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綜合仏教研究所

【開催御礼】公開講座「潜伏キリシタンたちが信じていたものはなんだったのか」

綜合仏教研究所では、12月2日(月)に、長崎純心大学 客員教授の宮崎賢太郎先生を講師にお迎えし、公開講座を開催いたしました。

以下、三浦 周 非常勤講師(大正大学)の報告レポートです。

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2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」が世界遺産に登録されたことは記憶に新しいと思います。16世紀=キリシタンの世紀という世界史的展開、キリスト教禁教と寺請制度による信徒の迫害(踏み絵など)、迫害に耐え信仰を守り通した(19世紀の信徒復活)という物語は誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 

こうした夢とロマンに満ちあふれる物語は、あるいは南蛮趣味(北原白秋『邪宗門』など)、現代では「観光立国」「インバウンド」という言葉とともに繰り返し想起されてきました。

物語は現実に強い影響を与えます。たとえ研究者であってもこうしたイメージから自由ではありません。ただし、現象を「歴史」としてみるならば、それは検証されねばなりません。こうした問題を民衆史という観点から読み解く宮崎賢太郎先生(長崎純心大学)をお招きし、潜伏キリシタンの実像についてご講演いただきました。

 

潜伏キリシタンは一般に隠れキリシタンとされますが、近世において最後の宣教師小西マンショが殉教した正保元年(1644)から不平等条約の改正を見込んだ明治6年(1873)のキリスト教黙認までの信徒を潜伏キリシタン、黙認後、「ただしい」キリスト教(カトリック)に復した信徒を復活キリシタン、先祖伝来の教えを堅持した信徒をカクレキリシタンと区分します。宮崎先生は、1617世紀において、ピーク時には30万人いたとされるキリシタン(江戸初期の人口はおよそ1000万人)について、いわゆる南蛮貿易の利益を当て込んだキリシタン大名による集団改宗を指摘します。また1590年当時の状況を、信徒25万人、教会数200、パードレ(司祭)47人とし、司祭1人当りの受持信徒数およそ5319人と概算したうえで、日本語もほとんど話せない宣教師の教えを、数回、数十分聞いただけで敬虔なキリシタンとなり得たかと疑問を投げかけます。また、実際に布教を担当したのは日本人同宿でしたが同宿達は十分なキリスト教の知識をもっていなかったと指摘します。つまり、宗教的指導者である司祭がいた時代でさえ、信徒、その大半を占める一般大衆のキリスト教理解は乏しかったのであるから、指導者の存在しない迫害下で仏教徒を装いながらキリシタンの信仰を守り通したという物語は幻想であると結論づけます。宮崎先生は、潜伏時代を通してキリシタン達が「何か」を命がけで守り通そうとしたことは事実だといいます。ただし、それは一般にいわれるキリスト教教義、イエスやマリアへの信仰ではなかったと指摘します。潜伏キリシタンは伝統的な日本の神仏信仰・先祖崇拝のうえに「キリシタンという神」もあわせて拝む日本の民衆信仰だといいます。外来宗教である仏教が基層文化の影響によって日本仏教に変容したのと同じく、日本キリスト教になったのが潜伏キリシタン−カクレキリシタンだとするのです。これは多文化共生、あるいは日本的エートス(これがあるのかも含めて)を問う際、極めて重要な問題となります。

 

貴重な講演を賜りました宮崎先生に厚く御礼申し上げます。





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ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。

綜合仏教研究所では、今後も研究の第一線で活躍されている先生方を講師としてお招きする予定です。予約不要・参加費無料ですので、ぜひふるってご参加ください。

綜合仏教研究所事務局