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国際文化コース

戦争と文化(1)――M・クレフェルトの『戦争文化論』

はじめに

 このブログは以前、「カルスタ・あれこれ(16)」として、アップされたものです。新たなブログ「戦争と文化」を企画するにあたり、この「カルスタ・あれこれ(16)」を「戦争と文化(1)」としてアップします。

 これから、シリーズとして「戦争と文化」というテーマについて、種々の視点から論じていきたいと思います。初回の今回は、マーチン・クレフェルトの『戦争文化論』(The Culture of War, 2008) を参考にしながら、「戦争と文化」というテーマについて考えてみましょう。

 

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  誤解のないように最初に断わっておきますが、私は決して戦争を肯定するものではありません。しかし、戦争研究の専門家として、人類の戦争の歴史を見続けてきたクレフェルトは「世界から戦争がなくなることはまずない」と主張しています。悲しいことですが、これまでの人類が歩んできた歴史を振り返ると、彼はそう言わざるをえないのかもしれません。

 でも、私たちはできることなら、世界平和の実現にほんの少しでも寄与したいですよね。クレフェルトの予言が外れることを祈るばかりです。

 

M・クレフェルトの『戦争文化論』という本

 著者のクレフェルトはイスラエルのヘブライ大学の歴史学部の教授です。専門は、軍事史および戦略研究です。また、アメリカなどいくつかの国の防衛問題のアドバイザーとしても活動しているようです(奥書参照)。

 戦争についての本は日本語で読めるものだけでも、相当な数に上ります。私の書架にもB・リデルハートの『第一次世界大戦(上下)』(中央公論社)など何冊もあります。戦争についての本は多数出版されていても、戦争を「文化」や「文明」と結びつけた本はそれほどないような印象を持っています。

戦争を文化や文明と結びつけた本というと、ハーバード大学の政治学の教授であるS・ハンチントンの『文明の衝突』(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, 1996) を知っている人もいるでしょう。この本は日本でも世界でもベストセラーになりましたが、この本も「文明・文化」と戦争をストレートに結びつけた本です。

ハンチントンによれば、「宗教が文明を規定する最も重要なもの」であり、宗教が戦争と密接に関わりあうと、悲惨な「フォルト・ライン戦争」という闘いがくり広げられるようになります。

自己宣伝になりますが、そのエッセンスは私が企画執筆した『神々の和解』(春秋社、2000年)の第1章「宗教の衝突」で、ごくごく短く要約しています。そこでは、ハンチントンを参照しながら、宗教と戦争の密接なかかわりについて考察しています。

 

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いずれにせよ、クレフェルトの『戦争文化論』も「文化」と戦争を結びつけた点で、ユニークな本と言えるでしょう。

 

戦争が生み出す「魅力」?

 『戦争文化論』の冒頭で、クレフェルトは次のように主張しています。私たちは、戦争を「大量の殺戮という目的を達成する1つの手段」だとか、「ある集団の利益を図ることを意図して、その集団と対立する人々を殺し、傷つけ、あるいは他の手段で無力化する合理的な活動」などと考えがちです。でも、クレフェルトは「こうした考えは見当違いもはなはだしい」と断じています。

 現在では、人間が「利益」を追い求めるだけの機械ではないことは、広く認められています。遊び・趣味・人間関係・人生の意味・芸術…。私たちの身の周りには、「利益」と関係ないものがいくらでもあります。いわゆる「利益」のみを追い求める人生なんて、味気ないに決まっています。戦争も、たんに利益を追い求めるという、人間の合目的的な行為ではないのです。

クレフェルトは、筆者には理解し難い「戦争の魅力」次のように論じています。

無数の事実が、戦争それ自体が強烈な魅力を発揮していることを証明している――それに魅了されるのは戦士や兵士にとどまらない。戦うことそれ自体が喜びの、何よりも喜びの源になることもある。この魅力のなかから戦争を取り巻く一つの体系として文化が育ってきた。はっきり言うならば、それはこの魅力のなかに埋没してしまっている文化である。他の文化同様、戦争に関わる文化の大部分は、「無用の」行為、飾り、あらゆる虚飾である。時に虚飾、飾り、行為は意図とは逆の結果を招くところまでいってしまうことがある。これまでもそうだったし、おそらくこれからもそうであろう。

 正直なところ、私には「戦争が発揮する魅力」は感じられません。戦争についてあまり真剣に研究したこともないし、クレフェルトが住んでいる常に臨戦体制にあるイスラエルと違って、平和な日本に住んでいる幸せな私には、理解が及びません。しかしながら、彼の議論を追っていくと、「そういわれると、そういうこともあるのかもしれないなあ…」という気にもなります。

 

おわりに

 戦士・兵士・サムライなど、戦場に赴く人たちは「必要な場合には死ぬ覚悟でいる」のですが、その一方で、生きるものとして当然のこととして、彼らには「危険を避けたい、あるいは危険から逃げたいという人間の自然な欲求」が生じます。クレフェルトによると、「この欲求を克服する過程において、戦争文化が重要な役割を果たす」のです。

 次回は、戦争文化の1つの側面である「装飾」について、クレフェルトの議論を紹介しながら、考えていきましょう。あらゆる戦いにおいて、武具・防具・甲冑・盾・兜・軍服などには、戦うことと関係ない装飾が施されました。ある時には、あまりにも過度に…。

 

              星川啓慈

 

【参考文献】

・M・クレフェルト (石津朋之監訳)『戦争文化論』原書房、2010年。

・S・ハンチントン(鈴木主悦訳)『文明の衝突』集英社、1998年。

・D・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理』ちくま学芸文庫、2010年。

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