学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

宗教学専攻

【震災と宗教】いわき調査報告③

福原さとみ記(博士前期課程)

 8月20日から22日の日程で、私たちの班は神道と新宗教を中心に聞き取り調査を行ってきました。震災から2年半が経過し、それぞれの教団がどのような活動を行っているのか。また、それぞれの神社・教会の信者さん達はどのような2年半を過ごされたのかを中心にお話を伺いました。

 20日はまず、いわき市の立正佼成会磐城教会にてお話しを伺いました。こちらではご友人を津波で亡くされ、またご自身も迫り来る津波の恐ろしさを体験された方にお話を聞きました。その方は2年半経った今、ようやく信仰生活を取り戻しつつあるとのことでした。また、教会長さんは原発から避難してきた相双地区の信者さん達のために磐城教会を開放していることなどをお聞きしました。

 21日はいわき市平菅波地区の大國魂神社にて同神社の禰宜さんから、いわき市の無形民俗文化財であるじゃんがら念仏踊りを軸に伝統文化の継承といわきの復興を中心としたお話を伺いました。禰宜さんは、地域のPTA活動等にも携わっていらっしゃり、被災地の子どもたちに関するお話も伺うことができました。

 午後からは、いわき市平の天理教磐城平大教会で、原発が立地する浪江町からいわき市で避難生活を送る浪江分教会長さんからお話を伺いました。分教会長さんご自身も原発事故により住まいを追われ、市内の借り上げ住宅で避難生活を送りながら仮設住宅をまわっていらっしゃる支援活動や、避難先での信者さん達の様子などを伺いました。

 同日の夕方からいわき市から南相馬市へ移動したのですが、南相馬市へ直線で進む国道6号線は原発事故により分断されており、三春町、川俣町を抜けて飯舘村を通過しながら南相馬市へと向かいました。内陸部の三春町、川俣町では夜間だったせいか震災の傷跡は既に見受けられず平穏な日々を取り戻しているようかのようにも感じられました。しかし、原発事故により全地域が計画的避難区域となった飯舘村に入ると様子は一変し、道路沿いの民家に明かりはなく人の気配が全くなくなり、原発事故の影響の甚大さを窺えました。この日遅くに到着した南相馬市のホテルは、復興需要で流入してきた働く人々のために新築されたホテルで、復興に向けて動き出した被災地ならではと感じました。

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 南相馬のホテル

 

 22日には、カトリック教会のボランティア基地であるカリタスジャパン原町ベースを訪ねました。ここではベース長さんに、被災地へボランティアに来る方々を受け入れる宿泊施設としての役割や実際に行っている支援活動などのお話を伺うことができました。

 午後に伺った立正佼成会の原町教会では、2つの支部の支部長さんと教会役員の方々からお話をお聞きすることができました。原町教会では会員の方の8割以上のかたが避難をされており、それぞれの支部には、ご家族が津波でお亡くなりになってやっとご自分の話ができるようになったとおっしゃる方がいたり、原発に振り回されて避難生活を余儀なくされている方が大勢いたりと、まだまだ震災の爪痕が生々しいお話ばかりでした。それでも東京の杉並教会等からの支援で少しずつ前進しているというお話を伺いました。

 このほか、南相馬の海岸線も見学してきました。津波が来たあの日まで確かにあった集落は跡形もなく流され、強い夏の日差しの中で青々とした雑草だけが生い茂る更地になっていました。上屋が流され基礎だけになってしまった家、かろうじて残った防風林の松も塩害で立ち枯れ痛々しい様相を呈していました。

 

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 南相馬市の海岸線にて

 

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 津波で流された場所に神社が再建されていた。

 

 震災から2年半。今回、大勢の方にお話をしていただいて、一口に2年半と言っても、東京にいる私たちの2年半と、被災地の方々の2年半では重みが違うことを痛感しました。まだまだ進まぬ復興と目に見えぬ放射線と闘いながら、被災地の方々は今日も暮らしています。今後も継続的な支援と調査を続ける必要性を強く感じました。お忙しい中、貴重なお時間をいただき調査に協力してくださいましたこと深く感謝いたします。ありがとうございました。

 

(この記事は、大正大学宗教学会のホームページの内容を掲載しております)

大正大学宗教学会HP http://www.taisho-shukyogakkai.net/