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比較文化専攻

戦争と文化(23)――世界的ゲームクリエーター・二木幸生氏の講演「戦争とゲーム」を聴いて、現実の戦争と虚構のゲームとの深い繋がりと「世界平和の実現」について考える

はじめに

  11月の末に、学部の戦争関係の授業で、世界的ゲームクリエーター/プロデューサーの二木幸生(ふたつぎ・ゆきお)氏に、「戦争とゲーム」というテーマで講演を依頼しました。講演内容はまさに「戦争と文化」でした。教室いっぱいに集まった学生諸君も、熱心に聴いていました。講演後の質問も相次ぎました。授業後のコメントシートにもびっしりとコメントが書き込まれていました。

 今回は、その二木氏の講演についてお話しします。

 

二木幸生氏について

二木氏は大学を卒業後、セガ、コナミ、ソニー、マイクロソフトをへて、現在はグランディング(株)の取締役・ディレクターです。履歴から逆算すると、30歳代の前半で独立したことになりますね。頭が下がります。現在は、アメリカをはじめとして、世界を飛び回って仕事をされています。

これまでクリエイトしたりプロデュースしたりした作品のいくつかをあげると、次のようなものがあります。

パンツァードラグーン (SS / SEGA '1995)

パンツァードラグーンツヴァイ (SS / SEGA '1996)

ファントムダスト (Xbox / Microsoft '2004)

ブルードラゴン (Xbox360 / Microsoft '2006)

 

 

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戦争ゲーム

 このブログで何度も登場したクレフェルトの『戦争文化論(上)』(原書房)の第1部第4章は「戦争のゲーム性」というタイトルです。1890年代、アメリカ海軍はおこりうるさまざまな戦争をシミュレーションするための建物を士官学校に用意しました。本の中には、戦争ゲームをする将校たちが戦争に向けた準備をしている写真が掲載されています。つまり、その建物の中では、戦争の指導者たちは戦争ゲームをプレイして、戦争のシミュレーションをしていたというわけです。また、ドイツ軍は、主要な作戦を行うさいには、まず戦争ゲームで試してから作戦を実行にうつしたそうです。このように、昔から、戦争とゲームは切っても切れない関係にあるのです。

 

ゲームとは何か?

 私は珍しい人間で、これまで一度もゲームをしたことがありません(笑)。しかし、二木氏の話は大変に参考になりました。氏の講演は3つの部分から成り立っていました。

(1)ゲームとは何なのか?

(2)ゲームはいかに戦争を扱っているか?

(3)欧米と日本の最新戦争ゲームの違い

講演は(1)の「ゲームとは何なのか?」という本質的な問いかけから始まりました。

 

 

ルール、世界観、モチベーション

 ゲームの要素には3つあるそうです――「ルール」と「世界観」と「ユーザーモチベーション」です。

  二木氏は「ゲームの本質とはルールである」と断言します。さらにそれを詳細に述べると、ルールは、「何を達成すれば勝ちなのか?」「プレイヤーは何ができるのか? 何ができないのか?」「プレイヤーの障害は何なのか?」「プレイヤーはどうやって障害を取り除くのか?」といったことに深く関係しているそうです。

これはそのまま戦争に当てはまります。上の文章を書き換えると、「何を完遂すれば、作戦の目標(勝利)が達成できるのか?」「軍は何ができて、何ができないのか?」「軍の作戦遂行上の障害は何なのか?」「軍は直面する障害をどのようにして克服するのか?」。

 ルールとユーザーモチベーションが、ゲーム作りに必要なのは予想がつきました。くわえて、ゲームにも「世界観」が必要なのですね。これには少し驚きました。その世界観とは、二木氏によると、「ゲームのイメージを決定づけるもの」「システムの理由づけになるもの」です。

考えてみれば、戦争にも世界観は必要です。兵士が戦闘に赴かなければならないとき、「どうして自分は闘うのか」「なぜ自分は闘わなければならないのか」を教えてくれるものは、一種の世界観ですからね。命をかけて闘う兵士ですから、自分の戦闘行為をしっかりと意味づけしてくれるものを求めるのは当然でしょう。このことは、多くの残された兵士の文章(手紙、遺書、日記など)を読んでもわかります。もちろん、戦闘行為に突入すると、そうしたことについて考える余裕はないでしょうが。

