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日本文学科

【日本文学科・授業紹介】ゼミ合宿のご紹介【中世文学ゼミ編1】

大正大学には、「ゼミ合宿」の制度があります。このゼミ合宿は大学からの宿泊などの補助を得て、授業期間外に体験的な学びを得ることを目的として行うことができるものです。授業期間外とはいっても、実施する場合には演習などの授業の一環としての取り組みですので、ゼミごとの目的にそって設けられた課題などにも取り組みながら、各自の研究課題にもリンクさせて活動を行ってます。

本記事は全3回中1回目(1日目)の記事となります。

日本文学科中世文学ゼミでは、古典文学の理解を深めるために実際に現地を歩いてみようということで、9月19日~21日に、2泊3日で京都研修を実施しました。その報告を、3名の学生記者さんたちが報告します。現地集合・現地解散の2泊3日で、ゼミ生と教員で拝観・見学をして回ります。 9月19日(木)10:20に京都からすまホテルで集合。荷物を預けてから出発です。まだまだ残暑厳しい中、京都の寺社を見聞してきました。では、以下、3名の学生記者さんたちからそれそれ一日ずつの報告です。


〔京都研修1日目〕2024年9月19日(木) 
日本文学科古典ゼミ(中世文学ゼミ)の3.4年生のメンバーと担当教員で京都に行きました。1日目に訪問した寺社の説明や、実際に足を運んだ感想や見所について書いていきます。

まず、初めに向かったのが上賀茂神社です。上賀茂神社は、寺伝によると天武天皇六年(677年)に創建され、国宝2棟と重要文化財41棟を含む広大な敷地が、ユネスコ世界文化遺産に登録されている神社です。また多くの寺社のある京都でも歴史の古い神社で、賀茂氏の氏神として祀られたのが始まりです。

上賀茂神社に行ってみて1番に感じたのが敷地の広大さです。祈祷殿に行くまでに大鳥居、一の鳥居、二の鳥居、そして楼門があり、周りを見渡すと敷地が広がっていました。
二の鳥居を通り、辺りを見回してみると立砂が目に止まりました。立砂とは賀茂別雷大神がご降臨されたと云われる神山の形を模して作られた円錐形状の盛砂です。産まれて初めて立砂を見たので不思議さと好奇心で凝視してしまいました。賀茂別雷大神は法除の神とも信仰されており、「清めの砂」として知られていたそうです。そして、楼門を通り、祈祷殿の中で祈祷をしていただきました。そこでは目に見えない神秘さを感じることができました。

次に、向かったのが下鴨神社です。正式名称は賀茂御祖神社といいます。


下鴨神社の場所は賀茂川と高野川が合流する場所に鎮座し、賀茂川の下流にあり、古くから賀茂御祖神社を表す際は「鴨」の文字が使用されたことから、下鴨神社とも呼ばれています。京都を拓かれた神様として信仰され、平安京遷都以降は国家鎮護の神社として、崇敬されていました。

実際に、下鴨神社に行ってみて驚いたのは糺の森という場所です。ここは、社殿を取り囲んでいる森のことであり、甲子園球場の約3倍の面積を占めます。その森の中に方丈庵という鴨長明の庵を復元した建物を見学しに行きました。広さは畳4畳ほどの小さな庵でした。方丈庵を初めて見て、一目すると寂れた小屋にしか見えなくて、鴨長明はこんな庵に住んでいたのかと、その生活ぶりを想像することができました。

次に訪ねたのは高台寺です。

高台寺とは、豊臣秀吉の正室の北政所(ねね)が、秀吉を弔うために創建したお寺で、慶長11年(1606)の開創です。伏見城から移築された観月台や高台寺蒔絵が施された霊屋などの数多くの重要文化財があります。

高台寺を拝観して、印象に残った場所は重要文化財に指定されている開山堂です。高台寺境内の中央付近にあり、緑豊かな景観と見事に調和していて気持ちが穏やかになりました。元々、開山堂は北政所の持仏堂だったそうです。さらに、印象深かった場所は観月台です。ここは、北政所が亡くなった豊臣秀吉を偲びながら月を眺めていたと言われています。風情のある眺めでした。

最後に、合宿初日の最後に訪問したのは八坂神社です。

八坂神社とは、全国に約2300社鎮座する八坂神社や祇園信仰神社の総本社です。高台寺からほど近く、歩いて10分ほどで到着しました。八坂神社に入って目に入ったのは舞殿でした。

日が暮れて暗くなってくると明かりが灯り、幻想的な雰囲気を感じました。お茶屋や付近の料亭などの名前が書かれているようです。八坂神社の中には6~7割が外国の方で賑わっていました。
 
以上、初日の研修報告でした。
(学生記者Aさん)


中世文学ゼミの合宿1日目の報告は以上です。

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