学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

カルチュラルスタディーズコース

トワイライト同窓会の様子2

前回の『未来のミライ』に続き、『映画 刀剣乱舞』の感想をご紹介します。

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●M.Aさん 
※ファンなのでだいぶ贔屓目で見ています。
 ゲーム刀剣乱舞は「物が語る故に物語」という言葉をよく使うのだが、本映画は刀だから知り得たということを物語にしているようだ。織田信長の最期については諸説あるらしいが、刀剣男士という舞台装置を上手く利用して現実味を持たせたなという気持ち。タイムスクープハンターというテレビ番組を知っているだろうか。私はあの番組は一応歴史ドラマだったと思ってるのだが、本映画もそんな感じであった。刀のイケメン擬人化色物ファンタジーだと思ったら普通に歴史ドラマだった。だからといって何になるわけでもないけれど、新しい形の歴史ドラマとして有りだと思うのだ。

●M.Kくん
 刀剣男子と時間遡行軍(歴史修正主義者)とが「歴史」めぐって戦う物語です。視聴後は、本作の戦いの構図を「未来を変える者」と「未来を守る者」だと考えてました。しかし、他のメンバーが指摘していた歴史を見る視点が人ではなく「刀」であることは、本作の大きな特徴だといえます。そのため、刀剣男子たちは作中で「未来を守る」ではなく「歴史を守る」という言葉を強調して語られていたのではないかと思いました。また、主観的な見方ですが、2.5次元化した美少女キャラが大衆に受け入れられにくいと感じる一方で、刀剣乱舞を2.5次元化した本作は個人的に違和感なく視聴できてとても楽しめました。
(三日月宗近に至っては2.5次元の方が好きです…)

●N.Mさん
※贔屓目マシマシで冷静さを欠いているので少しだけ……
 「物が語るゆえ、物語」。公式設定画集の最終頁には、こう綴られている。物はあくまで語り部であり、本筋の歴史に介入することは許されない。この場合の物とは刀剣男士を指し、なるほど見事にその掟を(ややグレーなやり方ではあるが)守ったなというのが観賞後の感想だ。
 語り部である刀剣男士は、送り出された時代の人間が正しく生き/死ぬ様を見届け、守ることしかできない。虚しい戦いかもしれない。けれどその人間が正しく生き/死ぬ間に、存分に生き/死んだことを知るのは、語り部である物たちだ。映画『刀剣乱舞』は、物が語る故描き出すことのできる、正しく鮮やかないのちの一節だ。と考える。
蛇足:刀剣乱舞の2.5次元作品にはミュージカルもあり、そちらも観劇者が唸るような歴史解釈を提示されるのでご興味のある方は是非。

●Y.Nくん
 いわゆる擬人化モノは最近ではよくあるが、この作品からは「刀から見た歴史」というものを感じとることができる。人間の視点であれば善悪などの考え方や複雑な感情がどうしても入りがちになってしまう。しかし刀の視点からはそれはない。「正しい歴史」「主の命」こそが善であり、それを脅かすものが悪なのだ。もちろんかつての刀の持ち主たちの死に様を見る刀たちの表情は複雑だが、そこに過剰な悲しみや憎しみは無いように見える。これは、刀たちが「歴史を紡いできた人々が瞬間瞬間を懸命に生きた末に死んだこと」を人間よりもよく理解しているからではないだろうか。終盤の三日月宗近と信長のやりとりからもそれがわかる気がした。

●M.Kさん
 慈悲のない話だなというのが『映画刀剣乱舞』を見た私の率直な感想だ。 
キーパーソンである織田信長は、映画のなかで3回も裏切られた末に自害する。というか、三日月宗近によって自害させられると言った方が正しい。
 安土城で三日月の真意を知った信長の気持ちを考えるとなんとも言えない気分になる。命からがら本能寺から脱出できたのに、信用してた部下には裏切られ、自分を目的の場所まで導いてくれた見目麗しい謎の青年の目的は自分が自害すること‥。いや、キツイって。「今」を生きようとしている信長にかける言葉が、「あなたの死は歴史的に大きい出来事だから、ここで自害してくれ」とか無慈悲にもほどがある。信長からすれば「知らんがな」だ。
 そもそも、「刀」である刀剣男士たちからすれば、人間の歴史なんてどーでもよくないか?敵と戦えば死ぬ(折れる)可能性もある彼らにとって、歴史改変を阻止する活動はなかなかにリスキーだ。そこまでして人間の歴史を守るのはなぜなのだろう?人間によって作られて、人間に使われてきたから?恩を感じてのことなのだろうか。
 現代において刀剣(男士)は代替え不可な「宝」だ。宝となった刀剣に価値を与えるものは「歴史」だ。つまり、刀剣男士たちにとって歴史とは、今の自分たちの価値を証明する何よりも重要なものだ。歴史改変が起こったことによって、自分の価値が国宝からそこら辺の刀に下がるのは絶対にごめんだろう。そりゃ、歴史改変を阻止しようと戦うわけである。だからこそ、彼らが守る歴史は「真実」ではなく、世間に浸透している「説」なのだ。
 映画のなかで、三日月宗近が他の刀剣男士が踏みつぶした野の花を手に取り見つめるシーンがあるが、あの花の扱いが刀剣男士にとっての人間なんだろう。綺麗だ、可愛いと愛でることも踏み潰すことも、摘み取ることも出来てしまう。刀剣男士が守る歴史は「真実」ではなく、世間に浸透している「説」であるように、彼らにとって、人間なんて自分たちの価値を維持するための道具みたいなものかもしれない。これでは、どっちが「道具」か分からない。私にとって、この映画はかなり無慈悲でシビアな映画だった。あと、やっぱり山本耕史はかっこよかった。

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★助手 髙野