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こども文化・ビジネスコース

被災地に潤いを届けよう ”花とコーヒーを贈りましょう” プロジェクト 報告書(その1)

日 時
場 所
主 催
共 催
報告者
平成23年4月29日・30日(9時30分~17時)
はまなす館 1階ロビー(福島県相馬市小泉字高池357) 入居者:約400名(4月末)
多文化間精神医学会 (理事長 野田文隆)
大正大学 人間環境学科
鵜川晃(プロジェクト責任者)

プロジェクトメンバー:8名
阿部裕(多文化間精神医学会/四谷ゆいクリニック 精神科医)
篠原慶朗(多文化間精神医学会 災害支援事務局/PSW)
飯田亜佳・松丸未来・村上裕子・田中ネリ(多文化間精神医学会/臨床心理士)
伊藤亜希子(東京武蔵野病院/PSW)・鵜川晃(大正大学/多文化間精神医学会)

ippuku.jpgプロジェクト協力スタッフ
丹羽真一(福島県立医科大学 精神科医)
三瓶弘子(福島県相双保健福祉事務所 PHC)
大川貴子(福島県立医科大学 看護学部)
只野裕一(相馬市社会福祉協議会 会長)

 

 

 去る平成23年4月29日(金)・30日(土)、福島県相馬市にある避難所の一つである『はまなす館』にて「被災地に潤いを届けよう;花とコーヒーを贈りましょう」プロジェクトを実施してきました。その詳細についてご報告いたします。

 

【平成23年4月29日 金曜日】

6時45分に東京駅に集合し新幹線で福島駅へ、さらにレンタカーで相馬市へ。篠原氏には東京から自家用車でプロジェクトに必要な物資を運搬していただいた。はまなす館にて相馬市社会福祉協議会会長の只野氏と打ち合わせ後、14時から「喫茶:いっぷく亭」をオープン。事前に只野氏が館内数箇所にチラシを掲示してくださっていたこともあり、準備中に避難所の方々から「こんな危ないところに来てもいいの?放射能恐くない?」「(喫茶店)楽しみにしてたよ」と声をかけられることもあった。また当日は安部元首相夫人である昭恵氏がはまなす館を訪問中であり、「ボランティアの方々ですか?」と声をかけられる一幕もあった。一階ロビーの一角を借りた会場にはコーヒーなどを準備するテーブル、注文を受け提供するテーブル、花やお菓子、そして大正大学大正サロンに携わる学生の方や地域のお母様方が作成された『お守り』を並べるテーブルを用意した。まわりにはソファーもあり、そこでお茶を飲んでいただくことにした。折しも当日は12時30分から同フロアにてダンスやパントマイムなどのパフォーマンスが展開され賑わいを見せていたこともあり、当喫茶には開店当初より沢山の方々が訪れ大活況を呈した。当日の利用者は3時間で350名強にのぼった。「良いコーヒーの香りに誘われてきた」と訪れる方も多く、17時に喫茶を閉めるまで賑わっていた。

 

喫茶運営中の気づき:震災1ヶ月半後は『甘いもの』が必要??

喫茶店で提供するメニューはコーヒー(ドリップ式)・紅茶・日本茶・ココア・ミルクティー・カプチーノ・抹茶ラテ・生レモン・砂糖・ミルク・クッキーなど2000人分とチョコレート1000人分、和菓子250人分を用意した。和菓子は初日で全てなくなり、他のお菓子も好評であった。また予想以上にココア、抹茶ラテの注文数が多かった。ご所望の方々は「ホントはお汁粉とか食べたいんだぁ。ココアは似てるから飲んでんだ」と語っていた。さらにコーヒーにはスティック2本以上の砂糖を入れる方が多く、避難所には甘いものを欲している方々が多いことが伺われた。よって4月30日は数十人分のみの用意であったが「ぜんざい」もふるまった。

 

