学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

哲学・宗教文化コース

先生、質問です(1)

秋学期も終盤を迎えました。
哲学・宗教文化コースの1年生、最近、メキメキ「質問力」がついてきたようです。
たとえば星野先生の「宗教史1」の授業。
日本の宗教の歴史を学ぶという内容ですが、江戸時代のキリシタンについて、
「キリスト教は、ローマ帝国から迫害を受けながらも広がり続けたのに、
日本のキリシタンはなぜ『かくれキリシタン』のままだったのでしょう?」
という鋭い質問があり、先生をうならせました。

このような質問をする力は、哲学の基礎力でもあり、
同時に、今、多くの企業が注目している「問題解決力」にもつながるものです。

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そこで、コースの学生や、同じ人文学科の他コースの学生の皆さんから、
本コースの教員陣に対する質問を募ってみました。
そのいくつかをご紹介します。

一番多かったのは、一言にまとめると、
なぜ哲学者になったのですか?」
でした。 
そうなのです。大学の哲学の先生は、「哲学者」でもあるのです。
どんな人が哲学者になるのか?
なぜ哲学者になったのか?
たしかに興味がわきますね。

それでは回答です。

司馬先生:
哲学を志したきっかけの1つは、「正しさ」とは何なのかという疑問です。
高校の時は数学・物理に興味があったのですが、
「なぜ、これが正しいと言えるのか」という疑問がいつもありました。
その「正しさ」が国語や社会の「正しさ」と違う、何か絶対的な「正しさ」に見えたからです。
また、大学に入って、いろんな思想(イデオロギー)を持った人と話したり、
自分も学生運動にのめり込んでいく中で、
「なぜ、人はこんな偽物を『正しい』と思ってしまうのだろう?」
と疑問に思いました。
いろんな「正しさ」の狭間で揺れていた時、その「正しさ」の「意味」を問おうとしたら、
哲学しかなかったのです。

もう1つのきっかけは、大学で専門を選ぶ時期に、父の住職の仕事をひきついだことです。
入学当時は、環境省(庁)に入るつもりで理系に進んだのですが、
父から「(お寺の仕事を)もうできないから頼む」と言われ、
住職と兼業できて、しかも自分が懐いてきた疑問を追いかけることができる
哲学科に転部しました。


春本先生:
高校生の時に倫理社会や漢文の授業を受けて、
如何に人生を生きたらいいのかを考えてみたいと思ったのが、
中国哲学を専門的に研究することになったきっかけです。
特に、老子の無為自然の哲学
に強烈な印象を持ちました。
無為で何もしないのが自然で、それが人間の元来あるべき姿、生きる道なのだとの
老子の主張に興味を覚えました。

そして、大正大学元学長、中国哲学専攻教授の安居香山先生に
学部・大学院と御指導を頂いた事、
並びに、東京大学大学院生の中国哲学研究会
(公羊注疏研究会)に参加させて頂き、
漢文
(白文)の現代語訳化の翻訳作業を行い、
その時に学者、研究者のあるべき姿勢のようなものを学んだのがきっかけとなっています。
哲学、特に中国哲学とは何か?
学問として、人生の哲学として如何に中国哲学を究めたらいいのか、
その方法論のようなものを諸先生方に教えて頂いたのが、
春本の中国哲学の教員となったきっかけです。


星野先生と私(教務主任)は、哲学者というより宗教学者なのですが、
私の場合は、自分に信仰がないもので、
「なぜ宗教を信じる人がいるんだろう?」
と疑問に思ったのが、大学で宗教学を専攻したきっかけでした。
入学前は、宗教学は哲学と同じようなものだと思っていたのですが、
実際に授業を受けてみると、
「世界の神話や神々」も出てくるし、
「シンボルの解読」も出てくるし(『ダヴィンチ・コード』みたいな)
「祭りの構造」を調べるために、秩父の夜祭を見に行ったり、
いろいろできるので大満足。
今でも、これほど面白い学問はない、と思っています。

星野先生は大学2年のときに、やはり宗教学は面白そう、と思い始めたのだそうです。
星野先生が宗教学者を目指されたきっかけは、大学院のとき、
指導教授増谷文雄先生からアメリカへ留学してみないかという誘いをいただいたこと。
留学先のシカゴ大学は、宗教学がとても盛んでした。
神話や神秘学の比較研究で世界的に有名になったエリアーデという宗教学者、
儀礼の研究でやはり第一人者になったターナーという人類学者が活躍していました。

実は、星野先生が留学なさっていたのとほぼ同時期に、私は
そのシカゴ大学の近くの幼稚園に通っていました。
(親がやはり留学していて、それに半年ほどついていったのです。)
自分のことを話すのは恥ずかしいので、星野先生にもお話したことがないのですが、
なんだか、「ご縁」を感じます。(内輪な話ですみません。。)

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冬のシカゴ大学。雪に包まれるので、勉強以外にできることがないという
哲学にはうってつけの環境です。

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