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国際文化コース

カルスタ、あれこれ(22)――錦鯉の文化

はじめに

今回の話題は「錦鯉」ですが、錦鯉はまさに「泳ぐ宝石」です。私の実家には小さな池があり、そこで錦鯉を10尾ほど飼っていました。小学校6年生のころ、黒木健夫氏の『錦鯉』(保育社カラーブックス、1968年)という小ぶりの本を何度も何度もくり返して読んだのを覚えています。黒木氏は「全日本愛鱗会」(錦鯉の愛好者の集まり)の初代会長です。これほど熱心に読んだ本は、後にも先にも、ほとんどありません。その時は「大人になったら、自分の家に池をつくって錦鯉を飼いたい」と思っていましたが、残念ながら、夢はかなっていません。

錦鯉 一匹.jpg 

その本で紹介されていた「三鞍」という著者所有の有名な紅白(最も代表的な紅と白の鯉)を覚えていますが、インターネットで調べてみると、いまだに愛好家の間では語り継がれているようです(残念ながら、左の鯉は「三鞍」ではありません)。記憶に間違いがなければ、「全日本愛鱗会」のバッジは、「三鞍」をデザインしたものだったと思います。

また、新種も次々と生み出されているようで、錦鯉の文化はどんどん発展しているという印象をもちました(ただし、現在は景気が悪いので錦鯉業界も辛いようです)。昔から海外に輸出されているのは知っていましたが、今では外国でも「生産」されています。外国産の素晴らしい錦鯉が日本に輸入されているかもしれませんね。さらに、将来は、日本産と比べれば値段の安い外国産の錦鯉が日本に入ってくることを、心配している関係者もいるようです。

錦鯉を趣味にするととんでもないお金がかかるように思われますが、工夫すれば、お金がなくても飼育することができます。インターネットでも1尾100万円の鯉が売られていますが、その一方で、1尾数百円の鯉も売られています。また、池をつくるお金や土地がなくても、写真のように水槽を使用して、部屋のなかで飼育することも可能です。鯉は水槽の大きさに自分を合わせて成長します。最近は、水槽飼育はなかなか盛んなようです。愛好家は熱帯魚を飼育するような感覚で、鯉を飼育しているのでしょうか。

 

錦鯉 水槽.jpg また、鯉の寿命は長く、池で上手に飼えば50年以上生きるので、生涯の友にもなります。ただし、水槽で飼った場合、私の考えでは、大きな池で飼うよりも寿命は短くなると思います。しかしながら、かなり前に生物学者に聞いたところ、「池の鯉と水槽の鯉の寿命を比較するような実験は時間がかかるので、詳しいデータは知らない」ということでした。それでも、80センチにもなる錦鯉ですから、狭い水槽では大きくなれないし、ストレスもしだいに蓄積される可能性はあるでしょうね。その一方で、「ひょっとしたら、すごく小さいうちから飼育すれば、そういう心配はない」という気もします。鯉ではありませんが、先日「樹齢500年」という盆栽がテレビで紹介されていました。大木になる木でも、盆栽で何百年も目を楽しませてくれるのですから、水槽飼育の鯉も長生きするかもしれません。

 

錦鯉の鑑賞

 いうまでもなく、「泳ぐ宝石」とも呼ばれる錦鯉は、文字が表わしているとおり、華やかな模様をまとっています。その鯉たちが、何尾も何十尾も池の中をゆっくり泳いでいる姿には、時間をわすれることができます。そして、濃い緑色を背景に、鯉が織りなす模様は時々刻々と変化し、同じ模様は二度と見ることができません。時間の経過とともに、池ではその瞬間々々に素晴らしい眺めが展開されるというわけです。

 音楽を聴いて音楽と一体になると、時間の流れを忘れるでしょう。錦鯉の遊泳を見ていると、それと同じようなことが、実際に起こります。いずれにせよ、時間を忘れられるのは素晴らしいことです。以前にこのブログ(第8回「〈時間〉を生きる」)で書いたように、われわれ現代人は時間に追われ、時計に使われているのですからね。

 携帯電話の写真で写りは悪いですが、写真をご覧ください。これは、筆者が時々利用するビジネスホテルの錦鯉です。ホテルのオーナーの趣味だそうですが、素晴らしくかつ巨大な錦鯉が数十尾飼育されていて、その眺めたるや壮観そのものです。中には、品評会で日本一に輝いた「藍衣」という種類の鯉もいるくらいです。何度見ても、巨大な錦鯉の群泳は見飽きません。 

 

ブログ用錦鯉.jpg

 このホテルに泊まるときは、この池をみることのできるロビーで、朝のコーヒーを飲んで出勤することが多いです。短いながらもゆったりと流れる貴重な時間を楽しむことができます。

 鯉のいいところは、美しいだけではなく、まったく喧嘩をしないことです。餌をたべるときに奪い合う(ように見える)ことくらいです。ベタのように「相手が死ぬまで闘う」と言われる魚とは、まったく異なります。争いの絶えない人間の世界と、どうしてここまで違うのでしょう…。また、人間にもよくなつくので、広げた掌に鯉がのってくるようにもなります。

 

選別される錦鯉

美しくかつ可愛い錦鯉は、品評会で「評価」されます。しかしながら、鯉を人間が評価することは、鯉にとって幸せでしょうか? 錦鯉を評価するには、体形、姿勢、鰭の大きさ、模様の入り方、色の鮮やかさ、鱗の並び具合など、種々のポイントがあります。さらに、種類によって独自のポイントがあります。けれども、錦鯉たちから見れば、自分や他の鯉がどんな模様をまとっているかは気にしていないと思います。もちろん、鯉の体形、目の位置や形などを考慮すると、鯉たちは自分の模様のせいぜいほんの一部しか見られないに違いないのですが。

話はすこし脱線しますが、ついでに人間についていうと、私たちは「現在」の自分を見ることはできません。鏡は左右反対に物を映し出しますから、鏡に映った自分の姿は左右反対です(ついでながら、鏡では左右反対になるのに、どうして上下反対にならないのでしょうかね…、説明できる人いますか?)。自分が動画に登場しているのを見たとしても、それは過去の自分です。まあ、スーパーなどに設置している監視カメラに映った自分は「現在の自分」かもしれませんが、「現在の自分」をほとんど見る機会がないというのも、考えてみれば面白いですね。「現在の自分」をいつも見ていたら、どんな精神状態になるでしょうね。自分に惚れるでしょうか? 自己嫌悪に陥るでしょうか?

話を鯉のことに戻しましょう。たぶん、品評会で100点満点の鯉は存在しませんが、高得点を品評会で獲得するために、選別につぐ選別が行なわれます。また、たとえば紅白に黒い点が1つ浮き出てきたとしたら、外科的に処理される可能性もあるでしょうね。品評会で上位に入賞する鯉は少なくとも数千尾か数万尾に1尾です。生まれて間もなく選別がはじまります。成長の時期に合わせて、人間がつくった基準で、何度も何度も選別がくり返されます。ときおり、「錦鯉の文化って、人間のエゴイズムによって成り立っているのではないか」と思うこともないではありません。

 

おわりに

石や植栽をふんだんに使って素晴らしい日本式庭園を造り、その中に錦鯉を泳がせて、ゆっくりとした時間を味わえるような生活をしたいものです。5月、夕方になる少し前あたりに、一杯やりながらそうした時間を持てることを夢みつつ…。

 

錦鯉 複数.jpg

 

星川啓慈

 

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