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国際文化コース

カルスタ漫画・アニメ・ゲーム研究会「トワイライト」の活動報告㉒

冬休みが終わり、キャンパスにも活気が戻っています。
昨年度の活動の新しい報告が届きましたので、2回にわけてメンバーのコメントをご紹介いたします。

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こんにちは、MAです。卒論期間が終わり、久々のトワイライトを行い、今回は2回に分けて『マイ・フェア・レディ』を鑑賞いたしました。
さて、この度のトワイライト報告書は複数のトワイライトメンバーのコメントをまとめました。
同じものを同じときに観ているはずなのに、少しずつ違うことを思ったり、同じことを考えたりしている様を楽しんでいただければと思います。

・NNより
『マイ・フェア・レディ』は全体的に華やかで愉快な映画だったが、見終わったときわたしは釈然としなかった。
主人公の、貧しい花売り娘だったイライザは、言語学者ヒギンズの指導により上流階級の誰もが認めるレディに成長した。
外面だけでなく、彼女自身も成長し、最後にはヒギンズと決別する。
しかし、ヒギンズ自身は最初から何も変わっていない。最初から最後まで女性を見下しており、
イライザのことも「自分(男)より劣った存在の女」としてしか見ていない。
それなのに最後に出ていったイライザに戻ってきて欲しいと願う。
イライザも「あなたにはもう会わない」という趣旨の発言をし出ていったにも関わらず、戻って来るところで物語は終わる。
この構図は、わたしにはイライザとヒギンズを「想い合う男女が結ばれ、めでたしめでたし」というハッピーエンドの枠に押し込めたように見えた。
この映画のテーマは、イライザの成長と自立だと思って観ていたのに、最後にそうではない形に終わったので、肩透かしを食らったような気分になった。
イライザをヒギンズの元から離れさせ、完全に自立させてあげないと、イライザの成長は完成されなかったのでは?と思うのが今回の感想である。

・MNより
『My Fair Lady』を観て強く感じたことは、言葉は人を縛ってしまうものだ、ということです。
イライザはヒギンズによって見違えるような Lady になったものの、ヒギンズに出会いさえしなければ彼女が Lady になる道は存在しませんでした。
「運がよけりゃ」と歌ったイライザの父も、その通り「運良く」金持ちになってしまい、そして得た金に生き方を支配されてしまいます。
ヒギンズは、家を去ったイライザに「君がいないと寂しい」と白状するやいなや、イライザの声の録音を聴き出すなど孤独に苛まれる描写が見られます。
よく、ものを覚えるときは声に出して覚えると良い、と聞くことがありますが、『My Fair Lady』においてそれは「良い」程度に収まるものではないような気がします。
イライザが Lady になったように。イライザの父が運を呼び寄せてしまったように。ヒギンズが寂しさに気づいてしまったように。
言葉は私たちが思う以上に、絶大な力を持っているのかもしれませんね。

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★副手 高野

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