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比較文化専攻

戦争と文化(22)――石川明人氏の新著『戦場の宗教、軍人の信仰』を読みながら、太平洋戦争において日米のキリスト教信者同士が殺し合わなければならなかったという悲劇について考える

はじめに

 今回は、石川明人氏の新著『戦場の宗教、軍人の信仰』(八千代出版、10月刊行)に対する「風変わりな書評」である。

 本ブログは、「ブログ」としてはいつも長いのだが、今回は通常よりもさらに長くなった。しかし、一気に読んでいただける内容である。また、石川氏から提供していただいた貴重な写真を掲載している。

新聞などで評判になった、同氏の『戦争は人間的な営みである』(並木書房、2012年)についても、第11回のブログで書評したので(注1)、まだ読まれていない方はそちらも参照していただくと、幸いである。

 石川氏(以下、著者と略記)の新著は、これまで学術雑誌や大学の研究紀要に掲載した論文を編集しなおしたものである。ふつう、一般の人にはそうした論文を読む機会はあまりないだろうから、その意味では、貴重な1冊と言えるかもしれない。当然「注」もきちんとつけられている。筆致はかなり慎重で、第4章や第5章などからは、著者の息遣いが聞こえてくるような気がする。

以下においては、日本に原爆を投下すべく出撃する直前になされた、B29の搭乗員たちのキリスト教の祈り(第1章)と、特攻隊員・林市造の実存的キリスト教信仰(第4章)とを紹介しながら、同じキリスト教信仰をもつ者同士が死闘をくり広げるということの悲惨さについて考えてみたい。強いていうなら、従軍チャプレンが「戦場の宗教」を象徴し、林市造の信仰が「軍人の信仰」を象徴する。

 なお、文中、「著者」は石川氏を、「筆者」はこのブログを書いている星川をさすので、混同のないようにお願いしたい。

 

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 まず、目次を示すことによって、本の全体像を提示しておこう。読者によって興味・関心は違うだろうが、著者以外の人にはたぶん書けないものをあげるとすれば、第2章ということになろう。地味な論考だが、一般には知られていない重要な問題提起をしている。

 

はじめに

第1章  文化としての宗教と軍事

      ――軍隊のなかの聖職者たち(アメリカ軍の従軍チャプレン)

第2章  国防と信仰のあいだ

      ――日本軍および自衛隊のなかのキリスト教(軍人伝道と自衛官キリスト者)

第3章  軍人にとっての戦争と信仰

      ――非戦論と軍人へのシンパシー(内村鑑三の軍人観)

第4章  特攻の死と信仰

      ――クリスチャンの特攻隊員(林市造の手記を読む)

第5章  戦争体験を咀嚼する信仰

      ――戦艦大和からキリスト教へ(吉田満の戦争体験と信仰)

むすび

あとがき

索引

 

従軍チャプレンと、B29「エノラ・ゲイ」が基地を離陸する直前の状況

 「従軍チャプレン」というのは、一言でいえば、「軍隊専属の聖職者」である。その仕事内容は多岐にわたる。現在のアメリカ軍においては、当然のことながら、キリスト教徒が圧倒的に多いが、ユダヤ教徒・イスラム教徒・仏教徒の従軍チャプレンも存在する。

 原爆投下の日や終戦記念日は、日本の各地で平和集会が開かれる。だが、著者がいうように、原爆を搭載したB29エノラ・ゲイ(注2)が基地を離陸するその直前に、従軍チャプレンがその乗組員を前にして簡単な礼拝をおこなったことについて、日本のキリスト教徒が言及することはほとんどないといってよいだろう。

 著者にしたがえば、そのエノラ・ゲイが基地を離陸する直前の状況は、以下のようなものであった。

プロテスタントのチャプレン、ウィリアム・ダウニー大尉は、第二次世界大戦当時、エノラ・ゲイを有する陸軍飛行隊のいるテニアン基地で任務についていた。もちろん、彼は、人を殺すことを良いとは思わなかったが、戦争では「人を殺すことは勝つか負けるかの勝負のためだ。それを認めない者は、その代わりに敗北を受け入れるつもりでなければならぬ」と信じていたのである。

1945年8月6日午前零時に、エノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツは、部下たちに出撃前の説明会議を開いた。それが終わると、彼はダウニーを手招きした。そこでダウニーは、この出陣のために用意していた次のような祈りを唱えた。その全文は次の通りである。