最後に、「 ユーザーモチベーション」ですが、これは、「ゲームを続けたい」「物語(ストーリー)を最後まで見たい」「より上手くなりたい・成長させたい」「何かを集めたい」などといったことと関係しています。ゲームを作る側としては、ユーザーモチベーションが低いとゲームが売れないわけですから、いかにしてこれを高めるかは、売上を左右するでしょう。

戦争の場合、「兵士の士気をいかに高めるか」というのは、きわめて重要なことです。たんに武器をもたせるだけでは、戦闘のためのモチベーションは十分だとはいえないのです。たとえば、こういう例もあります。旧日本軍の兵士が所有していた銃には、皇室の象徴である「菊の御紋」が彫り込まれていました。そうすると、銃には特別な意味が与えられるでしょう。その銃は、ただの銃とは違うのです。

古来、戦争を指導する者たちは、あの手この手を使って、兵士の士気を高めようとしてきました。兵士の士気はユーザーモチベーションではありませんが、兵士の士気とユーザーモチベーションにはおそらく共通するところがあると推測できます。

 

 

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戦争をテーマにするとゲームを作りやすい

二木氏の話によれば、「戦争をテーマにするとゲームを作りやすい」そうです。これは、統計的に、戦争を扱ったゲームが多いことからも理解できます。どうして、戦争をテーマにするとゲームを作りやすいのでしょうか。

それには、大きく、2つの理由があるようです。まず、ユーザーモチベーションからいうと、「勝ち負けがはっきりしている」ことがあげられます。これは「面白いゲーム」の条件でもあります。次に、「人の欲求を満たすシチュエーションが多い」ことがあげられます。戦争にはきわめて多くの側面があります。そうした多数のシチュエーションごとに、ユーザーの欲求を満たすことができるということでしょう。欲求が満たされる回数が多いと、ゲームを続行するモチベーションは高まることが推測されます。

戦争を扱ったゲームに人気があるということは、戦争文化の一側面です。そうすると、われわれはクレフェルトがいう「戦争文化」に絡めとられていて、そこからなかなか抜け出せないということになるかもしれませんね…。

 

“Third World Farmer”というゲーム

 最後に、多くの学生のコメントでも言及されていたゲームを紹介します。それは、“Third World Farmer”というゲームです。このゲームは、いわゆる「農場育成系」のゲームです。

 農場育成系のゲームというのは、自分の農場に作物を植えて収穫し、その稼ぎでさらに農場を大きくしていき、様々な作物を植え、牧畜などを始める、といったような明るく楽しいゲームです。女性や子供にも人気があるジャンルです。

しかし、この “Third World Farmer”は、同じ牧場育成系でもアフリカの貧しい農場を舞台にしています。飢饉と干ばつ、内戦と貧困の支配する農場ゲームです。

まず、普通の農場育成系と同じように作物を植えて収穫を待ちます。しかし、作物は干ばつでまともには育たず、収益がマイナスになります。運よく育っても、豊作で市場が崩壊し、安値でしか買い取ってもらえず、またしても収益はマイナスになってしまいます。仕方がないので、泣く泣く子供を働きに出します。何の仕事をさせているのかはわかりませんが、子供は帰ってきません。

子供がいなくなって労働力がなくなるので、その労働力を補うためにまた子供を作ります。けれども、母親が妊娠すると母親は働けなくなり、一時的に労働力が落ちてさらに収益がさがります。お金がないので健康状態が悪化、薬を購入しますが、さらにお金が減って一家が全滅してしまう…。このように、“Third World Farmer”は希望も何もない農場育成ゲームです。

しかし、ただ希望も何もない、というのではありません。希望はあります。たとえば、違法投棄される化学物質を農場で受け入れるのです。農場の一部をゴミ捨て場として提供するとお金が入り、それで農場を運営できます(将来的に家族の健康に影響する可能性はありますが、生活が逼迫しているのですから、目の前のお金には代えられません)。

