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国際文化コース

戦争と文化(2)――戦争とファッション

      はじめに

知っている人も多いと思いますが、「トレンチコート」というコートがあります。「トレンチ」というのは「塹壕」のことですが、このコートの起源は、第一次世界大戦のイギリス軍で、寒冷なヨーロッパでの戦闘に対応する防水型の軍用コートが求められたことにあります。このコートは、期待通り、第一次世界大戦で生じた泥濘地での塹壕戦で、耐候性を発揮しました。トレンチコートは、ファッションと戦争が関係する例の1つです。

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    ウォーペイント

現在では、戦場の兵士(とりわけ陸軍の兵士)が来ている服は、一見、機能最優先にみえます。動きやすさ、周囲に溶け込む迷彩色、外傷や種々の気候変化から身を保護する素材や織り方…。もちろん、ヘルメットや靴など身につけているものすべてにこう言えそうですね。普通の人は「戦闘をするためには、機能最優先の戦闘服を着るべきであり、装飾など不要である」と考えるでしょう。しかし、ほとんどの時代において、戦争で使用される服・武具などは機能最優先ではなかったのです。

 先史時代を振り返ると、「ウォーペイント」――戦争のために身体に顔料などを塗ること――は、部族社会の文化でした。男たちは、塗るのに、何時間も何日もかかるような複雑な模様を身体に描いたようです。もともとは、出陣する際にだけ化粧をして、戦時と平時とをはっきりと分けたのかもしれません。ウォーペイントは、敵に恐怖感を与えることに、味方には一体感を生み出すことに役だったと推測できます。しかし最終的に、ウォーペイントは「儀式」の場で用いられるようになりました。このことをクレフェルトは「戦争が文化に影響を与えたとも、文化が戦争に影響を与えたとも言える」と述べています。

 

     ギリシア=ローマの時代までの戦いとファッション

 ホメロス(古代ギリシアの詩人)作と伝えられる『イリアス』には、いろいろな登場人物の出で立ちについて述べられています。たとえば、アキレウスが持っていた「楯」はこんな具合です――「楯の表には、人間の生活が金・銀・錫・瑠璃で、生きいきと描かれている。とりわけ、天空・大地・川・町・人びとの暮らしなどが刻まれている」。こうした楯の装飾には何か深い意味がある可能性もありますが、いずれにせよ、戦うこととは実質的に関係ないと思われる装飾を重視していたことに疑いはありません。

 古代ギリシアの壺の写真が、筆者が使った高校の世界史の教科書に載っていたような記憶があります。こうした壺の中には、戦士の姿が数多く描かれているものがあります。クレフェルトがいうところでは、それらを見ると、「鎧の脛当てや甲冑がいかに飾り立てられていたか」がよくわかるそうです。戦士たちは、機能のみを重視する鎧や甲冑を身につけていたのではなく、一種のおしゃれもしていたのですね。これを見た、哲学者のソクラテスは、さすがに武具を飾り立てる風習を非難し、こう語ったそうです――「金銀をちりばめた甲冑より身体にぴったりした甲冑の方がましだ」と。

  ついでながら、ソクラテスはやせ細った身体で考えてばかりいる人間ではありませんでした。重装歩兵として実際に従軍しています。すぐれた戦士だったという話もあります。上の言葉は、実戦を踏まえた上でのものです。

 古代ギリシアの戦士が使った盾は、実に多彩でした。同じ国の兵士どうしでも、まったく異なったデザインの盾をつかっていたようですが、ただ一国、スパルタだけは違いました。スパルタの戦士たちは、スパルタの正式名称である「ラケダイモン」の頭文字である「ラムダ」(「Λ」)を盾に描きました。クレフェルトはその理由を2つあげていますが、それら以外にも「敵と味方を瞬時に識別できることは、種々の場面で有利だから」ということもあるかもしれませんね。

 高価な武具を使って戦闘がくりひろげられましたが、高価な武具を使用することにどういう意味があると思いますか? 武具(甲冑や盾)の価格にもピンからキリまであり、数日分の賃金程度のものからひと財産かかるようなものまであるそうです。武器としての性能が最高ならば、それにプラスαの値段の装飾で充分だと思いませんか?

