学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

宗教学専攻

【宗教学専攻】草津のハンセン病にまつわる土地を訪ねました


 昨年11月に訪問した国立療養所多摩全生園と国立ハンセン病資料館(→記事はこちら)に引き続き、弓山達也先生が開講されている「MD宗教学特講D」では、弓山先生と院生4名で、1月11・12日に群馬県の草津を訪ねました。
 草津は、その豊富な源泉により古くから湯治の地として有名で、多くの病いに苦しむ人々が草津を訪ねていました。特に草津の泉質はハンセン病の治療に効果があるというエルヴィン・フォン・ベルツの研究結果が出たことにより、ハンセン病の療養地として有名になりました。それにより、草津には湯之沢と呼ばれるハンセン病患者の集落が営まれていました。

 初日はまず、中之条の歴史と民俗の博物館museeで開催されている、「ふるさとの文化人 ハンセン病者に希望を与えた聖母 コンウォール・リー」展を見学しました。
 コンウォール・リーという人物は、草津で聖バルナバ教会やハンセン病患者のための病院、学校の建設など様々なハンセン病患者の支援を行っていた方です。企画展では彼女に関する書簡や、彼女自身が描いた風景画などの展示がなされており、コンウォール・リー女史が、草津とハンセン病患者にどのように関わってきたのか、歴史や関係性を含め、深く学ぶことができました。




 その後、草津に移動し、国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園を訪ねました。
 栗生楽泉園は、1931年の癩予防法に基づき、翌32年に建設された療養所です。療養所建設に伴い、患者集落であった湯之沢の患者と施設は、楽泉園に移設され、湯之沢集落は解体されてしまいました。楽泉園は他の療養所と違い、湯之沢を前身とする背景から、患者個人の一戸建てが園内にあったり、そこで、患者家族が付添人として共に生活していたりと、他の療養所では見られない特殊な運営形態をとっていました。また、全国の療養所から、風紀を乱したとされた患者などを集め、隔離する施設であった、重監房(特別病室)が併設されていた点も特徴です。現在も楽泉園では、ハンセン病回復者の方の後遺症に対する治療やリハビリが行われています。

 到着後すぐに、我々は楽泉園内の納骨堂にお参りをさせていただきました。現在の納骨堂は、1948年に建てられた後、老朽化により1984年に入所者の寄付等で再建されたものです。現在、納骨者数1205柱、胎児の納骨者数1柱の遺骨が納められています。


 お参りさせていただいた後は、社会交流会館を訪ねました。社会交流会館は、2006年11月に開館し、入所者の方々と一般社会にある人々との交流の場を目指すと共に、広くハンセン病について視覚的に学ぶことのできる学習の場を目指した施設です。
 会館内には、草津とハンセン病に関する年表や、実際に楽泉園で患者により使用されていた治療器具や生活用品といったものが展示されており、楽泉園での患者生活について、当時の道具などに触れたことで、より詳しく当時の様子を知ることができました。


 翌日の午前は、コンウォール・リー女史により創立された、草津聖バルナバ教会を訪ねました。
 聖バルナバ教会は、コンウォール・リー女史を中心に、ハンセン病患者たちによって創立された教会です。バルナバ教会では、松浦信牧師に教会とハンセン病や湯之沢、楽泉園との関係を中心に、バルナバ教会やコンウォール・リー女史、彼女と共に草津でハンセン病の治療行為を行っていた看護婦の三上千代女史や、医師の服部けさ女史等にまつわる貴重なお話を伺うことができました。




 午後は、楽泉園の重監房資料館を訪ねました。前述の通り、重監房とは1938~47年まで使用されていた、隔離施設です。現在の重官房資料館は、ハンセン病患者の隔離施設である重監房とハンセン病問題に関する資料の収集・保存と調査・研究の場として設立されました。
 重監房資料館内には、重監房の跡地から発掘された、南京錠や隔離された方の悲惨な収容生活を記した落書きなど、当時の凄惨さを物語る資料が多数展示されていました。また、重監房の跡地を測量し、当時の重監房の施設の一角を再現した展示があります。中に入ることもでき、当時の重監房での収容生活を体験することができます。



 今回の調査では、草津の湯治の町という特性や、コンウォール・リーとバルナバ教会と患者の関係などから垣間見える草津の歴史を見ていくことで、他の療養所には見られない独特の患者文化に触れることができました。ハンセン病患者の患者文化という点でも、土地ごとの特色があり、患者文化という言葉で一括りにはできないと考えさせられました。

 最後になりますが、予定よりも長い時間にわたり、貴重なお話をお聞かせ下さった松浦牧師に、心から感謝いたします。

                                     (文責・中塚 豊)