  全能の父なる神よ、あなたを愛する者の祈りをお聞きくださる神よ、わたしたちはあなたが、天の高さも恐れずに敵〔日本軍〕との戦いを続ける者たちとともにいてくださるように祈ります。彼らが命じられた飛行任務〔日本への原爆投下〕を行うとき、彼らをお守りくださるように祈ります。彼らも、わたしたちと同じく、あなたのお力を知りますように。そしてあなたのお力を身にまとい、彼らが〔原爆投下に成功して〕戦争を早く終わらせることができますように。戦争の終りが早くきますように、そしてもう一度地に平和が訪れますように、あなたに祈ります。あなたのご加護によって、今夜飛行する兵士たちが無事にわたしたちのところへ帰ってきますように。わたしたちはあなたを信じ、今もまたこれから先も永遠にあなたのご加護を受けていることを知って前へ進みます。イエス・キリストの御名によって、アーメン。(〔 〕内は筆者の補足。以下同じ。)

 一言でいうと、この祈りは、日本への原爆投下が成功し、太平洋戦争が一刻も早く終わるように、というものである。

 

CGP-JPAP-016.jpg   同じく、テニアンで任務についていたカトリックのチャプレンに、ジョージ・ザベルカがいる。彼は、戦後になって、当時は原爆や戦略爆撃の恐ろしさを「感じるべきだったのに、感じていなかった」と回想している。民間人に危害を加えてはならないことを知ってはいたのに、無差別爆撃の非道徳性について、当時の教会や宗教指導者の誰も声をあげなかったというのだ(注3)。

 以上が、著者が描写している、日本に原爆を投下するエノラ・ゲイがテニアン基地を飛び立つ直前の状況である。

さらに、ザベルカによれば、終戦間近の大きなミサのとき、テニアン基地にスペルマン枢機卿が来たことがあった。枢機卿はそのとき、「自由のために正義のために戦い続けよ」と力説したという。他の従軍チャプレンたちも、原爆投下の道徳的問題にはほとんど立ち入らなかった。ザベルカは「おそらく皆、爆撃はひどいことではあるが必要だと感じていたのではないか」と述べている。

 

石川氏の問題提起

 われわれは、こうした信仰の1つの姿をどう考えればいいのだろうか? とりわけ、原爆を投下された日本のわれわれは、宗教者であるアメリカの従軍チャプレンを導き手として、「日本への原爆投下が成功するように」と祈ったという事実を、どのように咀嚼すればよいのだろうか? 従軍チャプレンはれっきとした宗教者である。その人物が、何万人という無辜の人々を殺傷する、くわえて後遺症で生涯苦悩を背負わなければならない人々を生み出すような、原爆投下が成功するように祈っていいものだろうか?

著者がいうように、「いくらこうしたチャプレンが、自分たちはあくまで平和主義者であり、多くの敵を殺すことを祈るのではなく兵士の安全を祈るだけだ、と主張しても、それを立場が異なる人々に納得させることは困難であろう」。すなわち、「軍事組織は戦闘の主体となるものである以上、そこに聖職者がいることについてはどうしても倫理に関する議論が生じる」のだ。そして、これは従軍チャプレンという個人の問題をはるかに超えて、宗教そのものがはらむ問題へとつながっていくだろう。

その一方で、著者は「兵士たちの直面する現実を考えるならば、戦場にチャプレンがいることを一概に否定することも難しい」とも述べる。

著者がいうように、戦争が始まるまでは、普通の学生であったり夫や父親であったりした者たちが、短い訓練のあとに「兵士」にされ、生まれて初めて戦場に送り込まれる。職業軍人たちも、やはりそれぞれに愛する家族をもつ人間に過ぎない。だとすれば、「仲間が銃で撃たれ、爆弾に手足を吹き飛ばされ、心身ともに過酷な生活を強いられる戦場では、普段は信仰深くない者も〈神〉について考えずにはいられないだろう」。

そもそも、戦争をするかどうかを決めるのは軍人ではない。それは政治家であり、また国民全体である。軍人は、職務上(たとえそれが強制されたものであっても)、その決定に従うだけの存在でしかない。

そうした軍人に寄り添う従軍チャプレンの存在は、頭から否定できるものでもないだろう。

 

問題解決への視座の提示

上記のような矛盾をはらむ問題――聖職者であるはずのチャプレンが戦闘に参加するようなこと――を、どのように捉えたら良いのであろうか。著者の提案はこうである。

軍隊と宗教に関する倫理問題を「軍人の宗教的実存に関する問題」と「社会的レベルでの平和に関する問題」とに分けて考えることも重要であろう。軍人とその家族への宗教的サポートをすぐに「戦争協力」などと見なすのではなく、それぞれ異なる次元の問題として扱う視点も求められるのではないかと思われる。

