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国際文化コース

【人文学科国際文化コース】 リレー国際体験記(12)伊藤淑子②

記憶に残る最初の「国際体験」は、アメリカから一時帰国して、客間に滞在している親戚に遊んでもらったことでした。まだ私は4歳くらいでしたから、確かな記憶ではないかもしれませんが、それでも鮮明な思い出です。見せてくれたり話してくれたりすることのすべてに、幼い全神経をとがらせていました。

幼い私にとって新鮮だったのは、母が本当に興奮していたことです。母にとっては姻戚関係になるわけで、はじめて出会う身近な「異文化」に、若い母も興味津々だったのだと思います。私の記憶の半分以上は、母をとおして体験したことかもしれません。

「私の知らない文化や生活がある、私のいる世界とはちがう価値観や考えがある」という幼いながらも実感をともなう学習は、豊かさへのあこがれとともに、私の原点の一つになりました。だれもが、どこかで、自分自身の世界を広げる体験をするのだと思います。私の場合は、記憶をたどることができるかぎり、これが最初の体験です。

何か理由を見つけては、客間をもじもじと訪ねて、「異文化」に、魅了されました。
自分から来たのだから、自分で話題を見つけなければならない、というコミュニケーションの「ルール」は、幼い私も心得ていたようで、ある日、傷とも言えないような指の傷を見せて、「ここをけがしている」と話のきっかけにしました。

すると、親戚のおばさんは、バッグのなかをごそごそと探して、「アメリカにはこんなものがある」とバンドエイドを取り出し、はってくれました。

はじめてバンドエイド(救急絆創膏)をつけてもらった私は、嬉しくて、親戚が帰ったあともずっと、家族や友だちに、じつに大袈裟に自慢していたように記憶しているのですが、最近の絆創膏でもちょっと水にあたれば外れてしまいますから、そんなに長いあいだ指にとどまっていたとは思えず、「作られた記憶」なのかもしれません。

調べてみると、バンドエイドは1920年にアメリカで考案され、1921年に発売されたとのこと、日本では1959年から販売が始まったとのことです。(日本衛生材料工業連合会)

救急絆創膏がいつから日本全国に安価な商品として普及したのか、1960年代にはまだ一般的ではなかったように思います。とりわけ田舎で育った私は、当時、まだバンドエイドを見たこともありませんでした。

いまでもバンドエイドを目にすると、なんだか懐かしく、両親の家の客間で始まった私の異文化体験/国際体験のファーストステップを思い出します。

と、今回は懐古趣味的な話をしてしまいました。
本当にアメリカに行くのは、そのあとずいぶん時間が経ってからです。次回はその話をしたいと思います。

〇〇〇

いまは春休み、学生たちは思い思いに充実した時間を過ごしていることと思います。受験生の人たちは、入試真っ只中でしょうか。すでに合格の確定している人は、ぜひ高校生活の有終の美を飾ってください。

4月に新学期が始まったら、ぜひ、たくさん話を聞かせてください。在学生がキャンパスにもどってくるのも、新入生をキャンパスに迎えるのも、心から楽しみにしています。



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