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『「教養」のリメーク――大学生のために』を編集して(その2)

星川啓慈教授の『「教養」のリメーク――大学生のために』編集こぼれ話2回目です。100803_0945~01.jpg

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 この本は、司馬春英先生[哲学・宗教文化コース]と一緒に作った本だけど、今回は、『「教養」のリメーク』出版まで僕がどんなことをしたか、その一部をお話ししよう。

 

昨年の6月、山崎正和先生に「文明としての教育」という題目で講演をしていただいた。その講演の活字化から僕の仕事が始まった。

AO入試で入ろうとしている人は、山崎先生の『文明としての教育』を読まなければならないよね。その本を書いた先生だ。講演の題目もご著書と同じものをお願いした。山崎先生は劇作家で『世阿弥』などの本もある。僕の高校時代には、国語の本に『世阿弥』が載っていた。劇作家であるうえに、アメリカの大学でも教えられているし、日本の大学の学長もお務めになられたこともある。さらに、教育関係者にとって縁の深い「中央教育審議会」の前会長として活躍されたりもした。いろんな肩書をもった先生だ。僕にとっては雲の上のような存在だ。

その山崎先生の講演のテープを起こしたものが、僕のところに来た。これをいかに仕上げるかが、最初の仕事。もちろん、講演だから、話し言葉が多い。聞いたところでは、一般に、著作家として有名な人は、自分の文章に他人が手をいれるのを嫌がる場合が多いらしい。だから、僕なんかが手をいれると、お叱りをうけたりするんじゃないか…と戦々恐々。

しかし、文体を変更したり、長い文章は2つに分けたり、重複しているので不要だと思ったところはバッサリ削除したり。段落も適当につけるし、場合によっては、段落を入れ替えたところもあったかもしれないな。「ベネディクト=アンダーソンという人は、あまり知られていないから補足しておこう」と文章を補ったりもした。薄氷を踏む思いの作業だったが、一応終了!

そして、恐る恐る、「校正をよろしくお願いします」と先生のこところに校正ゲラをお送りする。かえってきたゲラには、丁寧な文字で数か所の訂正があっただけ。胸を撫で下ろした。

というわけで、まずは第一関門を突破。

 

『「教養」のリメーク』は山崎先生以外に、大正大学の13人の教員が執筆している。一応「執筆要綱」を先生方にお渡しして、「これに従って執筆をおねがいします」と伝えている。しかし、予想したことだが、全体の形式が整わない。まあ、これは普通のことだけどね(苦笑)。それに加えて、「執筆要綱」に関係ないところでも、いろいろと形式を統一しなければならない。もちろん、先生方にはご自分で点検をお願いしているので、僕の主たる仕事は再点検だ。それでも、次のような仕事をした。

誤字脱字の点検はもちろんのこと、表現は適切か、冗長な部分はないか、手違いで差別用語が使用されていないか、文章構造に捻じれはないか、1つの原稿のなかで例えば「人びと」と「人々」が混在していないか、「―」が「――」になっているか、各ページの柱(頁の上にあるタイトルのこと)は間違っていないか、各章の小見出しと目次の小見出しはきちんと対応しているか、文献はちゃんと著者の50音順にならんでいるか、文献の挙げ方は統一されているか、執筆者紹介の形式が整っているか…。

こうしたことを、1つひとつチェックしていくわけだ。そして、疑問に感じた部分については、率直に「これでいいのですか?」とお尋ねして、相談のうえで直していただく。そして、それをまたチェックする。こういうことを何度も何度も延々とやるのが仕事。「忍」の一字の作業だね(苦笑)。もちろん、手のかからない原稿も多いし、全体からみれば、それほど多いわけではない。しかし、それなりの時間がかかる…。

限りある時間だから、すべてにわたって表現(人々/人びと、行なう/行う)や種々の形式を統一したり、内容を全部チェックしたりすることはできない。しかし、それなりの仕事はしなければならない。幸い、出版会の方が全面的に協力してくれたので、僕の手間は大幅に軽減された。

今回は愚痴みたいになってしまったね(苦笑)。次回は、タイトルについてお話して、この連載を終りにしたい。

                             

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【お詫び】『「教養」のリメーク』にはまだ訂正個所がいくつかありますが、訂正表を入れずに配布したものがあります。読んでいただくのにさしつかえはありませんが、お詫び申し上げます。

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