 著者のこの提案は卓見であろう。複雑な難問を解きほぐしていくという、正統的な論法でもある。筆者なりに解釈すれば、「軍人の宗教的実存」という個人レベルの観点からは、従軍チャプレンという存在は肯定されるべきである。だが、「社会的レベルでの平和に関する問題」としては、平和を志向するはずの宗教者である彼/彼女たちが従軍することについては、慎重な検討・考察が要求される。ほぼ、このように要約できよう。

だが、理論的にはそういう場合分けを提案できるとしても、どのようにそれを現実問題に適用できるだろうか。筆者としては、直観的にだが、個人と社会という2つのレベルは相互的な包含関係にあり――社会学者であるP・バーガーのいう「社会における個人」と「個人における社会」の関係――上記の宗教的矛盾はきれいに割り切れる性質のものではない、という気がする…。

随処に鋭い洞察をしめす著者の筆も、仕方のないことだが、この問題に対して明晰な解決策を提示しているわけではない。著者は次のように語って、第1章を閉じている。

従軍チャプレンという存在について、ここで安易に何らかの評価をくだすことは控えたい。ただ重要なのは、端的にこれらもまた「戦争」「軍事」の一側面であり、また「宗教」という文化の一側面だということである。戦争そのものは悪であるが、人々は必ずしも悪意や憎しみだけで戦争をしているわけではない。チャプレンたちの祈りも、兵士たちの信仰も、立場が違えばそれに納得や共感はできないにしても、決してそれ自体として虚偽なのではない。平和を望みながら戦争をしてしまうというところに、戦争の悲惨さの根源がある。そうしたことを念頭に、あらためて「平和」について考えていくべきであろう。

 著者は、従軍チャプレンという存在について「安易に何らかの評価をくだすことは控え」、今のところは冷静な態度で見つめる、というのである。

 

林市造について

 次に、著者がいう「軍人の宗教的実存に関する問題」と濃厚な関係にある、林市造の実存的キリスト教信仰に目を転じよう。

第二次世界大戦では、世界中の多くの若い学生たちも戦場に送られた。ある者たちは、銃で撃たれ、あるいは爆弾に吹き飛ばされて死んでいった。ある者たちは、病気や怪我に苦しみ、ある者たちは飢え、渇いて死んでいった。日本ではいわゆる「特攻隊員」(注4)として出撃していった者も多く、そのなかには、林市造のようなキリスト教徒もいた。

林市造は、1922年(大正11年)に福岡市で生まれた。彼の父・俊造は、26歳で島根農林の教頭となり、福岡師範、福岡農業教員養成所をへて、東京帝国大学農学部の助手となった。しかし、俊造は32歳の初夏に急死してしまう。市造はその時わずか2歳であった。その俊造は、内村鑑三の影響を受けてクリスチャンになったらしい。

 

写真 (2).JPG 市造の母・まつゑは、夫の俊造に導かれてクリスチャンとなったのだが、彼女は夫の死後も、4人の子供を信仰によって育てた。その苦労は想像に難くない。市造は福岡市荒戸にあったホーリネス教会で幼児洗礼を受け、高等学校のときにあらためて受洗した。

早くに父を病気で亡くすものの、市造は、母と姉そして親戚たちに可愛がられながら、スポーツ好きの明るい青年に成長していった。彼は4人姉弟の長男として将来を期待され、福岡高等学校をへて京都帝国大学経済学部へ進学する。

しかし、わずか1年で文科系学生の徴兵猶予が停止され、「学徒出陣」(注5)により佐世保第二海兵団に入団、後に海軍第14期飛行予備学生となる。だがその時、戦況はすでに悪化の一途をたどっており、市造は戦闘機搭乗員として速成訓練を受け、ついには「神風特別攻撃隊」に編入される。そして、終戦まであとわずか4ヶ月というところ、1945年4月12日、市造は250キロ爆弾を固定した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に乗り込み、鹿児島県の基地を離陸して、与論島東方で連合軍の機動部隊に突入、戦死した。23歳だった。

ダウニーとともにエノラ・ゲイの搭乗員が祈りをあげたのが、1945年8月6日である(注6)。その差は3カ月余りである。同じキリスト教徒同士が宿敵となって、間接的とはいえ、B29とゼロ戦を操縦しながら、命をかけて激突したのである。

