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比較文化専攻

神経生理学者ベンジャミン・リベットが切り込んだ「原罪」――ユダヤ教徒としての信念を貫く

 2013年3月16日、玉川大学脳科学研究所主催の「第12回脳科学リテラシー部門研究会」で講演(実質は発表)してまいりました。

 発表の内容は、ここ数十年にわたって世界的に大きな議論を呼んでいる、神経生理学者のB・リベットの実験結果の解釈をめぐるものでした。彼の実験から、「われわれの自由意志は、脳の活動の後から生じる」「脳の活動の後追いをして、自由意志が発現する」ということがわかったのですが、これが種々の分野の研究者の議論を呼び起こしました。

 リベットの実験の正当性についての神経生理学者の専門的な議論は別としても、たとえば、次のような問題も浮かび上がってきます。かりに犯罪をおかしたとしても、「私は、自分の自由意志にもとづいて、犯行におよんだのではない」「脳が、勝手に、私を犯行に導いたのだ」「悪いのは、私ではなく、私の脳だ」などということが実証されれば、犯罪者は責任を免れることになるかもしれません。そうなると、現在の法律の体系は崩壊してしまう可能性があります。

 私の発表に話を戻して、その結論を一言でいうと、次のようになります――リベットの実験結果の解釈の背後にあるのは、意外なことに、ユダヤ教信者として「宗教的倫理体系を護る」という、彼の信念である。

 発表のごく一部を「キリスト新聞」(2013年4月27日付)に、簡単な形で書いておきましたから、ここで紹介します(クリックすれば新聞は拡大されます)。リベットはユダヤ教に傾倒していますが、彼による「ユダヤ教とキリスト教の神経生理学的な比較」は皆さんにも興味をもっていただけることでしょう。

 キリスト教的な「情欲をいだいた眼差しで女/男を見るだけで罪になる」という考え方と、ユダヤ教的な「そういう眼差しで女/男を見るだけでは罪にはならない、欲望を実行にうつした時点で罪になる」という見解があるとすれば、皆さんはどちらに賛成するでしょう。潔癖な読者は前者に、現実的な読者は後者に賛成するのではないでしょうか? ちなみに、リベットは後者の立場です。私はユダヤ教徒ではありませんが、やはり、後者を支持します。

 当日の発表内容は、本格的な学術論文としては、2013年9月に発行される日本宗教学会刊行の『宗教研究』(第377号/第87巻第2輯)に掲載されます。タイトルは「神経生理学とユダヤ教――決定と自由の狭間を生きたB・リベットの場合」。本格的な論文を読みたい方は、こちらをどうぞ! 神経生理学の知識がまったくなくても理解できます。なぜなら、論文の執筆者である私自身も、神経生理学の専門的な議論は理解できませんからね(笑)。

 大学の図書館にも『宗教研究』は所蔵されています。抜刷を欲しい方は、星川まで秋学期に申し出てくだされば、無料で差し上げます! 学部の学生さんでも職員の方でもOKです。ただし、10人程度までしか余裕はありません。

 

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星川啓慈(比較文化専攻長)