学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

宗教学専攻

「としまコミュニティ大学」ゼミ紹介①

 今回より数回にわたって、大正大学が毎週月曜日に開催している「としまコミュニティ大学」でのゼミ内容を紹介いたします。「としまコミュニティ大学」とは、豊島区と豊島区にある6つの大学とが連携しておこなう、市民を対象とした講座です。

(詳細は→http://www.city.toshima.lg.jp/shogaigakushu/shogaigakushu/21470/003336.html

 大正大学では、今年から始まった「マナビトゼミ」という大学のゼミ形式と同様の講座を開いています。担当は弓山達也先生(マナビト支援者、本学会学会長)と齋藤知明(マナビト支援補助者、本学会委員)で、「こどもに『いのち』をどう教えるか~市民が提案するいのちの授業~」をテーマに6月から始まりました。

 以下、ゼミの内容報告になります。宗教学の知見を市民に対してどのように伝えるか、大正大学宗教学会の新しい試みとなっております。ぜひ、みなさまのご意見等もいただければと思います。 

 →ゼミ紹介②

 

 「こどもに『いのち』をどう教えるか~市民が提案するいのちの授業~」①

 実施日:6月4日(月)10時~12時

 教 室:大正大学3号館1階 鴨台プロジェクトセンター

 受講者:11人

  初回の授業にあたって、まずは、マナビト支援者の弓山達也教授から本ゼミの目的が説明されました。本ゼミでは、「こどもに『いのち』をどう教えるか」をテーマとして、前半は「いのちの教育」の誕生と展開について講義し受講者で議論し、後半は実際に支援者と受講者が協働して「いのちの教育」の授業案の作成を目指していきます。

 なぜ「いのちの教育」? それは「いのちの教育」が新しい道徳教育・価値教育として近年研究が進み、実際に学校で多く実践がなされている重要な教育とされているからです。「いのちの教育」の必要性は1990年代後半から主張され始めました。それまで、「デスエデュケーション」や「死の準備教育」、「生と死の教育」などと呼ばれていましたが、近年では、生と死や生活、人々のつながりなども含んだ「いのち」全般を扱う価値教育として「いのちの教育」が主に使われています。しかし、「いのちの教育」に関する研究や実践はまだまだ緒に就いたばかりです。現状では、「いのちの教育」の実践例の多くは研究者や専門家が作成しているものがほとんどです。本ゼミでは市民が参加するという特性を活かして、「市民が提案するいのちの授業」として市民の目線から「いのちの授業」の授業案を作成することを目指します。そして最終的には、「子どもといのちの教育研究会」など、「いのちの教育」に関する研究会で、現場の教師や専門家の前で成果を報告し評価してもらうことを本ゼミの目的としています。

 今回作成する予定の授業案は、小学校高学年を想定しています。なぜ高学年か? それは、①生や死について考え始める年齢が高学年で、②死んでも生き返ると答える児童・生徒が低学年・中学年・中学生と比較して高学年が高いとの数値が出ているという現状があります。つまり、高学年が最も「いのちの教育」が必要とされている世代といえます。

 目的が説明された後に、弓山教授、マナビト支援補助者の齋藤知明の自己紹介がありました。弓山教授は、新宗教研究からスピリチュアリティ研究、「いのちの教育」研究に至った経緯や市民と協働して運営・研究している「大正さろん」での活動などを話されました。齋藤は、宗教教育の研究の意義や将来の寺院と社会の関係についての展望などを話しました。

 2人の自己紹介の後に、受講者の自己紹介がありました。受講者は40代から70代まで様々な世代の方が集まり、いろいろな宗教体験や道徳教育体験、スピリチュアリティへの興味などが語られました。一方「いのちの教育」に対しては、受講者は興味がありながらも授業案の作成に関して「私にできるだろうか」と少しの不安も持っているようでしたが、次回からの講義で徐々になくなっていくものと思われます。(文責・齋藤知明)

(この記事は、大正大学宗教学会のホームページの内容を掲載しております)

大正大学宗教学会HP http://www.taisho-shukyogakkai.net/

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