2歳で父親を亡くした市造には、父の面影はそれほど明確には残っていないだろう。それゆえ、彼の母親に対する気持ちには一方ならぬものがある。それは、母親あての書簡の随所に溢れんばかりに書かれている。著者は「市造にとって信仰、聖書、あるいは神に関する事柄は、すべて母の存在と表裏一体であったといっても過言ではないであろう」と論じている。

 著者の言葉で、市造のキリスト教信仰を要約すると次のようになる――「極限的な状況があらためてもたらした信仰の形は、市造においては、〈すべては神のみむねと考え〉ること、また〈永遠に生きるものの道を辿〉ることという、きわめて素朴な神への信頼に他ならなかったといえるかもしれない」。

 

市造と菊水二号作戦

市造の出撃は、太平洋戦争末期の「菊水二号作戦」の一環であった。菊水作戦とは、連合軍の沖縄への侵攻を阻止することを主な目的としたものである。この菊水作戦は第一号から第十号まで2ヶ月以上にわたって実施された。「菊水一号作戦」は、昭和20年4月6日から7日にかけておこなわれ、陸海軍あわせて約300機の特攻機が、沖縄周辺のアメリカ艦隊に突入した。46センチ砲を9門もつ世界最大の戦艦「大和」が「一億総特攻のさきがけ」として約3000名の乗組員とともに海に沈んだのも、この4月7日である(天一号作戦)。

それから5日後の、4月12日から15日にかけて、再度の大規模な特攻作戦として、海軍は「菊水二号作戦」を、陸軍は「第二次航空総攻撃」をおこなった。市造はこの作戦の初日に出撃した数百人のパイロットのうちの1人だったのである。

 

市造の日記「日なり楯なり」

 これから、市造の日記や手紙の内容を見ていくことにしたい。

まず、市造の日記には、自らによって「日なり楯なり」というタイトルがつけられている。また、この日記のほかに、手紙なども収められている遺稿集も『日なり楯なり』と題されている。著者は、この遺稿集全体から「市造が信仰を通して特攻による死を受け入れようと葛藤していた様子をうかがい知ることができる」という。

 

 

hinari.JPG「日なり楯なり」という言葉は、旧約聖書「詩篇」84篇11節の言葉である。1節前から引用すると次のとおりである。

なんぢの大庭にすまふ一日は千日にもまされり われは悪の幕屋に  をらんよりは 寧ろわが神のいへの門守とならんことを欲ふなり そは神エホバは日なり楯なり エホバは恩とえいくわうとをあたへ直くあゆむものに善物をこばみたまふことなし。(日本聖書協会、文語訳。下線は筆者の挿入)

読者の便宜のために、口語訳も併記しておこう。

あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたし  は悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。主なる神は日です盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。(下線は筆者の挿入)

市造の「日なり楯なり」という日記の命名には「神は、〈太陽〉のような存在、自分を護ってくれる〈盾〉のような存在だ」という思いが込められているのであろう。

 

死に直面しつつ生きる市造

特攻隊編入が決まった翌日(つまり、死ぬことがほぼ確定した翌日)に書かれた日記の中には、次のような一文がある。

   すべては神のみむねであると考えてくると私の心はのびやかになる。神は母に対しても私に対しても悪くなされるはずがない。私達一家へ幸福は必ず与えられる。

市造は、死ぬことがほぼ確定したことを、単なる悲劇としてその運命に身をまかせようというのではない。著者も述べているように、「彼はこの運命を、自分に敵対するような恐ろしい何者かによって押し付けられてしまったものとしてではなく、むしろ自らの信じる神に由来するものとして肯定的に捉えようとしているのである」。

それから約1週間後には、次のようにも書いている。

 信仰者は彼に迫っていること乃至彼の敢てすることが人間的な計算によれば、彼の破滅となるに違いないことを知っている。だが彼は信ずるのである。彼は自分で如何にして救われるであろうかというようなことは、全然神に委せきりである。

こうした記述について、著者は「市造が戦死に対する自らの主体性は維持しつつも、その究極的な意味については超越的なる存在に全てまかせて、自分自身は決して悲観や絶望に陥らないように努力しているという様子を読み取れるかもしれない」とか、「またこれは、自らの目を恐怖と苦痛の〈死〉に対してではなく、残された〈生〉に向けようとする姿勢でもあるだろう」と述べる。

