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比較文化専攻

戦争と文化(8)――戦争における「防御」: クラウゼヴィッツの『戦争論』から(2)

 この「戦争と文化」という一連のブログは、学部の「カルチュラルスタディーズコース」から発信されていました。今回から、内容のいっそうの充実をはかり、大学院の「比較文化専攻」から発信することになりました。よろしくお願いします。もちろん、これまでの読者であったカルスタの学生さんも、ぜひ、続けて読んでください!

第1回から第7回までのブログは「カルチュラル・スタディーズコース」のアーカイブズで見ることができます。

 

はじめに

前回、クラウゼヴィッツの『戦争論』は全編をとおして論述が弁証法的である、と述べました。すなわち、「防御」を論じたとすると、今度は「攻撃」を論じるというように、対立的に項目をあげ、その両者を勘案しながら議論を進めるという、クラウゼヴィッツの議論展開の手法に言及しました。今回は、その「防御」と「攻撃」のうち、防御をテーマに取り上げます。

 

攻撃が先か? 防御が先か?

 戦争は攻撃と防御のどちらか始まるのでしょう。攻撃だと思いませんか? ふつうに考えると、攻撃がないと防御はできないのですから。しかし、クラウゼヴィッツは「戦争の起源を哲学的に考察すると、本来の戦争の概念は攻撃から派生するのではないことがわかる」と述べています。

その理由は、攻撃は、戦闘ではなく、「占領」を絶対的な目的としているからです。占領しようとする地域に敵がいなければ、当然のことながら、戦闘がおこることはありません。これに対して、防御は「闘争」(戦闘)を直接的な目的としており、防衛することと戦うことは明らかに同一であることから、戦争は防御によってはじめて生起するのです。別の観点からいうと、こうなります。防衛は、侵略だけに向けられ侵略がその必然的前提となりますが、侵略は防衛にだけではなく占領にも向けられるので、敵の防衛を前提とする必要がありません。だから、防御が攻撃に先立つのです。いずれにせよ、クラウゼヴィッツは「戦争手段を最初に行使する者は防御側である」「戦争の概念に真に適合した行動を最初に取るのは、防御側である」と論じています。

筆者にとって、「戦争は攻撃からではなく、防御から始まる」というのは、意外な指摘でした。現実の戦争の中には、一見この見解が当てはまらないと思われるものもあるでしょう。後半で具体例をあげますが、それらの事例についても、現象の表面だけで判断してはなりません。その背後に歩みを進めると、クラウゼヴィッツの解釈が当てはまることになる事例も多いと思われます。彼の思索は周到です。最初の引用には「哲学的に」という限定もあることに注意しましょう。

 

戦争03 Army.mil.jpg
by Army.mil

防御について

それでは、防御をめぐるクラウゼヴィッツの議論に目を転じましょう。

まず、防御の「概念」は「敵の攻撃を阻止すること」であり、その「特色」は「攻撃を待ち受けること」にあります。防御というと一方的に防戦することを連想しますが、クラウゼヴィッツのいう防御には攻撃的要素も含まれます。すなわち、「防御側も、実際に戦争を遂行するためには、敵の進出を撃退しなければならないので、防御的な戦争においても、防御の主題の下にある程度…攻撃行動が含まれる」のです。いいかえれば、「防御的な戦争の方式は、単なる盾のようなものではなく、攻撃的要素も巧みに組み合わせた盾でなければならない」のです。余談ですが、こうした見解は、われわれの人生の局面にも言えそうですね。

つぎに、防御の「目的」は「保持すること」であり、クラウゼヴィッツは「保持することは、獲得することよりも容易である」と述べています。保持というのは防御側の行為であり、獲得というのは攻撃側の行為でしょう。どうして、防御のほうが攻撃よりも容易なのでしょうか。その理由として、クラウゼヴィッツは、①「攻撃側が無駄に過ごす時間は、すべて防御側に有利になる」から、②「判断の誤り、恐怖や怠慢による攻撃の中断は、すべて防御側の利益となる」から、③「地形を利用すること」ができるから、という理由をあげています。実際に、こうした利点により、プロイセンは何度も敵の攻撃から救われました。クラウゼヴィッツは、こうした防御の利点はあらゆる防御に本質的に付随するものだと、見なしています。

