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比較文化専攻

「病気の文化」と「宗教の文化」――星川教授、月刊誌『サイゾー』に登場!

はじめに

  私の著書の1つに、『統合失調症と宗教』(松田真理子氏との共著)というのがあります。これを読んだ月刊誌『サイゾー』のジャーナリスト・里中高志氏がインタビューに来てくれました。

  「比較文化」とも関連があるので、今日はそのインタビューの話をしましょう。「宗教の文化」と「精神病の文化」についてです。

サイゾ

 私は精神科医ではありませんから、専門的なことは言えません。しかし、人類の長い歴史を振り返ってみると、基本的に、次のように言えるのではないでしょうか? たとえば、ある人に起こる体験とかその人の言動などが「宗教的なもの」か、それとも「精神病的なもの」かは、その人の周囲の人が決める、と。もちろん、そうした2つの要素が混在している場合もあるでしょう。その場合には、その事実を受け入れてもいいのではないか、とも考えます。いいかえれば、その人の体験や言動を、宗教/病気のどちらか一方に決めつける必要はない、ということです。

旧約聖書に出てくる預言者たちも、松田真理子氏が指摘するように、病理学的には「幻聴型」と「幻視型」に区別できるかもしれません。また、多くの宗教の創始者も、世俗化が進んだ現代なら「病気」と診断されるかもしれないのです。

学者・科学者・芸術家・小説家など、人類に優れた文化的遺産をのこしてくれた人々のなかには、精神病を患っていたと考えられる人が大勢います。実際に、そのことは多くの精神医学の専門家たちによって研究されてきました。

私が興味を抱いている、ウィトゲンシュタインという哲学者も、内外の精神科医がさかんに研究している天才の一人です。いろいろな病気のレッテルを貼られています。

 

統合失調症表紙.jpg

しかし、発想が普通の人と全く異なる彼の哲学は、現代哲学に大きな影響を与えました。その一方で、彼の後継者はそれほど多くないようです。おそらくその理由は、やはり「普通の頭」「常識的な頭」では彼についていけないからでしょう。

 

たとえば、私たちは「まず行動の規則があって、それに従って行為する」と考えるでしょう。しかし、ウィトゲンシュタインは「まず行為があって、行為の規則はその後で付け足される」と考えます。この見解については、多くの哲学者が議論していますが、普通の頭/常識的な頭では、そのように考えるのはなかなか難しいでしょう…。

私は、病気も宗教もともに、人類の文化に厚みと広がりを与えてくれたと思っています。だから、病気も宗教も人間の文化には大きな貢献をしたと言えるでしょう。また、たとえ宗教と精神病に重なる領域があっても、そのことを否定的に捉える必要はまったくないのではないでしょうか?

おわりに

病気の文化と宗教の文化を比較しながら研究を進めていく。これも「比較文化」の1つのあり方です。みなさんも、自分自身の「比較文化論」を編み出してみましょう。

(星川啓慈・比較文化専攻長)

 【参考文献】
(1)星川啓慈・松田真理子『統合失調症と宗教――医療心理学とウィトゲンシュタイン』創元社、2010年。
(2)『サイゾー――タブーな宗教』2013年1月号。
(3)飯田眞・中井久夫『天才の精神病理――科学的創造の秘密』中央公論社、1972年。
(4)福島章『天才――創造のパトグラフィー』講談社現代新書、2002年。

 

 

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