学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

国際文化コース

広告からカルチュラルスタディーズ

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広告はとても興味深い文化の鏡です。広告はもちろん私たちに「もの」を買わせるための「仕掛け」ですが、Rob Walkerが Buying In (2008) で、何を買うか(What we buy )が自分そもの( Who we are)であると論じているように、広告は私たちのアイデンティティそのものをつくりだしてくれるメディアでもあるのです。広告は文化と経済と政治と密接に関係して成立します。広告を読むことは、文化が資本や国際関係の構造や作用とどのように関連しているかを読み解くことでもあるのです。

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下の広告は、1950年のアメリカの化粧石鹸(toilet soap)の雑誌広告です。カバーガール(雑誌の表紙モデル)が「この石鹸で私は日々美しくなっている」と証言しています。白人であることが美しさの基準である時代です。石鹸が美しい肌をつくりだす、という広告はいまでもよく見かける宣伝文句ですが、ずっと同じ手法が続いているというのも興味深いことです。

BH1152.jpgのサムネール画像

  Duke University Libraryhttp://library.duke.edu/digitalcollections/adaccess_BH1152/

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先日、そろそろ今学期の集大成に入る「カルチュラルスタディーズ総論」に須藤彩子先生(中央大学)をお招きし、広告から、時代を読もう、国際関係を読もう、という講義をしていただきました。008.JPG

最初の切り口は19世紀の石鹸の広告の絵。そこから「オリエンタリズム」を読み、そのオリエンタリズムを反映するイギリスの世界地図を見せていただきました。そしてそのようなイギリス社会を背景とするスティーブンソンの『宝島(Treasure Island)』(1883)へ。さらに同じころに書かれたマーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー(A Connecticut Yankee in King Arthur's Court)』(1889)へとつながります。19世紀のアメリカ人が6世紀のイギリスにタイムスリップする物語のなかに、石鹸でひと儲けする場面があることを紹介していただき、最初の石鹸広告へとつながります。

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講義内容を詳細にここでお伝えすることができませんが、まもなくこのトピックについて書かれた論文が出版されるとのことです。

カルチュラルスタディーズの方法を用いて、広告、小説、歴史、経済活動、と自在に領域をまたぎながら、「石鹸の広告」をめぐる文化研究を示していただきました。

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また、『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』には、19世紀のアメリカ人が6世紀のイギリス人に野球をおしえる場面があることも教えていただきますた。同じころに書かれたバーネットの『小公子』にも、アメリカからイギリスの伯爵家にもどった主人公セドリックが野球をおしえようとする場面があるのですが、そのことは、19世紀の終わりに、アメリカから野球というスポーツ文化が伝わろうとしていた、ということを示しています。

でも、野球はイギリスには定着しませんでした。イギリスではクリケット。授業の最後の質疑応答で、野球がどうしてイギリスではさかんではないか」という質問を十分にディスカッションする時間がなかったのは残念ですが、19世紀のイギリスとアメリカの関係にも、原因はありそうです。19世紀はイギリスの世紀、アメリカはイギリスから独立して、アメリカらしさ模索した時代。詳しく調べていくと、野球をめぐる英米の関係から何か発見できそうです。

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文化研究は表象や物語を積み木のように自分で組み立て、組み換え、意外なものの結びつきから新しい発見をしていきます。たかが石鹸、たかが児童文学、たかがSF小説、でもその「たかが」が組み合わさると、ものすごく興味深い文化のつながりが現れてくるのです。

12月に入ります。今度は学生たちが須藤先生に負けない発見を披露してくれるはずです。(伊藤淑子)

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