学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

カルスタ漫画・アニメ・ゲーム研究会「トワイライト」の活動報告⑱

トワイライトの新しい報告です。

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 トワイライトメンバーKMです。私の秋の担当回では1967年に制作されたオードリー・ヘップバーン主演のサスペンス映画『暗くなるまで待って』を見ました。『暗くなるまで待って』でオードリーは麻薬密売組織のいざこざに巻き込まれた夫サムを救うべく奮闘する盲目の女性スージーを演じています(一番の被害者はスージーなのですが…)。オードリーの演技に見えない盲者の演技にメンバーは感心していました。

 映画視聴後、メンバーから出た意見(というよりも疑問)は「目が見えないのと見えるのではどちらが恐ろしいのか」というものでした。私たち視聴者は敵が何をしているか、何が起こっているか見えるから恐ろしいと感じます。一方、スージーは敵が何をしようとしているか、何が起きているか見えないから恐ろしいのです。『暗くなるまで待って』は視聴者に目が見えるという恐さを思い知らせながら、目が見えない恐ろしさを想像させます。映画のクライマックスである敵の親玉ロートとスージーの一騎打ちのシーン(語弊あり)では、画面が真っ暗になり、二人の会話と物音しか聞こえなくなるという演出がなされています。つまり視聴者とロートは視力が奪われ、スージーと同じ見えない状態に置かれるということです。そして再び見えるようになったとき、スージーの嘆きは視聴者の嘆きになるのです…。

(しかしトワイライトでは日本語字幕ありで視聴していたため、字幕が画面に映り、『暗くなるまで待って』の視力が奪われるという演出を体感することは出来ませんでした…。もうちょっと英語が分かるようになりたいものです。)

 また『暗くなるまで待って』において、スージーの援助者となるのは同じアパートメントに住むグロリアという少女です。最初はスージーとグロリアは険悪な雰囲気ですが、物語が進むにつれてグロリアがスージーの目となり、足となります。彼女無しではスージーは自分が置かれている状況を正確に認識することは出来ず、間違った人物を信用するしかなくなっていたでしょう。そうみると『暗くなるまで待って』は男性(敵側は男性3)と女性の対立、障害を持つ女性と少女という社会的弱者が知恵を使って危機を乗り越える物語と捉えることができるのではないでしょうか。

 『暗くなるまで待って』は最初から最後まで予測不可能で目が離せない映画です。目が離せないからこそ例の演出シーンでの字幕が邪魔でしょうがない…!目が見える視聴者が『暗くなるまで待って』を最大限に楽しむ方法はただ一つ、英語学ぶから待って。

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舞台から映画化されて話題になった映画です。
学生が生まれるよりもずっと前に制作された映画ですが、新鮮な驚きを楽みました。
そして「英語学ぶから待って」・・・Wittyなすばらしい動機まで得ました。
分析力と文章力、どちらも鍛えているトワイライトです。

                                    ♪伊藤淑子

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