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日本文学科

【日本文学科】日本文学踏査(その3)【授業紹介】

大正大学日本文学科の授業紹介、秋学期の第二弾(その3)は、1年生から受講できる「日本文学踏査」の三回目のご紹介です。その1はこちらを、その2はこちらをご覧ください。


本年度日本文学踏査の5回目の授業では上野周辺および東京国立博物館、6回目の授業では、文京区立森鴎外記念館(文字化けを防ぐために、以下も含めて「鴎」はすべて新字で表記します)の見学の後、漱石旧邸、谷中方面に抜けたところで解散し、その後で有志の課外活動として幸田露伴居宅跡と、旧寛永寺五重塔を見学してきました。


館内タペストリー(展示室内は撮影禁止ですが、こちらはお許しを得ています)

森鴎外記念館では、記念館の概要や、観潮楼、鴎外の腰掛けた三人冗語の石などを解説いただいた後、特別展「千駄木の鴎外と漱石―二人の交流と作品を歩く―」を見学しました。誰もが知る文豪の来歴と交流を、資料と共に見学することができて、学生たちも大いに興味をそそられたようです。森鴎外記念館の皆さま、本当にお世話になりました。 


根津神社で「文豪の石」に腰掛ける日文生


日露戦争の戦勝記念で森鴎外が根津神社に奉納した砲弾の土台

根津神社では、漱石や鴎外が腰掛けたともいわれる「文豪の石」や、陸軍軍医監の「森林太郎」の名が刻まれた明治三九年の砲弾の土台を見学しました。

同行いただいた、森鴎外の研究をされている岩谷泰之先生(日本学術振興会特別研究員PD)によると、第二次世界大戦まではこの土台の上に砲弾が載せられていたそうですが、砲弾は戦時中の金属の徴収により失われ、土台は水飲み場に改装されたそうです。その他、鴎外の小説『青年』では鴎外が考案した地図「東京方眼図」を主人公に持たせ、根津神社を歩く様子が描かれているという説明もありました。岩谷先生、ありがとうございました!

天王寺五重塔跡


以上、日本文学踏査のご紹介(その3・最終回)でした。日本文学踏査の授業では、これらの成果を踏まえて最終回の発表やワークに取り組んでいくことになります。

大正大学文学部日本文学科では、今後も定期的に授業や学科の取り組みを紹介していく予定です。この授業が見たい、この取り組みも紹介して欲しい、といった要望があれば、在校生ならぜひ2号館7階日本文学科事務室まで、受験生ならオープンキャンパスなどでご相談ください!

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