彼らの語り:語られはじめた体験

喫茶を運営する一方、プロジェクトメンバーは積極的に避難所の方々との交流を図った。3月末の訪問時と異なり避難所の人々に苛立ちが感じられた。またインターネットを用いて繰り返し津波の映像を見ている人もいた。避難所の方々は3月11日にどのような体験をしたのか事細かに語っていた。「毎晩、津波の夢を見る。悪夢が続いている」「ごーーーーってすごい音が耳から離れない」「お父ちゃん、酒飲んで家で寝てたから家と一緒に流されてしまった」「何も手に持たず逃げた人は助かった。欲を出して家に戻った人は皆、流された。それが生と死の境目だったかもなぁ」「津波で何もかも失った。あれもこれも買ってあったのになぁ」「津波で夫を失った。最近になってしみじみと辛い」「こんなこと言っても仕方ねぇけど悔しいなあ」。また原発立地はからの避難者は「しばらく何十年も住めねえんだべ?先祖代々の土地なんだけどな」と語っていた。避難所の各部屋は村ごとに分かれており、近所付き合いが継続されていた。女性同士の情報交換が頻繁になされていた。仮設住宅は1000戸用意されている。相馬市付近に4箇所に分けて建設されており、概ね村単位で移住予定とのことである。

 

福島県心のケアチーム:避難所を巡回しメンタルヘルス支援を行なっています!

福島県心のケアチームは公立相馬総合病院の外来で診療を行なうのみならず、避難所を巡回しメンタルヘルス支援を行なっている。はまなす館には心の問題を抱えた方が約20名生活しており、心のケアチームは彼らを中心に精神療法や薬物療法を行なっていた。当日は阿部先生を含む4名の精神科医が診療を行なっていた。心のケアは喫茶スペースの傍らで展開された。また、はまなす館には石川県の医療チームが常在しており身体ケアにあたっている。

 

Donationのあり方 : 「私たちが欲しい物は届かない・・・」

はまなす館の一階ロビーには沢山の段ボールが積み重ねられており、中には衣類・毛布・使い捨ての食器・食料品などが入っていた。タイから贈られた段ボール(タイのカップ麺)は手付かずのまま積み重ねられていた。必要な物は届いているのか避難者の方々に伺ったところ「必要なものは届かない。これから避難所を出て生活するのに私たちは食器から調味料(塩・醤油など)まですべて購入しなければならない。国もそこまでは面倒をみてくれない。もらえる電化製品のなかにはアイロンやアイロン台はない。食器も一から揃えたら結構お金がかかる。当たり前の生活をするのに必要なものは届かないね」と話していた。また、はまなす館に避難している方々には布団がなく、約1ヶ月半に渡って床に毛布を重ねて休んでいた。「布団はね、避難所を出る際にもらえるかもしれない・・・とは聞いているけれど。畳や絨毯の上に段ボールや毛布を敷き詰めても寒いし硬い。なかなか寝つけない。枕もないし。身体も痛いし。布団で寝たいね」と話していた。また沢山のdonationや避難所訪問支援について「『ありがとう』と言うのも疲れたな・・・」と語っていた。避難所の方々は喪失体験の反動か、あるいは先々の生活を考えてか不明であるが寝床に様々な食料品をため込んでおり(中にはスティックの砂糖を100本以上ケースに入れている方もいた)、『いつここ(はまなす館)で必要なものが配られるか分からないので留守にしにくい」とも語っていた。

 

避難所の子どもたち:お手伝いしたい!

思春期の女子は母親共々アパートを借りて生活しているケースが多いらしく、避難所ではあまり見かけなかった。しかしながら乳幼児から高校生まで相当数の子どもたちが生活していた。喫茶店オープンと共に、幼児から小学生の子ども数名が近づいてきた。黙々と長時間手伝いをする子ども(母親曰く、震災前からお手伝いをよくするいい子だとのこと)、「何かしたい、何かしたい」と手伝いをせがむ子ども、プロジェクトメンバーに「抱っこー」と甘える子ども、「何々をして!」と命令してくる子ども、喫茶店の新メニューを開発してくれる子ども、「外国人だー」と英語で話しかけてくる子どもがおり、プロジェクトメンバーは子どもたちと一緒に喫茶を運営した。また空き時間を見つけては子どもと一緒に様々な遊びをした。4月30日、喫茶店を閉める際は子どもたちから別れを惜しむような言動はあまりみられなかったが、翌日子どもたちが「あのお姉ちゃんたちは今日は来ないの?もう来ないの?」と繰り返し尋ねていたという報告が聞かれた。ある子どもは「(喫茶店)結構、流行ってたじゃん」とつぶやいていた。

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