さらに、「防御は攻撃よりも強力だ」ともいわれています。防御は「保持する」という消極的な目的をもつのに対して、攻撃は「獲得する」という積極的な目的をもっています。それゆえ、攻撃のほうが戦争手段をより増大させることになります。したがって、クラウゼヴィッツによれば、「防御という戦争方式それ自体としては、攻撃よりも強力である」といわざるをえません――この見解はやや理解しがたいのですが、たぶん、防御を成功させるには攻撃側以上の戦闘能力(作戦も含む)を必要とするからでしょう。そして、彼は「これこそ強調したいことである」と強い調子で述べています。なぜなら、これこそが防御の本質に根ざすものであり、経験上も何千回となく証明されているにもかかわらず、一般の通説はこれにまったく反しているからです。

イメージ的には、攻撃のほうが防御よりも強力に思われますが、クラウゼヴィッツにしたがえば、これは間違いなのです。

防御の核心は以上のようなものですが、防御と攻撃は全く別々に存在するものではありません。それらはコインの裏表のような関係にあります。

 

防御から攻撃へ

防御は消極的な目標しかもっていませんが、より強力な戦争方式だとすれば、ここから導かれることは、「防御は弱体の故にやむを得ない場合に限って用いられ、積極的な目的を設定できるほどに〔戦力が〕充分強力になるやいなや、防御は放棄されなければならない」ということです。つまりある時点から、防御側は、防御を放棄して、攻撃に転じなければならないのです。さらに、クラウゼヴィッツによれば、「防御によって勝利が得られると、相対戦闘力が通常は有利になるので、戦争の自然な経過も、防御で始まって攻撃で終わることが多い」と述べています。いいかえれば、「勝利を単に防御だけに依存し、まったく攻撃しようとしない戦争は、絶対的な防御(受動性)がすべての手段を決定するような戦役と同様に不合理である」のです。このあたりも「哲学的」ですね。

 しかし、読者の中には、「これはおかしいのではないか。防御を最終的な目標として、攻勢的な反撃を一度も考えなかったような戦例があるだろう」と、そうした戦例をいくつも挙げるかもしれません。クラウゼヴィッツの思考は弁証法的で、自分の見解に反するこうした異見についても言及しています。またもや、フリードリヒ大王の例が挙げられています。

七年戦争(1756-1763)は、プロイセンおよびそれを支持するイギリスと、オーストリア、ロシア、スウェーデンなどヨーロッパの国々との間で戦われた戦争です。プロイセンは戦力的に不利でしたが、フリードリヒ大王の指揮で、最終的な勝利を収めました。この七年戦争において、「王は少なくとも最後の3年間は攻勢的な反撃を行おうとしなかった」と表面的/事実的にはいえるようです。しかし、だからといって、「王が反撃するつもりがまったくなかった」ということにはなりません。クラウゼヴィッツは「王がこの戦争の間、何よりも攻勢的反撃こそが防御のよりよい手段であると見なしていたことを信じている」と述べています。しかし、王が直面した状況がそれを許さなかったのです。王のような「軍事的天才」であれば、自分たちが置かれた状況を充分に知っているでしょう。だから、賢明な王は、意義の少ない反撃をしなかったのです。いいかえれば、反撃する意思はあっても、反撃の機会が到来しなかっただけなのです。前回のブログでは、王の「均衡を保った抑制力」に言及しました。それを思い出してください。

 

七年戦争のロイテンの戦いにおけるフリードリヒ大王】

ロイテン(七年戦争)の戦いのフリードリヒ.jpg

 それでも、読者の中には「王の心の内部で起こったことは実証できないから、そういうことは言えないのではないか」と疑義を呈する人もいるでしょうね。しかし、クラウゼヴィッツは、次のような指摘をして、自分の見解の正当性を主張しています。

