学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

文化財・考古学コース

塚田ゼミ合宿報告 (後編)

 

■明日香村の遺跡

 

         明日香村・川原寺跡の礎石に立つ


 午後は明日香村を自転車でまわった。予報では雨だったが、曇り空で暑過ぎることもなくまわることができた。見学した遺跡を順に述べる。

・古宮遺跡 推古天皇の小墾田宮と推定される遺跡。周辺の明日香村一帯は、その景観を守るため、住宅は2階建て以下、自動販売機の配置や色などの規制がある。また、街灯もないため夜は真っ暗になるという。

・水落遺跡 6605月に皇太子中大兄皇子の命で造られた日本最古の水時計の遺跡。精密、かつ堅固な建物にするため、多くの柱が用いられ、柱は礎石でしっかりと固定されていた。

・飛鳥大仏(釈迦如来坐像) 飛鳥時代に鞍作止利によって造られた日本最古の大仏。本来は釈迦三尊像であったが、二度の火災に遭い、脇侍を失い、現在は脇侍があったとされるくぼみが残るのみ。大仏のある飛鳥寺は、火災により伽藍を失い、鎌倉から江戸時代になるまで、この大仏はほぼ野ざらしに近い状態であったとされる。

・石舞台古墳 蘇我馬子の墓とされる。終末期古墳で、元は土が盛られ墳丘が築かれていたが、既に失われている。墳丘下に横穴式石室があり、中に入って見ると、外見以上に大きく感じた。

 明日香村の風景は古代を思わせるもので、道すがら遺跡が点々と存在し、日常とは違う雰囲気を感じることができた。遺跡や古墳は当時の人々の生活に関わるものであり、そのイメージを掴む意味でも、とても有意義な一日であった。(S.N.

 

■滋賀県長浜市・琵琶湖湖底遺跡資料館



    地元の方に湖底から発見された土器のご説明を聴く

 3日目。朝、京都駅を発ち、滋賀県長浜市にある葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡資料館に向かった。前日の夜に予定を変更し、急遽訪問することが決まったのだ。そのため事前の情報が少なく、いささか心配であったのだが、その不安は的中した。

 葛籠尾崎湖底遺跡資料館は長浜市尾上地区の公民館の一室に営まれており、常に解放されているわけではない。私たちが赴いた時も、扉は閉ざされており、そこに張り付けてあったコピーを頼りに、地元の管理者の方に電話したが、まったくつながらない。なんとか電話がつながり、開けてもらう事ができたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。

 正直に言うと、規模からして展示内容に期待はしていなかった。事実、展示室は狭く、資料数も少なかった。しかし、入館してからは驚きの連続だった。

 私は自分の研究テーマが水中考古学であるので、葛籠尾崎湖底遺跡から出土する土器が完形、あるいはほぼ完形で出土することは知っていた。しかし、実物を見るのは初めてだった。そこにあったのは、表面が薄い鉄に覆われた(琵琶湖は鉄分が多い影響で、水と接していた面に鉄が付着する)立派な土器たちだった。

 私たちが普段見る土器は修復されたものが多く、多少なりとも修復痕が目立つ。だが、この資料館の土器たちには修復痕が見られなかった。ひびの入っていない土器たちはどこか新鮮で、私は異様な雰囲気を感じた。

 展示数は少なかったものの、展示内容は十二分に満足のいくものだった。また、どうしてそのような遺物があるのか?葛籠尾崎湖底遺跡の成因は?と、改めてこの遺跡に疑問と興味を抱いた。研究テーマである私だけではなく、他のゼミメンバーも楽しんでいたようなので、そこも含めて訪れて良かったと振り返る。(Y.I.

 

■ゼミ合宿を振り返って

 今回のゼミ合宿は、私たち一人ひとりが興味のある遺跡や博物館を挙げ、三日間でそのすべての場所をまわるという計画だった。天候はあまり良くなかったが、ほぼ計画通りに見学を終えることができ、良かったと思っている。自分たちの足で現地へ行き、遺跡の立地、面積など、事前に調べた情報を実際に自分の目で見て実感したことは、研究分野のより深い理解につながり、卒業論文のテーマ決定に向けて、皆それぞれ少なからず得るものがあったはずである。さらに、日頃時間を共有することの少ない仲間と寝食を共にしたことは、お互いをよく知る良い機会ともなった。特にお酒の入った夕食の場では腹を割った話ができ、とても楽しい時間を過ごすことができた。この経験は今後の私たちの大学生活に活きるものだと確信している。(S.T.


 

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