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国際文化コース

戦争と文化(5)――戦闘でも人は人を殺さない!

はじめに

 第5回目のブログは「戦闘の心理」でした。M・クレフェルトの『戦争文化論』には、「戦闘の楽しみ」という章(第6章)があり、ここを中心に書きました。さらに、『戦争文化論』には「平和だった時期はほとんどない」(第13章)という章から始まる「戦争のない世界?」という第4部もあり、いろいろと考えさせられます。

たとえば、「平和主義や平和主義運動はそれほど力を発揮しなかった」という見解や、「平和をもたらすことができるもの、つまり戦争ゲームをしてみたいという人間がずっともちつづけてきた欲望を、人間に放棄させられるおそらく唯一のものは残念ながら恐怖である」という第14章の結論には、耳を傾ける必要があるでしょう。

今回のブログでは、D・グロスマンの見解を紹介しますが、これはクレフェルトの見解と対立するもので、彼とは全く別の視点からの話です。グロスマンの議論には、「平和を実現するための大きなヒント」があるように思われます。

 そのグロスマンは、米国陸軍に23年間奉職した元陸軍中佐です。レンジャー部隊・落下傘部隊の資格も取得し、ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授なども歴任しています。たんなる観念的な議論ではなく、事実や証言にもとづく議論には説得力があります。この著作は有名なピュリツァー賞にもノミネイトされたそうです。

 

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人は人を殺したがらない

グロスマンの結論的見解は「殺人を研究するうえでまず指摘したいのは、平均的な人間には、同類たる人間〔敵〕を殺すことへの抵抗感が存在するということ」です。言いかえれば、「ほとんどの人間の内部には、同類たる人間〔敵〕を殺すことに強烈な抵抗感が存在する」のです。また、グロスマンも頻繁に言及しているS・L・A・マーシャル(第二次世界大戦中の米陸軍准将・歴史学者)の見解では、「平均的かつ健全な個人、すなわち戦闘の精神的・肉体的なストレスに耐えることのできる者でも、同胞たる人間〔敵〕を殺すことに対して、ふだんは気づかないながら、内面的にはやはり抵抗感を抱えている」のです。こういう言葉を読むと、人間はやはり平和を志向する動物だと思いたくなりますね。

 

「人は人を殺したがらない」という人間の傾向

ニューギニアのある未開部族は、狩猟のときには巧みに弓矢を使うのに、戦闘の時には矢尻の羽を抜いて、役立たずの矢を使うそうです。いうまでもなく、矢尻の羽を抜くと、矢はまっすぐに長い距離を飛ぶことができません。また、アメリカ・インディアンのある部族は、「見なし攻撃」、つまり、敵に触れるだけで実際に殺さない行為を重視するそうです。もちろん、鬼ごっこをしているわけではありません。ベトナム戦争では、アメリカ軍の兵士が敵一人を殺すのに50000発以上の銃弾が費やされたそうです。どの戦闘かは明記されていませんが、もしも長期にわたる戦闘期間の平均値だとすれば、驚くべき命中率の低さですね。筆者はいまだにこの命中率の低さは信じられません。これは、人を狙わずに撃ったということの証拠ということです。さらに、アメリカが介入した時のことでしょうか、ニカラグアでの民間人をのせた川船の待ち伏せ攻撃のさい、ロケット弾も機関銃も命中しなかったそうです。兵士たちは故意に的を外したのです。

これらはすべて、「殺人への抵抗」の例として挙げられています。この種の事実は、戦争の歴史を通じて、いくらでも挙げることができるとグロスマンは言うかもしれません。もちろん、そうした事実を確認できる戦闘は限られているでしょうし、「グロスマンの挙げる事実とは反対の事実も歴史上あるに違いない」という読者もいるでしょう。しかしながら、グロスマンによれば、戦闘という極限状況においてすら、人は基本的に人を殺したがらなかったのです。

 

南北戦争で「放棄された銃」

南北戦争では、次のような事実もありました。ゲディスバークの戦いのあと、27,575挺のマスケット銃が戦場から回収されましたが、このうちの90%近くが装填されたままでした。もちろん、犠牲者の大部分に発砲のチャンスがなかったわけではありません。この事実が示していることは、それらの兵士たちのほとんどが敵を殺そうとしなかったということです。グロスマンいわく、「何よりも驚くべきは、思考も麻痺する当時の〔銃撃のための〕反復訓練を受けていながら、この発砲しない兵士たちがその訓練に真っ向から逆らっている〔銃撃しない〕ということ」です。

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「人は人を殺したがらない」という事実――第二次世界大戦中の事実

