学部・大学院

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比較文化専攻

戦争と文化(番外編)――宮崎駿氏の『風立ちぬ』をみての雑感

はじめに

 今年の夏も暑いですね…。いかがお過ごしですか?

宮崎駿氏の『風立ちぬ』が上映されるようになる前に、このブログでも『風立ちぬ』を取り上げました。それで、私も「映画を見て何か書く義務もあるだろう」と思って、見にいきました。零戦の設計に携わった堀越二郎の事がどのように描かれているか、興味深々で出かけました。

しかし、内容は予想以上の「純愛物語」で、50歳代も残り少なくなってきた私は「このブログで書くことはないな」と思いました。また、零戦や堀越や戦争についての描き方に不満を覚えた人たちもいると推測します。

今回は、このアニメ作品をさらに深く理解するために、また、零戦についてあまり知らない人のために、いくつかのことを、素人ながらメモします。

ただし、賛否両論があるようですが、『風立ちぬ』は作品として良く出来たものであることは間違いないでしょう。それは、何よりも、方々で取りざたされている興業成績が示しています。

それにしても、二郎と菜穂子の描き方は美しすぎますね…。

 

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         「イカロスの墜落」(17世紀のレリーフ)

 

零戦の軽量化をめぐって

まず最初に、ズバリ、『風立ちぬ』の「註」としてこのテレビ番組を見れば、作品の理解が深まります――『零戦ニ欠陥アリ』(参考資料1)。

これは、堀越を補佐していた、曽根嘉年という設計者の克明なメモの発見により、これをもとに作られた作品です。東條(東条)英機の次男である輝雄氏も登場します。彼も東大出身の優秀な飛行機の設計者でした。その輝雄氏は、堀越のもとで強度計算などに携わっていたのですが、零戦の設計者たちがいかに軽量化と戦っていたかを、語ってくれています。

『風立ちぬ』の中で、ジュラルミンの部品が入った箱が送られてきたシーンがありましたよね。また、機関銃のこともふくめて、飛行機の軽量化の話も何回か出てきました。このジュラルミンの開発が、零戦の完成にどれだけ重要であったかは、よく指摘されるところです。

たとえば、零戦の機体をおおう金属(外板)の厚みを増すと、頑丈にはなるけれども、機体が重くなりすぎる。そうすると、飛行航続距離が伸びない、機動性が優れない。しかし、その厚みを薄くすると、軽くなって航続距離も伸び、機動性も高まる。けれども今度は、強度が落ちて、安全性という観点からは問題が生じる。この問題は、飛行機のみならず、自転車までふくめた乗り物一般がもつ問題です。

機体をおおう外板の素材はおそらく、厚さ0.8ミリほどのアルミ合金の一種だと思われますが、上のような矛盾を解決するために、「超々ジュラルミン」が開発されたのです。

少し詳しくいうと、主翼と胴を一体構造とし、翼の中央部前後に2本の強靭な超々ジュラルミンを、主翼桁として世界に先駆けて使用したのです。

さらに、軽量化を図るために、零戦のいろいろな部品は「肉抜き」(部品から金属を取り去ること)されました。部品を肉抜きすれば機体は軽くなりますが、その分、強度は落ちます。強度が落ちないように厳密な計算をしたうえで、肉抜きをしなければなりません。堀越が計算をするシーンが何度も出てきましたが、軽量化のための計算もでてきたように記憶しています。

現実に、その極限まで軽量化をはかった零戦には、強度的にいろいろな欠陥がありました。その1つが、急降下(ダイブ)する速度に大きな限界があることです(註1)。これを知ったアメリカ軍は戦法を変えます。つまり、戦闘機同士の戦闘で形勢不利になれば、急降下して零戦から逃げればいいことに気がついたのです。

もちろん、アメリカはヘルキャットの開発などに見られるような、技術的な面の改良・革新に力を入れたこともありますが、零戦の戦闘機としてのアメリカの戦闘機に対する優位は、太平洋戦争の半ばで終わります。

それでも、名機・零戦を作った堀越たちの功績は、今後も高く評価されることに疑いはありません。

 

飛行機の安全性や人の「命」をめぐって

陸軍と海軍の軍人が、堀越の飛行機会社を訪れるシーンが数回ありました。しかし、やや意味不明のところもあったような気がします。海軍側と設計側では、飛行機の安全性をめぐって対立がありました。もちろん、当時ですから、基本的に海軍の主張が優先されたでしょう。

攻撃性能を最優先する海軍と、パイロットの身の安全も設計に反映させる設計者の立場の相違をもう少し克明に描いておくと、堀越の苦労がさらに分かりやすくなったでしょうね。

 

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ヘルキャット

 

また、堀越の友人の本庄が、燃料タンクが攻撃される時のことを何気なく述べたシーンもありました。それも、安全に関わる設計をめぐってのことです。アメリカのヘルキャットには、銃撃された時の銃弾のショックを軽減するために、燃料タンクに分厚いゴムを巻くなど、いろいろと工夫が施されていたようです(註2)。零戦のエンジンはおよそ1000馬力、ヘルキャットのエンジンはおよそ2倍の2000馬力ですから、仕方がなかったのですが。

