学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

日本文学科

南方熊楠の記念館に行ってきました!

皆さんは南方熊楠(1867~1941)という人物をご存じですか。東大入学時には夏目漱石や正岡子規と同期でしたが、19歳から33歳まで外国で菌類の研究を続け、その方面では国内よりも先に外国で有名になった方です。帰国してからは和歌山県田辺を本拠地に生物採集をしながら在野で菌類の研究、民俗学・宗教学に大きな足跡を残した〈孤高の科学者〉と言われた人物でした。

12月11日12日と田辺の住居敷地にある南方熊楠顕彰館で説話・仏教合同例会が開催されましたので、遠い所でしたが思い切って行ってきました。顕彰館は五年前に建設され、紀伊の木材をふんだんに使った香りある建物で、所蔵資料も必要があれば誰もが利用できるようになっています。

私は20年前ほどに白浜にある南方熊楠記念館を訪れてその資料を拝見した時、米粒大の字でびっしりとノートされていることに驚きを禁じ得ませんでした。10歳から書写したと言われる『和漢三才図会』(105巻)のみならず、あの大蔵経の経文も米粒大で書写されていたのです。

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 民俗学の柳田国男や国文学の高木敏雄、仏教学の土宜法龍との交流もあり、特に高木敏雄は熊楠の影響下に神話・昔話研究に成果を残しています。柳田との書簡は「南方二書」として、また土宜との書簡は近年京都高山寺で発見され、今年藤原書店から『高山寺蔵 南方熊楠書翰 土宜法龍宛1893-1922』として刊行されました。後者の本は、高野山大学の大学院生神田英昭さんが土宜法龍の研究を卒論で取り上げようと、まずお墓のある京都の高山寺に墓参した折にご住職から見せて頂いた新書簡だったそうです。

翌日は熊楠のお墓に参り、その菩提寺高山寺で奈良時代からの聖教類を手に取って見せていただき、その後は熊野路をバスで登って一願寺にて『清姫由緒絵巻』を全文拝観、清姫伝説にゆかり深い周辺を散策して、実りある実地踏査を終えてきました。現物を見たり、その場所を訪ねたりすることは、研究を深めるために重要なことです。文学専攻の皆さんにも是非こうした実地踏査をお勧めしたく、学会での感動をお伝えいたしました。(米山記)

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