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比較文化専攻

大正大学大学院比較文化専攻の修士論文のご紹介②

大正大学大学院文学研究科比較文化専攻において2021年度に修士課程を修了する小前 ひろみさんの修士論文の内容の要約をご紹介します。

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論題:原田治郎研究─日本画英語解説の独自性

 原田治郎(1878-1963)は明治末から戦後まで、卓越した英語力を活かし、欧米圏で美術雑誌や百科事典など、多くの人が目にする出版物において日本美術・文化を直接英語で発信した。本稿は、現在では存在が忘れられてしまった原田に着目し、彼の欧米で好評を博した英語解説を、美術雑誌に執筆した日本画に関する記事を中心に分析し、解説の独自性に迫ることを目的とした研究である。
 原田は周防大島に生まれ、知縁のない米国に、若干14歳で単身渡り、苦学の末にカリフォルニア州立大学に入学するというユニークな経歴で英語を身につけている。在学中にセントルイス万国博覧会の日本政府事務局の通訳に採用されたことからキャリアが始まり、帰国して旧制高校教授として英語を教える傍ら、国際博覧会などの外交実務に携わる。
 1910年、原田が31歳の時、日英博覧会報道官として滞英中に、購読者数の多い美術雑誌The Studio誌に日英博の日本美術に関する英語記事を依頼された。原田は記名で執筆し、以降、同誌の通信論説員として多くの日本美術・文化に関する記事を書く。日本人からの発信がまだ乏しかった時代である。原田の執筆記事は、これまでにない具体的な日本の情報を、欧米の中流階級の美術愛好家という、幅広い読者に提供した。
 48歳からは東京帝室博物館の嘱託として、日本古美術の英語解説を世界に向けておこなう。また、The Studio誌からは庭園や建築の専門書を出版し、欧米での知名度が高まり、当時では世界の最高権威であったブリタニカ百科事典14版の寄稿者となる。戦前の日米緊張期に米国でおこなった日本美術の講義は高く評価され、オレゴン州立大学の名誉博士号を取得するに至る。
 戦後は日本古美術展覧会の米国開催実現に尽力するなど、晩年まで東京国立博物館の嘱託を務め、文化による海外交流に生涯を捧げた。


原田治郎 第八高等学校教授時代 1911年頃(名古屋)
河野出奈氏提供


1936年6月に原田がオレゴン州立大学から名誉文学博士号を贈られた際の写真(隣は同時に名誉法学博士号を贈られた、J. Duncan Spaeth博士)
UARef3_b059_f008_021, University Archives photographs, UA Ref 3, Special Collections & University Archives, University of Oregon Libraries, Eugene, Oregon.

 第1章では、原田の先行研究のレビュー、経歴と業績、および美術史的背景をまとめた。先行研究が乏しく不明点が多い原田であるが、本稿では経歴と業績に関する、いくつかの新事実を記述した。

 第2章では、現代においての望ましい英語解説について、官公庁が出した「指針」から提示した。続いて原田の著作から日本語原文があるものを選び、原文と翻訳との対照分析によって、英語解説の翻訳ストラテジーの解明にあたった。その結果、日本語原文を尊重しつつも、欧米人の視点を考慮して、適宜、解説を補足し、理解に不要と考えられる点は削除するなどの、原田の特徴が見えてきた。これらは官公庁の望ましいとする「指針」に合致した。

 第3章では日本画に関する英語解説の分析として、原田が執筆したThe Studio 208号(1910年7月号)を詳細に分析し、さらに同誌の108号(岡倉覚三著)と204号(瀧精一著)との比較分析をした。
 日英博覧会開催時に発行された208号は同博のガイドブック的役割を担っており、原田が同博の報道官であったこともあり、原田は力の入った英語解説をしている。原田は美術専門家以外も多いという同誌の読者層を意識し、通り一遍な作品紹介ではなく、日本画描法の視点から鑑賞方法を説明するという独自の手法を用いた。画家紹介には美術の専門家以外でも興味を引くようなエピソードを添えるなどの工夫をこらし、かつ、当時の日本画の問題点にも踏み込んだ記述もしている。分析からは、原田が外国人の視点を意識し、かつ、幅広い層に向けた記述で鑑賞を誘っていることが明確になった。
 一方、岡倉と瀧の記述は、いずれも日本画評論としては高い水準の文章として考えられるが、欧米人の読者が興味を持つかどうか、日本画の理解を図る上で必要な内容かという視点では疑問が残る。日本人でも知名度の低い人名を列挙したり、日本画壇の繋争を細かく説明したりと、前章の「指針」が推奨する記述ではなかった。

 終章では総括をおこなった。原田の記述は、「指針」で提示された、現代において望ましいとされる英語解説の要件をすべて満たしていた。日本がまだ日本の視点しか持てなかった時代に、原田は欧米人の視点を理解した上で、平易な文章で、内容を理解して貰うことを一義とした英語解説をした。この点に原田の独自性があると結論した。

 原田は生涯を通じて、欧米圏での日本文化の受容と相互理解に裨益したが、まだその全貌は明らかでなく、研究は端緒にある。原田の英語解説は現代においても古びることはなく、日本をどのように伝えるかの示唆に富んでいる。筆者は、原田が新聞に抱負として語り(読売新聞1927年1月26日付)、生涯をかけて目指した、原田のソフトパワーによる平和希求を引き続き研究してゆく。

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第1章の原田の経歴と業績については、大正大学機関リポジトリに掲載されています。
https://www.tais.ac.jp/faculty/graduate_school/major_incomparative_culture/blog/20220315/75350/

大正大学大学院研究論集46号 「原田治郎研究――日本美術における一異文化交流史」
https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2039&item_no=1&page_id=13&block_id=69

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