavism)とは何かというところから、1)ヴィシュヌ教における信愛(bhakti)、2)演劇論(nātya)・修辞論(alaṅkāra)における美的経験(rasa)、3)ベンガル派における信愛に基づいた美的経験(bhakti-rasa)、といった方面にわたって丁寧に解説してくださいました。  

 ヴィシュヌ教とはヒンドゥー教の一派であり、ヴィシュヌ神(宇宙の創造・維持・破壊を司る)とその化身(Avatāra)を崇拝している。ヴィシュヌは様々な姿をとって地上に降臨するが、その7番目の降臨がラーマ、8番目がクリシュナ、9番目が仏陀と信じられている。
 Bhagavad GītāBhāgavata Purāṇaにおけるサンスクリットの詩文を例に、信愛がどのように表現されているか、また時代によってどのように変遷したかが紹介された。そのなかでBhāgavata Purāṇaにみられる「感情的な信愛」(emothional bhakti)は、「婚外関係における恋愛感情」が信愛の理想的なモデルと考えられており、非常に興味深かった。婚外関係が結婚関係より高く評価される理由は、密会は簡単には実現できず大きな危険が伴うこと、さらに別離によって更なる感情の高まりがあること等である。  

 今回のご講義を拝聴して、仏教とは異なる信仰形態を学ぶことは仏教を深く理解するためにも重要な意味があるということを改めて実感させられました。  
 なお、置田先生は「南アジア、サンスクリット古典を日本で研究する意義は何でしょうか? なぜ南アジアを? なぜ宗教の研究を?」との質問に対して以下のように答えておられます(参考:「京大人間図鑑」Vol.8 )。学問をする者一般に関わる大切な内容であり、参考までにご紹介したいと思います。  


    ヒンドゥー教でなくてもなんでも、自分とは「異なるもの」を学ぶことの大切さを伝えたいんです。
   どこの国でもそうですが、自分の国、自分の母国語しか知らず、自国民としか関わりを持たない、
   そういう生活をしていると、実はその国特有の習慣、制度、価値観といったものが普遍的なもので
   あるかのような錯覚を起こし、それが他者への排除に繋がります。自分とまったく違う背景で育った
   人間が隣人になったとき、彼・彼女を尊重できる人間とは、自分の持っている価値観を相対化できる
   人だと思います。ソクラテスは、“The unexamined life is not worth living”(吟味されない人生は
   生きる価値がない)と言ったといわれています。我々が日々の生活の中で当然だと思い、無批判に
   受け入れている価値観や世界観を相対化するものさしの一つとして、私はインド思想というものを提供
   したいのです。最近、「よくわかる宗教学」という本でヒンドゥー教の項目の執筆を担当しました。
   南アジアのダイナミックさを伝えたいし、ヒンドゥー教を身近に感じてもらえたらと思っています。
   (全文はこちらでご覧になれます。http://research.kyoto-u.ac.jp/people/okita/02/)

                                          (以上)

置田先生ご講義の様子
置田先生ご講義1 置田先生ご講義2



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以上。 研究所研究員による、レポートでした♪
置田清和先生をはじめ、ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げ、ご報告にかえさせていただきます。



綜合仏教研究所事務局