学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

カルスタ、あれこれ(13)――自我と脳(1):K・ポパーの「3つの世界」

はじめに

 やや古いですが、1977年、哲学者のK・ポパーと脳科学者のJ・エクルズ『自我と脳』(The Self and Its Brain)を著わし、話題となりました。エクルズは、ノーベル医学・生理学賞を受賞した、きわめてすぐれた脳科学者です。

哲学では、デカルト以降「心身問題」(心と体の関係はどうなっているのか、どうして心が身体に作用を及ぼすことができるのかといった問題)が、それまで以上に論じられるようになりました。その一方で、脳科学では「脳心問題」(脳と心の関係はどうなっているのかという問題)が取り沙汰されています。本書はこれら二つの流れを結びつけたものといってよいでしょう。

 

content.jpg 

 ポパー=エクルズの『自我と脳』

「自我」や「心」といったものは、なかなか掴みどころがないですね。哲学者の中には「自我は存在しない/自我には実体がない」と主張する者もいるくらいですからね。『自我と脳』の中でも、文脈によって、「自我」が使われたり「心」が使われたりしています。2人の理論はあくまでも「仮説」です。でも、筆者にとっては、魅力的な仮説です。本のタイトルは『自我と脳』ですが、2人の理論は「心脳相互作用論」(mind-brain interactionism)と呼ばれています。

『自我と脳』の主張を一言でいえば、「自我ないし心と脳とは独立して存在しており、それら2つが相互に作用を及ぼしあう」ということになるでしょう。

私見では、多くの脳科学者は「物質主義的な脳一元論」の立場を採っていると思います。つまり、心の働きは脳内でおこる種々の過程ないしメカニズムに還元できるという立場です。存在するのは脳だけで、心は存在しないのです。仮りに存在したとしても、脳が光だとすれば、心は影のようなものでしかありません。しかしながら、エクルズは、物質的な脳とは別に「自我」「心」「意識」「精神」などの非物質的なものの存在を認める、数少ない脳科学者です。

でも、エクルズの声に耳を傾ければ、「脳の研究が進めば進むほど、脳の神経活動と精神現象のいずれもがその驚異をいっそう増しながら、両者は別の存在であることが一層明らかになってきている」のです。

 さて、今回は、ポパーの「3つの世界」という考え方を紹介します。

 

ポパーの「宇宙の進化」

心脳相互作用論の射程はきわめて広く、なんと宇宙の成立から始まります。ポパーは「宇宙の進化」には次の6つの段階があると言います。ちょっと難しい言葉が出てきますが、次のような6つの段階です。

①重元素の生成と液体と結晶の発現、②生命の発現、③感覚意識(動物意識)の発現、④自我意識と死の意識の発現、⑤人間言語の発現と自我と死についての理論の発現、⑥神話・科学理論・芸術作品などの人間の心の所産の発現。

このうち、①②が「世界Ⅰ」(物理的対象の世界)に、③④が「世界Ⅱ」(主観的経験の世界)に、⑤⑥が「世界Ⅲ」(人間の心の所産)に属します。

そして、宇宙あるいはその進化は「創造的」であり、意識をもつ動物の進化は何か「新しいもの」をもたらしました。それは、最終的には、人間の心と深くかかわっている「自我意識」や「創造性」をもたらしたのです。進化の過程で「想像できない、真に予測不可能な性質をもった新しい対象や事象」が生じたのです。先回のブログでも、「意識や心は生命科学の最後の未踏領域である」という旨の脳科学者の言葉を紹介しましたね。

 「世界Ⅰ」「世界Ⅱ」「世界Ⅲ」について、さらに詳しく説明しましょう。進化の過程で④が発現したあたりから、「3つの世界」という区分ができるようになりました。「図」はポパーの3つの世界を図式化したものです。図中、脳は「世界Ⅰ」の2の「生物相」にある。「文化」は「世界Ⅲ」に属します。

 

ホパーの「3つの世界」 

Karl Raimund Popper 3world.bmp ポパーによれば、実在は3つの世界に分かれます。すなわち、物質とエネルギーから成る物理的存在である世界Ⅰ、心あるいは意識を形作る世界Ⅱ、文化の諸相(社会に還元されて客観的に存在する知識)を形作る世界Ⅲです。

これらの世界は、図中に双方向の矢印で示されているように、世界Ⅱを中心にして互いに密接に繋がり合っています。そして、われわれの心を成す世界Ⅱは、物質的な世界Ⅰと非物質的な世界Ⅲの両方とかかわり合いながら、各個人の人格を表現しているのです。言いかえれば、世界Ⅰと世界Ⅲとは、世界Ⅱを媒介として間接的に結びついているのです。

世界Ⅲについて補足しておきましょう。世界Ⅲは客観的に存在する知識の世界であり、そこには、科学・文学・芸術など、人間のもつ文化のすべてが、言語その他に還元された形で存在します。それが「本」ならば、紙やインクは世界Ⅰの存在物ですが、記されている知識は世界Ⅲに属します。絵画や音楽作品や彫刻についても同じことで、表現の手段が違っているだけです。一言でいうと、世界Ⅲは、過去から現在にいたる人類文化の所産から成りたっているのです。そこには、意思伝達のための言語や、各人の行動を支配する価値体系や、これらについての議論が、きわめて重要な意味をもつ要素として含まれています。

 先に、「これら〔3つ〕の世界は世界Ⅱを中心にして互いに密接に繋がり合っている」とか「世界Ⅰと世界Ⅲとは、世界Ⅱを媒介として間接的に結びついている」と述べました。「繋がり合っている」「結びついている」という表現は、正確にいうと「影響しあう」「作用を及ぼしあう」ということです。3つの世界は、進化論的にいえば、世界Ⅰ→世界Ⅱ→世界Ⅲと進化したわけですが、ポパー=エクルズは後者から前者にも影響を与える/作用を及ぼすと考えます。この視点はひじょうに重要です。

 

カルスタと「3つの世界」

 日本文化が世界Ⅲに存在しているとしたら、日本文化の中に生まれてきた皆さんは、成長の過程で、それを世界Ⅱたる自分のなかに吸収して、日本人になるでしょう。これは、世界Ⅲが世界Ⅱに作用する例の1つです。そして、皆さんが何か芸術作品を作り出したとしたら、それは世界Ⅰの物理的状態に変化を与え作用を及ぼしたことになります。芸術作品を作らなくても、腹が立って石ころを蹴ったら、石ころが何かに当たってそれが壊れても、物理的な世界の状態に変化をもたらしたわけですから、世界Ⅰに作用を及ぼしたことになります。

  カルスタと関わりのある「文化」は世界Ⅲにあります。アニメを例にとると、それを動画として映し出す機械類は世界Ⅰに、それを創作した人の創造性は世界Ⅱに、映し出される作品の「内容」は世界Ⅲに属することになります。さらにいうと、創造性をもたらした世界Ⅱにある自我が、世界Ⅰにある脳(物理的存在としての脳)に作用を及ぼして、世界Ⅰにある物質的存在としてのアニメと、世界Ⅲにある内容としてのアニメを生みだしたことになります。脳が身体に作用して、手を動かすなどの肉体的動きが生まれなければ、決して作品は生まれません。

おわりに

「文化」をどのように捉えるかは、人によって違います。けれども、ポパーの「3つの世界」や「宇宙の進化」という視点からも文化を捉えることも、文化を理解するためには大切だと思います。

次回は、エクルズの「連絡脳」という考え方を紹介します。

アップは第1金曜日ですから、11月4日、大学祭の後片付けの日です。

 

 

星川啓慈

 

 

GO TOP