学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

日本史コース

専門演習B ゼミ合宿(松本ゼミ)

日本史コース3年生・松本ゼミでは、33日~4日に沼津市にゼミ合宿に行きました。

主に見学したのは、沼津市明治史料館・沼津御用邸・若山牧水記念館などです。

 

〇沼津御用邸

 1893年(明治26年)、大正天皇(当時は皇太子)の静養地として造営されました。当時、この沼津には大山巖・川村純義・西郷従道・大木喬任などの明治政府を代表する人物の別荘が建てられていたとされています。1945年(昭和20年)の東京大空襲で本邸は焼失し、69年(昭和44年)に御用邸は廃止となりました。その後は沼津市に移管され、翌70年(昭和45年)に戦火を免れた東付属邸と西付属邸を中心とした周囲の緑地とともに、市が沼津御用邸記念公園として開設しました。94年(平成6年)には、今上天皇が行幸されています。

 

〇沼津兵学校

 1868年(明治元年)、駿府に移封となった徳川宗家により、フランスに倣った近代式軍隊の育成を目的に、駿河国沼津の沼津城内の建物を使って開講されました。頭取は西周(あまね)。この学校の教育水準は当時の最高クラスとされ、全国から優秀な人材が集められたと言われています。1870年(明治3年)に兵部省の管轄下に置かれ、1872年(明治5年)に東京に移されて廃校となりました。

 

2日間大変有意義な合宿になりました。以下は参加した学生の参加記になります。

 

一番興味があったのが御用邸でした。実際に建物に入ってみると独特の雰囲気があり、まわりから切り離されているような感覚になりました。当時のものや雰囲気を見て感じることができ得難い経験になったと思うので、行けて良かったです。合宿自体も堅苦しいものではなく割とまったりしていて楽しかったです。(I・Aさん)

 

今回はじめて東海道側を訪れました。普段から川や山ばかり見ていたので、移動中に見た海にも感動がひとしおでした。沼津はほぼ何もないイメージでしたが、今回のゼミ合宿で明治史料館等を訪れ、日本の近代化には、重要な役割を担っており、戦時中にも空襲の被害を受けるなど、教科書などには記載されない細かな地域の歴史に触れられた貴重な機会になったのではないかと思います。(U・Mさん)

 

沼津御用邸、若山牧水記念館と回ったが、初日に訪れた明治史料館の展示が一番印象深かった。実際に使用された駕籠、町人の生活用品、漁撈に用いる道具は、沼津が交通の要衝となる港湾都市であったことがはっきりとうかがえた。海軍で使われた機材として、実物のソナーがこの小さな博物館に展示してあるのにも驚いた(初めて目にして見入ってしまった)。(K・Yさん)

 

今回のゼミ合宿において私の印象に残った資料は、沼津市明治史料館に展示されていた、第二次世界大戦時の小学生の日記です。日記には子供が書いたその日の出来事と、それに対する先生のコメントが記されていました。書道や水泳を行ったというような日常生活の記述の中に、空襲警報により午前中は避難したといったような戦時下特有の記述もありました。とても生活感のある資料で、当時の子供の状況や沼津の状況がよくわかる資料でした。(S・Kさん)

 

私は、沼津御用邸記念公園が印象に残りました。展示されている内容が、皇室関係です。特に幼少期の昭和天皇と弟である三笠宮様との写真などが印象的です。卒業論文で、昭和天皇について書くため幼少期の昭和天皇を身近に感じました。(S・Yさん)

 

二日間の合宿のなかで兵学校跡、明治資料館、若山牧水記念館等を回ったがとくに印象深かったのが御用邸記念公園である。沼津御用邸は大正天皇の静養、幼少の昭和天皇が生活をしていた御用邸であり中では当時使用されていた家具や史料が展示されており、一般階級の市民の生活とはかけ離れた当時の皇族の生活の様相を知ることができた。そして気になった点として、天皇が使用する部屋、廊下が使用人や来客の方が利用するものと完全に分れていたことである。そして分かれているだけではなく、明確な違いを表すための廊下のエンブレムや部屋の畳の敷き方など様々な工夫を見られた。合宿全体を通して、沼津の歴史を知ることができただけではなく、明治から大正の時代そのもの文化の発見と再確認ができたためとても有意義な二日間であった。(S・Wさん)

 

いよいよ4年生になります。この合宿で得たことを活かして、卒業論文執筆等頑張って下さい。
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