 七年戦争は各国の間で講和条約が結ばれて終結しますが、クラウゼヴィッツはオーストリアについて、次のように推測しました。プロイセンと戦ったオーストリアは、①単独では大王の才能には抵抗できなかった。②かりに対抗したとしても、それまで以上に大きな労苦を強いられ、いささかでも手をゆるめればさらなる領土の喪失につながる、と予測した。③だから、講和条約を結ばざるを得なかった。このように解釈すれば、大王が攻勢的な反撃になかったとしても、「彼はオーストリアのおかれた状況から判断して攻勢的反撃に出なかった/反撃に出る必要がなかった」「反撃の機会が訪れなかっただけである」という推論も成り立つわけです。つまり、クラウゼヴィッツがいう「王は、この戦争の間、何よりも攻勢的反撃こそが防御のよりよい手段であると見なしていたこと」の可能性は確保されるのです。さきに述べたように、表面的な事実から、事の本質を判断してはいけないのです。

 

クラウゼヴィッツの「防御」論から何を学ぶか

 以上で、簡単にクラウゼヴィッツの「防御」論を紹介しました。ここから何が読みとれるでしょうか? 戦争を離れても、以下のようなことを学びとることができるでしょう。

 まず、「防御的な戦争の方式は、攻撃的要素も巧みに組み合わせたものでなければならない」という主張がありました。防御というと一方的に守る/防ぐことを連想しますが、防御の中にもその対立概念である攻撃の要素があることは間違いありません。ですから、クラウゼヴィッツの思考方法である「1つのことだけに目を向けるのではなく、それと対立するものにも目をむける」という弁証法的思惟方法を学ぶことができるのではないでしょうか。誰でも「防御と攻撃は関係している」くらいのことはいえるかもしれません。しかしながら、クラウゼヴィッツの偉いところは、防御と攻撃を概念的にきちんと分離し、そのうえで、種々の事例によりながら、それらの有機的な関係を掬いあげたところにあります。

 つぎに、七年戦争において、表面的には「フリードリヒ大王は少なくとも最後の3年間は攻勢的な反撃を行おうとしなかった」と現象的にはいえたとしても、そこから、「王が反撃するつもりがまったくなかった」という結論を導くことは慎むべきだ、という主張がありました。守勢に見えたのは、反撃の機会が到来しなかっただけでした。その証拠に、オーストリアはプロイセンと講和条約を結ぶことになりました。ここから、目に見えなくとも、実証できなくとも、「ある現象の背後に目をやる」ことを学ぶことができると思います。実証・数値化・可視化がますます重視されるわれわれの生活のなかで、それらの背後にあるものに思いをめぐらすことが必要でしょう。また、クラウゼヴィッツが自分の主張の正当性を死守する論法も参考になりますね。

 その他、「防御から戦争が始まる」「防御という戦争方式は、攻撃よりも強力である」など、われわれには思いつかないような洞察もいろいろとあります。膨大な戦争の事例研究を綿密に行いながら、理論・体系を求める周到なクラウゼヴィッツの思索の姿勢には、戦争研究という枠組みを超えて、頭がさがります。

 

おわりに

 今回は「防御」を取り上げました。防御をめぐる議論にも「攻撃」のことが組み込まれていました。次回は「攻撃」について取り上げたいと思います。もうおわかりだと思いますが、攻撃にも防御の要素があるのです。

 アップは毎月1日ですから、次回は10月1日です。

 

 

星川啓慈(大学院比較文化専攻教授)

 

【参考文献】

(1)C・クラウゼヴィッツ(日本クラウゼヴィッツ学会訳)『戦争論――レクラム版』芙蓉書房出版、2009年、第6編「防御」。

   【フリードリヒ大王の肖像】
フリードヒ01.jpg

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