 しかし、莫大なお金をかける戦士も多数いたようです。高価な武具や防具はステータスシンボルでもあったでしょう。そうしたものに多くの戦士はあこがれたでしょうね。さらに、クレフェルトによれば、「安い武具しかつけずに出征する指揮官や兵士は卑屈になり、どうせ戦っても負けて殺される、と思ってしまう」、つまり、戦う前から心理的に不利な立場に置かれる、ということもあったようです。さすがに、カエサルは「豪華な武具を持ちたいと願う部下の気持ちを巧みに利用して、しっかり戦わせた」そうです。つまり、金・銀で象嵌した武具を使うことを勧めたのです。

 

  日本の場合

 ここで、日本の鎧を見てみましょう。下の写真はマニアの方が撮った写真です。ご協力ありがとうございます。伝えられるところによると、これは武田信玄が着用した鎧です。美しいですね! 兜の上部から後部にかけての毛のようなものが、鎧全体を引き立てていますね。

 

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 筆者もクレフェルトの本を読んで初めて知りましたが、武将の「髪の毛」の例についても紹介しておきましょう。彼は次のように語っています。「おそらく西洋の戦士以上に、〔日本の〕武士たちは戦士にふさわしい恰好をするためにはどんな労も惜しまなかったのだろう。木村重成という男の話も伝わっている。重成は戦死して首を切り落とされる場合に備え――実際にそうなったのだが――見苦しくないようにと頭髪に香をたきこめてから出陣した」と。

 木村重成の「死への準備」は筆者にはとても思いつかないことですが、武将としての彼の心構えがひしひし伝わってくるような気がします。皆さんはいかがでしょう。

 

   「白」というおしゃれの色

 ここでまた、西洋に目を向けてみましょう。軍服に用いられる色にはいろいろあるでしょうが、「白」は、おそらく19世紀以降、特別扱いをされていました。その理由は、「少しでも汚れがあれば目立つため」です。これは私たちにもよく分かりますね。イギリスやオーストリアの部隊の軍服には、必ずどこかに「白」が使われており、その部分は「パイプ粘土」(きめのこまかい白色粘土)を塗って白色を保っていました。しかし、これは面倒なものだったようです。

  いったん粘土を塗ったら乾くまで触ってはいけないので、兵士は思うように身動きもできない。さらに何度も粘土を塗ると、軍服が堅くなって着心地が悪くなるばかりでなく、駄目になるのが早くなった。行軍しているうちに粘土は砂埃となった。あるイギリス軍将校はパイプ粘土(彼は「白い埃」と呼んでいた)について、「これほど視力と健康に害を与えるものはない」と記録している。

 それでも、「白」という色は、兵士のファッションの色としては重要だったのです。

 戦争は、いうまでもなく、人の生死に関わるものです。それゆえ、理論的には、クレフェルトも述べていますが、戦争中に非機能的な習慣ができたり、平時の非機能的な習慣がそのまま戦時に残ったりするとは思えません。理論的に考える限りでは、軍服や装備は、戦闘行為にもっとも適った機能的なものになりそうです。しかし、「ある意味で、服や装備には、何らかの心理的効果をつくりだそうとすれば、無駄な部分がなくてはならない」というのがクレフェストの見解です。機能重視だけの服装や装備では、戦いに向かう人びとの士気もあがらなかったのでしょうね。逆にいうと、装飾により闘う気力も増幅されたということでしょう。

 

   おわりに

 今回は、戦争とファッションについて、クレフェルトの著作を参考にしながら、考えてみました。戦士・武士・兵士の服装や装備に見られる非機能的なものも「戦争文化」の一側面だということになります。

次回は、武器に名前をつけることの意義について、考えてみたいと思います。

 

星川啓慈

 

【参考文献】

(1)M・クレフェルト(石津朋之監訳)『戦争文化論(上)』(原書房、2010年)第1部第1章。

(2)S・アダムズ(猪口邦子監修)『写真が語る第一次世界大戦』(あすなろ書房、2009年)。

(3)ウィキペディア「トレンチコート」

 

 

 

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