第二次世界大戦でも、次のような事実がありました。アメリカの陸軍の場合、敵との遭遇戦に際して、火線に並ぶ兵士100人のうち、平均してわずか15人から20人しか「自分の武器を使っていなかった〔発砲しなかった〕」のです。その割合は、戦闘が1日中続こうが、23日続こうが、常に一定でした。何千・何万という兵士を対象に調査をしても、その結果は同じでした。発砲しない兵士たちは逃げも隠れもせず、戦友を救出するとか、武器弾薬を運ぶとか、伝令を務めるといった、発砲するより危険の大きい仕事を進んで行なっていたのです。人は、より大きな危険をおかしてでも、人を殺したがらないのです。

 アメリカの空軍(当時の陸軍航空隊)の場合、撃墜された敵機の3040%は、全戦闘機パイロットのわずか1%未満が撃墜したものでした。ほとんどのパイロットは「1機も〔撃ち〕落としていないどころか、そもそも撃とうとさえもしていなかった」(ゲイブリエル)のです。

  

おそるべき教練・条件付け・プログラミングの効果

クレフェルトは「戦争の歴史は訓練法の歴史と言ってよいほどだ」と言います。兵士の訓練法は「同種である人間〔敵〕を殺すことへの本能的な抵抗感を克服するために発達してきた」のです。アメリカは第二次世界大戦以降のマーシャルの調査結果を真剣に受け止め、多数の訓練法が開発されました。その結果、第二次世界大戦では発砲率が1520%だったのに、朝鮮戦争では55%に、ベトナム戦争では9095%に上昇しました(ただし、グロスマンの挙げた数字を信じるならば、命中率については上述のとおりです)。現在では、さらにリアルな訓練法が開発され、発砲率・命中率ともに上がっているはずです。 

J・マスターズの『マンダレーを過ぎる道』に挙げられている機関銃班の行動記録では、アメリカのある銃手は日本軍の機関銃で顔と首が撃ち抜かれても、無意識的/反射的に訓練された行動をとったそうです。つまり、銃手は副銃手がすぐに銃撃できるように、副銃手に席を譲るような形で倒れ、息を引き取る直前に、副銃手の肩を叩いていたのです――次は君の番だよ、と。「訓練」「条件付け」「プログラミング」の効果がいかに大きいかを、私たちは認識すべきです。筆者には、その兵士の行動を否定するつもりは毛頭ありません。自分がそういうふうに訓練されたら、その銃手のように行動するでしょうから…。

 

おわりに

グロスマンは「殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが、本能的・理性的・環境的・遺伝的・文化的・社会的要因の強力な組も合わせの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在するその〔殺人への抵抗がもつ〕力の確かさが、人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる」と結論しています。筆者はここに、世界平和を実現する鍵を見つけ出せないか、と考えています。しかし、先回のブログおよび今回のブログの「はじめに」で紹介したクレフェルトの見解も無視することはできません。

olive.jpg今回のブログでは、クレフェルトの見解と対立するグロスマンの見解を紹介しました。たとえ結論は出せなくとも、皆さんが2回のブログで取り上げた問題について自分なりに考えることが重要です。それが、私たちにできる平和実現のためのささやかな行為だと思います。われわれはその程度のことしかできません。しかし、たとえその程度のことであっても、しないよりはましです。

最後になりますが、ここでとりあげた2人の経歴と見解との組み合わせに見られる好対照に興味を引かれました。一方で、23年間もアメリカ軍に所属していたグロスマンは「人は本来的に人を殺さない」という見解をいだき、その一方で「観想生活」をえらび軍隊と距離をいたクレフェルトは「人は人を殺すことに喜びを見出すことがある」という見解をいだいているのです。筆者としては、クレフェルトの一連の仕事を高く評価していますが、彼の見解には賛成したくありません。皆さんはいかがでしょうか?

ブログ「戦争と文化」の第6回目は、やや間があきますが、7月1日にアップとなります。その間は、「カルスタ、あれこれ」が3回続きます。複雑ですが、ご了承ください。

 

追記

なお、クレフェルトの一連の仕事ならびに「戦争」については、防衛省防衛研究所戦史部第一戦史研究室長である石津朋之氏の「解説――人類は戦争に魅了されている?」(『戦争文化論』(下巻)所収)を読むことをお勧めします。

 

【参考文献】

D・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』ちくま学芸文庫、2010年、とりわけ4097頁。

※信頼に足る著作ですが、翻訳書についていえば、詳細な出典が明記されていないのがまことに残念です。筆者は原著を入手していませんが、ひょっとしたら原著には出典が明記されているかもしれません。また、アメリカが関与した戦闘/戦争が主な根拠になっていますが、もしも人類史的規模で資料を収集できたら、異なる結論が出てきたかもしれません。しかし、それは実現不可能な希望です。

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