また、アヘンの育成が可能な時があります(ゲームの上での話です)。これは大儲けのチャンス。マイナス面はまったくありません。

このように、あの手この手で稼いだお金で牧畜をはじめて、トラクターを買い、農場を大きくしていきます。やがて、ちょっとやそっとのトラブルでは、その農場の家族は死ななくなります。アフリカでいえば、大農場・富裕層の仲間入りです。

ところが、ある日突然、ゲリラがやってきてすべてを徴収していきます。それを防ぐには、政治家に賄賂を渡さなければなりません。その後も、こうしたストーリーが続きます…。

この“Third World Farmer”というゲームは、ゲームとしては破たんしており、普通にゲームすると悲惨なループに陥り、ゲームオーバーが待っています。しかし、二木氏の解説によると、「このゲームは意図的につくられたものであり、破たんしたゲーム性を味わうことで、不条理なアフリカの現実を追体験できる(おそらく現実はもっと不条理ではありますが)ゲームなのです」。

こういった教育的意図をもったゲームを「シリアスゲーム」といいます。二木氏によれば、「シリアスゲームは多くの場合、その内容が教育的内容であるかどうかを重視するので、ガチガチに制約されてゲームとしては面白くないものが多いのですが、このゲームはバランスよく現実とゲームのデフォルメが成立しており、かなり楽しめるものになっています」。“Third World Farmer”は、面白くないものが多いシリアスゲームのなかで、よくできた作品だということですね。

 

 

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さらに、“Third World Farmer”についての二木氏の解説を引用しましょう。

つきつめていくと、「学校に行っても赤字が増えるだけ」「中央銀行と通貨に頼らないほうが勝てる」などというブラックジョークじみた内容、さらに、ゲームのスコア自体が「統計的なもの」だけで集計されており、アヘンをつくる事や家族を売るといった倫理面がまったく加味されない事も、ゲームに奥深さを与えています。通常ゲームでは、すごくリターンの大きな内容にはなんらかのリスクを用意してゲームバランスをとりますが、このゲームのアヘンにはそれがありません。「倫理観」という人の心のストッパーだけがリスクです。それもまた、このゲームの作り手の主張の一部でしょう。

   ゲームには、こういった「何かを体験させることで新しいことを学ばせる」力もあります。ビジネスとしてのゲームだけではなく、こういった教育のためのゲームというものが今後も増えていき、ゲームの幅が広がることを製作者としては願っています。

 

平和実現のためのシリアスゲーム

 “Third World Farmer”というゲームについて知った読者の皆さんは、どのような感想をおもちでしょうか。私は、次のように考えました。

ゲームのプレイヤーに、戦争を種々の側面から体験させて、戦争の悲惨さを疑似体験してもらうことで、世界の人々が戦争を憎むようになるゲーム/戦争を絶対にしたくなくなるゲームをつくれないものか? 平和維持のために平和維持軍を世界各地に送りこみ、結果的に戦闘行為をくり返している国連も、こうしたことを少し考えてもいいのではないか? まぁ、夢物語でしょうけれどもね。

いや、ユネスコ憲章のなかには「人々の心の中に平和の砦を築く」というような一節があるのですから、その「平和の砦」を築くための手段として、戦争をめぐるシリアスゲームを国連が開発・利用することは、一考の価値があるかもしれません。そうしたゲームを作って世界中の人にプレイさせる。また、人間は忘れやすい動物ですから、定期的にゲームを反復してプレイさせることも必要かもしれませんね。

 

 

おわりに

今回は二木氏の講演を取り上げました。いかがでしたか? 戦争とゲームの深い関係をさらにふかく理解してくだされば、幸いです。

あらためて先生に感謝しながら、終わりとさせていただきます。二木先生、どうもありがとうございました。

前回のブログで予告したように、今回は「重要なお知らせ」についても書く予定でした。申し訳ありませんが、これについては延期いたします。

次回のブログのアップは、本来ならば2014年の1月1日ですが、都合により、2月1日にさせていただきます。

それではみなさん、風邪やインフルエンザに気をつけて、今年最後の月をお過ごしください。

 

星川啓慈(比較文化専攻長)