学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

公開授業の学生コメントをご紹介します

暑い夏、いかがお過ごしでしょうか。                       
学生のみなさんは、卒業論文や就職活動などで忙しく過ごされているかもしれません。
受験生のみなさんは受験に備え、一生懸命に勉強をしていらっしゃることと思います。

 
さて、以前ご紹介いたしました、7月7日に開催した公開授業の学生コメントが届きましたので、いくつかご紹介いたします。


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 南部は軽蔑されており、先生が南部の食べ物の調理方法を聞いたら下に見るような目で見られたというエピソードは、今でも北と南の対立があることを実家せざるを得ないと少々悲しくなった。だが、戦争中の飢饉の中では一部では北部の人も南部料理を食べていたというから驚きである。私は南部料理の説明を聞いて美味しそうだと思った。聞いただけの私より、実際に食べた北部の人は、食べてみても新しい発見や美味しい料理との出会いはなかったのだろうか。もし、差別的に考える思考が、五感より先に来て美味しく感じられないのであれば、それはもったいないことだと思う。
 マミーの存在は、『風と共に去りぬ』において重要な立場におり、身体的特徴や料理上手という母親的存在が、白人のスカーレットの精神的な支えとして存在する。家族の一員であるが、同時に奴隷でもあったと知り、マミーは心強い存在であるにも関わらず、差別があるという複雑な立場であることが分かった。また作品と、奴隷制度や南北戦争という現実問題、小説の舞台の年号を合わせることでリアリティが増すのかもしれないと思った。




 短編『人類学者の子供たち』の語り手であるジョージは、友人のファティマに祖先の人種をネタにちょっかいを出す。私は、その二人の様が、まるで「喧嘩するほど仲が良い」のような間柄に見えて仕方がなかった。ただ、最後のシーンで彼女に接吻をしたがために舌を噛まれた彼の思考は、実に難解だった。
 ジョージはファティマに対し、「人食い」の子孫として高圧的に接しているものの、日系アメリカ人との類似性も見出していた。また、父親の食べ方に言及したり、母親を吸血鬼と揶揄したりするなど、周囲の人を「人食い」と捉えている。一見すると、ひねくれた見方をしているようにしか見えなかった。日系アメリカ人だからという理由ではなく、そこに類似性があるからという理由での見方だとするならば、ジョージは人類学者の子供として研究するかのような眼差しで観ているように思えた。


 アニメーション作品の『ソーセージパーティー』という作品で黒人風で描かれたグリッツさんというキャラクターがいたのですが、なぜ黒人風のキャラクターなのだろうと疑問に感じていました。今回、グリッツが南部料理であり、どのようなものかを知ることができ、とてもスッキリしました。またスイカと黒人の女の子の広告が差別の構造をもつとは正直驚きました。食べるものからも地域差や国の違いのようなものがあり、階級や身分などの差別があるとは知りませんでした。
 人食いに関する授業では、やはり未開である、文明があるといった区別の考えが濃いように受け取れました。自分としては、食人と吸血は同じくらい怖いのに、なぜ吸血はそこまで怖がられないのだろうと聞きながら感じました。

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                                        ★副手 髙野

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