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教職コース

【ゼミ報告】いのちを育む医療を支える人たち~共生社会の実現のために~②

前回は楽患ねっとが行っている医療相談と医療コーディネーターの養成についてふれてきました。楽患ねっとは他にもいのちの授業や、デイサービスといった面でも活躍されています。

4.いのちの授業【見つめる】
楽患ねっとでは、いのちの授業というものを行っています。いのちの授業とは、公立小中学校などで、闘病経験のある方や、子供をなくされた方など(語り手)を招き、自分自身の体験を児童・生徒達に伝えるものです。目的は、体験を聞くことで生徒たちがいのちについて考えるきっかけになってほしいということです。
教員や保護者の反応としても、いのちについて親子で話す機会がほとんどないので授業を通して親子で話し合えるきっかけが出来てうれしいという声や、生きるとは・死ぬこととはという実例を教えることで生徒自身が考えさせられたという声もあがっています。
そもそも、このいのちの授業を始めたきっかけは患者支援によるところです。患者から見たいのちの授業として、自身の闘病体験を前向きに発言したり、つらい思いをネガティブなものとして捉えるのではなくポジティブに捉え、世間に広め発信していくためにいのちの授業を行っています。いのちの授業の語り手は、自らの体験を発信していくことで今を生きている気持ちであったり、今は亡くなってしまったがその人がいたことを話すことで癒されるといった反応があるそうです。
東京都荒川区の小中学校で5校、足立・葛飾区の中学校で2校のほかにも一般の方々にも開講しています。近年は、一年に一校程度実施しています。

5.重症心身障害児向けデイサービス【向き合う】
昨年9月に楽患ねっとの中で新しく設立したデイサービスで、重症心身障害児を対象としたデイサービスとなっています。0~6歳を対象としたデイサービスで、東京においては、民間にて重症心身障害児向けデイサービス施設ができたのは楽患ねっとで6か所目になります。
楽患ねっとの行うデイサービスは、成長発達を促す療育や親のレスパイト(休養)を目的として活動しています。遊びの中で成長発達を促し、子供たちの中には他の人と接する機会も少ない子もいて、親以外の人との触れ合い、子供同士での触れあい、遊ぶことがそのままリハビリに直結しているのです。レスパイトに関しては、日々のお世話や介護に疲れた保護者を一瞬でも休養させてあげることで、親自身の時間を提供するといったものです。この写真は遊び場となっている場所や遊び道具です。バランスボールに乗って遊んだり、ピアノや手作りのオモチャで遊んでいます。
また、子供のほとんどは身体的にハンデを背負っているため、安全を期して医療器具も設置されています。

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6.まとめ~人とのつながりと自己力を高めることの重要性について~
私は楽患ねっとをインタビューして、いのちというものは1人で何かを抱えるのではなく、情報を共有することでいのちは繋がっていくこと、いのちは有限なものだからこそ患者、看護師がいのちを重んじ、共生していくという意識が大切であることがわかりました。
医療相談においては、アドバイスやいい病院を紹介するのではなく、自らの意思決定を支え、後押しすることによって、患者一人一人の考えを尊重し、自らのいのちに対して見つめなおさせていることがわかりました。
いのちの授業においては、教育支援をするというよりも患者支援が重要であり、授業をすることによって患者の心のケアをしている。このことから、病気になったことはつらいことではあるが、ネガティブに考えるだけではなく、自ら経験や考えを発信していくことによって、その経験を子供たちに他人事ではなく自分の事のように受け取ってもらい、いのちの有限性やありがたみというものを感じさせたい気持ちが伝わってきました。
重症心身障害児向けデイサービスでは、子供同士の触れ合いの中で療育を行うといった面以外にも親の自由な時間を作り、親の負担を少しでも減らす手助けになっています。こうした活動は知られていないことが多いため、これからさらに普及していくべきものであると考えます。
私の祖父は4年前に亡くなりました。原因は心臓の病気でした。亡くなる前から入退院をくり返しており、祖母だけでは心配だという理由から、私は祖父の手助けをするために一緒に住んでいた時期がありました。買い物の手伝いや、掃除をするといった一般的なことしかやっていませんでしたが、私も含めた親族一同で祖父と祖母のサポートを行っていました。しっかり者で、何でもできる祖父というイメージがありましたが、病気をしてからは私が手伝いをするようになったこともあってか、祖父自らなにかをするということが減り、徐々に弱っていったように感じられます。祖父はその後亡くなりましたが、もっと違った手助けや、祖父のためになることがあったのではないかといまだに後悔しています。しかし、この後悔や、身近な人をお世話したという経験は様々な場面で生かされていると感じます。
現在は祖母も年齢の関係から体が弱ってきており、人の手助けを必要とした生活を送っています。しかし、祖母のためにも「自分でできることは自分でやる」・「物忘れが多くても答えをすぐ教えない」など、自分自身でしてもらうことを意識して接しています。なぜなら自分で出来ることをやらずにすぐに人の手助けを必要とするようになってしまうからです。祖父の頃ならすぐに手伝ってしまっていたことでも、祖母にはできるだけ自分でしてもらい、どうしてもできないことを手伝っています。もしかしたら、他人がその場面を見たなら、私の祖母が可哀想だと思う人もいるかもしれません。しかし、身の回りのことは自分で行うことが大事であると祖父との経験によって実感することができました。また、その経験を祖母に生かすことによって、祖父との経験は無駄ではなかったと感じています。こういった経験や情報をほかの人に伝えたり実践することによって、限りある命はつながりの中で形を変えて生き続けていくのではないでしょうか。