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綜合仏教研究所

【開催御礼】公開講座「仁寿舎利塔の思想と表象」

綜合仏教研究所では、1月22日(水)に、東北大学 教授の長岡 龍作先生を講師にお迎えし、公開講座を開催いたしました。

以下、北林 茉莉代 非常勤講師(大正大学)の報告レポートです。

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 122日(水)、東北大学の長岡龍作先生による公開講座が開催されました。先生は二十年近く舎利容器に関する調査研究を継続され、現存の有無にかかわらず舎利塔があったと考えられる場所に赴いておられます。公開講座では、近年のご研究対象である「仁寿(じんじゅ)舎利塔」について、①「仁寿舎利塔建立の経緯」、②「仁寿舎利塔の場所」、③「仁寿舎利塔建立に見える『感応』」、④「仁寿舎利塔石函の姿と役割」という観点から、最新の研究成果をお話しくださいました。

 ①仁寿舎利塔は、隋の文帝(在位五八一~六〇四)が父母の追悼のため、仁寿元年(六〇一)、同二年(六〇二)、同四年(六〇四)の三回にわたり、中国全土百余州に建立させたものです。仁寿舎利塔事業は、文帝の菩薩行の実践であると同時に、父母への報恩という儒教的側面を有しています。

 ②舎利塔の場所については、現地で撮影された写真をもとに詳説されました。北側に山を有す地形が共通していますが、これは風水に基づくものであり、文帝自らが指示した「自注寺院」はいずれも神仙思想に関わる寺院です。大雲寺出土の舎利容器は、入れ子状の容器のうち二つが棺桶型であり、ここから「釈迦の葬礼」という儒教と仏教の習合の形が見て取れます。

 ③「感応」のありようについては、王邵「舎利感応記」、安徳王雄等「慶舎利感応表并答」の記述を繙かれます。本来は衆生から天への「感」、天から衆生への「応」であった「感応」の語が「衆生と仏」の関係に読み替えられていること、仏が応じたことを神が奇瑞として顕す仕組みがあることが示されました。注目すべきは、「感」においては釈迦の死を悲しんで「道俗非号」する儒教的文脈が、「応」においては「神亀」や「仙人麒麟」という道教的霊瑞が記されていることです。

 仁寿舎利石凾の記録や現存例から、第一回にはなかった図様が、やがて奇瑞によって石凾に図様が現れたり、その図様を写した「瑞相図」が奇跡を起こしたりすると考えられるようになり、第二回以降には図様を描くようになったという変遷が説明されます。第二回・第三回の図様は、釈迦の涅槃に関わるモチーフから中国の伝統的なモチーフまで様々です。

 以上のように、舎利信仰は仏教思想だけでなく、儒教思想、道教思想と混じり合いながら変容していったことがうかがえます。それらは、文帝への「仏法を興すべし。一切の神明還り来たらん」という預言に象徴されるように、北宗の武帝(在位五六〇~五七八)の廃仏の影響が残る時代に要請されたものであったのでしょう。このように変化を遂げた「仁寿舎利塔の思想と表象」は、隋の版図であったアジア地域ならびに後代へ多大な影響を残したことが了解されます。

 研究者は、ややもすると一つの研究手法に終始してしまいがちですが、長岡先生は文献学・考古学・美術史学など複数のアプローチを駆使して、仁寿舎利塔事業の実態と歴史的意義を、実証的かつ立体的に描出されました。こうした真摯な研究態度があればこそ、一四〇〇年以上前の歴史に迫ることができるのだと、深く感銘を受けました。

 ご多忙のなか、貴重な講演を賜りました長岡先生に厚く御礼申し上げます。



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ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。

綜合仏教研究所では、今後も研究の第一線で活躍されている先生方を講師としてお招きする予定です。予約不要・参加費無料ですので、ぜひふるってご参加ください。

綜合仏教研究所 事務局