パイロットの「命」捉え方をめぐって、零戦を作った日本とヘルキャットを作ったアメリカとでは、技術力を超えて、設計思想に文化的な相違があったかもしれません。

 

さらに「命」をめぐって

「命」についても、結核で短命だった菜穂子の命と、零戦を操縦しながら失われたパイロットの別の若い「命」についてもう少し詳しく描かれていれば、作品における「命」の捉え方に深みと広がりが出てきたのではないでしょうか? でも、そういうことをしたら、純愛物語としては破綻してしまいますね(笑)。

ついでに述べると、太平洋戦争中の日本の軍人は「敵国の軍人はどうして簡単に降伏・投降するのか」について理解に苦しみました。これに対して、アメリカの軍人は、日本文学の権威で太平洋戦争にも従軍したドナルド・キーン氏も述べていましたが、「日本の軍人はどうして簡単に自害するのか」について理解に苦しんだそうです。

この相違を生み出した理由の1つとして、「生きて虜囚の辱めを受けず」(註3)という戦陣訓をあげることができるかもしれません。

実際に、最高指導者であった東條英機自身も、ピストル自殺を試みます。しかし、銃弾は心臓をわずかに外れ、アメリカ軍の医師の手術で、多量の出血にもかかわらず、命を取り留め、東京裁判に出廷できたのです。一言でいうならば、皮肉にも、東條はアメリカによって絞首刑にされるために、アメリカによって命を救われた、ということになります。

 

堀越二郎と日本初の旅客機YS-11

『風立ちぬ』に登場するイタリアの飛行機設計者カプローニも、夢の中で彼とはなしていた堀越も、戦争で使われない飛行機のことを夢みていたでしょう。しかし、現実問題としては、堀越は戦闘を任務とする戦闘機の設計をしなければなりませんでした。

 

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YS-11

 

ところで、皆さんは「YS-11」(ワイエスいちいち)という飛行機を知っていますか? この飛行機は、太平洋戦争の後、日本のメーカーが初めて開発した記念碑的旅客機です。

この飛行機の開発のさい、1957年に「輸送機設計研究協会」が東京大学内に設立され、ここには「五人のサムライ」と呼ばれる優秀な人たちが呼ばれました。そのうちの1人が堀越二郎です。つまり、彼は、映画でもあったように、戦争とは関係ない日本初の旅客機を手掛けることができるようになったのです(註4)。

個人的なことになりますが、私は愛媛県の出身です。YS-11は1966年に松山空港冲で墜落し、「乗員乗客50名全員死亡」という事故をおこしました。この事故が、当時(10歳)から私の頭にこびりついているので、この飛行機には良いイメージをもっていません。大学時代に乗ったことがあるのですが、なんとなく不安を覚えた記憶があります。

しかし、「頑丈さ」においては定評があったようです。それでも、この頑丈さは、重量増加という欠点にもなって跳ね返ってきました。機体の作りは「近代旅客機の常道通りに総ジュラルミン製のモノコック構造」ですが、「強度重視で重量過大となり、出力の限られたエンジンに対しては重すぎる機体」となったのです。加速もよくなかったでしょうね。

零戦の場合と同じく、YS-11にも強度と重さをめぐる問題があるのです。

 

おわりに

 ギリシア神話に登場するイカロスという人物は、蝋で固めた翼を与えられます。そのお陰で空を自由に飛べるようになるわけですが、その時「あまりに低く飛ぶと、海に呑みこまれるよ。あまりに高く飛ぶと、太陽の熱で蝋がとけて墜落するよ」と忠告されました。それにもかかわらず、高くたかく飛翔したために、蝋が溶けて墜落してしまいます。初めに載せたたレリーフは、このことを表わしています。

この話からもわかるように、「空を飛ぶ」というのは、人類の夢でした。ですから、飛行機は人の心を奪う素晴らしい乗り物です。けれども、その半面、危険だし戦闘や殺人に使用される乗り物でもあります。こうした矛盾するような事柄については、『風立ちぬ』でもよく描かれていたと思います。

セリフにもあったように思いますが、やはり飛行機は「美しくも呪われた夢」なのです。

 私が今回のブログで書いたことを作品に反映させていたら、とても上映時間内にはおさまらないでしょうし、純愛物語も興醒めするでしょう(笑)。

 まあ、戯言と思って、読んだらすぐに忘れてください。

 

星川啓慈(比較文化専攻長)

 

 

【註】

(1)諸資料では限界速度の解釈に幅があります。

(2)操縦席の後ろに鉄板を入れてパイロットの被弾を回避する、操縦席には強度のある防弾ガラスを使用するなど、いろいろあります。

(3)これは人命尊重の観点から批判されるものですが、これを評価しようという人もいるようです。これをめぐる解釈・解説も様々です。面白いと思ったのは、「死して虜囚の辱めを受けず」というのもあり、「生きて」と「死して」という反対の言葉でも、それぞれ意味が通るということです。

(4)細かいことをいえば、YS-11は、1966年から5年間、自衛隊でも使用されました。

 

【参考資料】

(1)『零戦ニ欠陥アリ』2005年、NHK。インターネットで見られます。

(2)ウィキペディア「YS-11」。

(3)映画『東京裁判』1983年。

(4)その他、インターネットで見られる種々の実録映像や番組など。