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宗教学専攻

【宗教学専攻】熊本県水俣市を訪れました


 6月23・24日、春学期開講の「宗教思想史特論」(担当:弓山達也先生)の一環で、熊本県水俣市を訪問しました。弓山先生、本学院生4名、東京工業大学大学院生3名の計8名が参加しました。
 今学期は「宗教思想としての水俣」をテーマに、石牟礼道子氏(1927~2018)『苦海浄土 わが水俣病』(1969年、講談社)を輪読しました。そこで得た知識をもとに現状を把握すべく、実際に現地を訪れました。今回の訪問では、『苦海浄土』に登場する土地を巡り、それぞれの場所に関係するエピソードを音読することによって、より理解を深めようと試みました。

 水俣市は、鹿児島空港から車で1時間半のところにあり、初日は『苦海浄土』に登場する場所(百間排水口・出月・湯堂・茂道・とんとん村・明神)を訪問しました。
 最初に、百間排水口を訪問しました。百間排水口は、チッソ水俣工場により水俣病発生の原因であるメチル水銀を含む工場廃液が排出されていた場所です。ここでは、メチル水銀の影響により、船底の牡蠣殻が落ちるエピソードを音読しました。



 その後、出月・湯堂・茂道を訪問しました。これらの場所は、多数の水俣病患者が発生したこともあり、『苦海浄土』の中心的な舞台となっています。ここでは、毎日同じ時間に焼酎を買いに行く老人のエピソード、水俣病患者の葬儀の場面、新聞等で「生ける人形」といわれた少女のエピソードを読み上げました。

 次に、『苦海浄土』第6章のタイトルとして登場する「とんとん村」へと向かいました。この地域近辺には水俣市公会堂や水俣市立病院があります。水俣市公会堂は1968年に同市開催の水俣病死亡者合同慰霊祭の会場となったり、市立病院は1959年に熊本大学医学附属病院で検査を行っていた水俣病患者が移送されたりするなど、水俣病と関係が深い土地です。この地では、「とんとん」に関する話や、水俣病死亡者合同慰霊祭の場面、市立病院の患者でマンガ本を肋骨の上に載せて生活している男性のシーンなどを音読しました。

 1日目の最後には、エコパーク水俣および水俣病患者の慰霊碑を訪れました。エコパーク水俣は、海中の水銀で汚染された泥や水銀を含んだ魚などを集め、埋め立てられた公園です。そのため公園内には、水俣病患者などでつくる市民団体「本願の会」のメンバーが作った石像が、様々な形を帯びて安置されています。また公園内には、水俣病慰霊碑が建立されており、我々もこの場で追悼の意を込めて祈りを捧げました。ここでは、祖父が胎児性水俣病の孫を仏様と呼ぶエピソードを読みました。



 2日目は、市立水俣病資料館と水俣病センター相思社が運営する水俣病歴史考証館を訪ねました。
資料館では、水俣病発生から現在に至るまでの経緯が、写真・新聞記事などを用いて展示されており、語り部による水俣病に関する語りも聞くことができます。この日は、お父様とお祖父様が水俣病を患った女性と、ご主人とお子様を水俣病で亡くされた女性からお話を聞かせていただきました。当事者であるお二方の語りは、重く突き刺さるものがあり、お話を聞いて水俣病がいかに深刻な被害をもたらしたのかを感じさせられました。
 考証館では当時の漁師たちが用いていた道具やデモのゼッケン、汚染されたヘドロなどが保存・展示されており、これらの展示物を目の当たりにすると、当時の情景や雰囲気が鮮烈に浮かび上がってきました。



 講義では、『苦海浄土』の世界観や、水俣病が発生した1960年代前後を中心に学んできましたが、今回実際に水俣を訪れてみて、チッソは現在でも当地において大きな影響力を持っていることが分かりました。例えば、チッソが運営する水光社という大型スーパーが街の中心にあったり、チッソに勤務している人は「チッソマン」と呼ばれ一目置かれていたりしています。また、熊本県の小学5年生には、水俣を訪問するカリキュラムが組まれており、水俣病は現在でも大きな問題として存在しています。

 私(中塚)は、今回が初めての現地調査でしたが、現地で見聞きし、感じたことは、座学だけでは得られないものであり、大変貴重な経験となりました。また、実際に足を運んで自分の目で確かめることの重要性を感じました。
 『苦海浄土』の著者、石牟礼道子氏が2018年2月に亡くなり、以前にも増して水俣病への関心が高まっています。我々も今回の経験を生かし、今後の動向に目を向けていきたいと思っています。


                            (文責:*中塚豊、渡邉龍彦、福井敬)