これら2つの引用に共通するのは、「死」という人間にとって究極的な事実を、「神に由来するものとして肯定的に捉えよう」とか、「救済などといったことは自分の関知するところではなく、一切を神に委ねよう」という態度である。一言でいうならば、神に対する「信頼」である。

こうしたところから、この世での残り少ない日々を前向きに生きよう、という態度も生まれてくるのではないか。もちろん、それは「宗教的な生き方をする」ということである。

私は死を考えない方がよい。私は却って死を与えられた現在に於ては生を考えようと思う。生きようと思う。私は死を眼前に悠々たる態度をとるのでなしに、永遠に生きるものの道を辿ろう。

 この最後の「永遠に生きるものの道」について、著者は「彼の日記や手紙の全体を念頭に推測するならば、〈信仰〉ないしは〈神〉を念頭においた生き方に他ならないであろう」と断じている。

すでに死を与えられた身としては、確かに生への愛着を断ち切らねばならない。生への愛着とは、市造によれば、友人や家族といった人間関係への執着と享楽への思慕である。しかし、市造は、死を与えられた今においては死を考えるのではなく、むしろ生を考えねばならないと自らに言いきかせるのである。著者は「この状態においてなお〈生を考える〉ことが可能であるとするならば、それはすなわち〈永遠に生きるものの道を辿る〉こと以外にありえなかったのであろう」という。

この「永遠に生きるものの道」について、著者は「〈信仰〉ないしは〈神〉を念頭においた生き方」というのだが、おそらく、それは時間が限りなく継続していくという意味ではないだろう。「時間を超越する」という意味である。「神」を念頭におくことにより、世俗的な時間を超え出て、聖なる時間が支配する生を生きることである。むろん、「人間関係への執着と享楽への思慕」は断ち切らねばならない。

 

kazoku.JPG   市造と母・敵・神

 次に、市造の母親・まつゑが登場する手紙を紹介したい。彼のなかでは、母親とキリスト教が一体になっているようなところもある。先にも引用したが、「市造にとって信仰、聖書、あるいは神に関する事柄は、すべて母の存在と表裏一体であった」のである。

「お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました」という一文ではじまる手紙がある。そこには、立派に敵の空母を沈めてみせると宣言すると同時に、まつゑの傍に帰りたいという思いにかられることを吐露した文章にひき続いて、次のような一節がある。

 〔高校時代に〕洗礼をうけた時、私は「死ね」といわれましたね。アメリカの弾にあたって死ぬより前に汝を救うもの〔神〕の御手によりて〔敵を〕殺すのだといわれましたが、これを私は思い出して居ります。すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。

著者の見立てでは、「ここには母への愛着と、そしてもう一度会いたいという思いがかなえられないことへの絶望が隠されている。母へ会いたいという思いがいっぱいになると市造は〈神〉にふれずにはいれなくなるようにもみえる」。

また、次のような文章もみられる。

私はこの頃毎日聖書をよんでいます。よんでいると、お母さんの近くに居る気持ちがするからです。

こうした文章を踏まえて、著者は「市造にとって信仰、聖書、あるいは神に関する事柄は、すべて母の存在と表裏一体であったといっても過言ではないであろう」と何度も引用する見解を導くのである。

さらに、市造は、日記の中でも「私は私の母が信ずる神を信じているということはなんという強みだろう」と述べている。彼にとってまつゑは、この世において最も信頼し甘えることのできる存在であった。それと同時に、市造の成長過程を考えてみても、また「私は私の母が信ずる神を信じている」という表現からも推測しうるように、まつゑは「神的な次元への導き手」でもあった。

 お母さん、でも私の様なものが特攻隊員となれたことを喜んで下さいね。死んでも立派な戦死だし、キリスト教によれる私達ですからね。

でも、お母さん、やはり悲しいですね。悲しいときは泣いて下さい。私もかなしいから一緒に泣きましょう。そして思う存分ないたら喜びましょう。

私は讃美歌をうたいながら敵艦につっこみます。

母に「悲しいときは泣いて下さい」といいながらも、つづく「思う存分ないたら喜びましょう」という市造の言葉を、著者は、「自分の〈生〉と母親の〈生〉とにある神的な根拠を前提とした表現である」という。その理由は、他のところでも「すべてが神様の御手にあるのです」といっているように、市造は別れも悲しみも恐怖も、すべてを神に委ねようとしているからである。それほど、神に対して信頼を寄せているのであろう。

最後に、市造の手紙から、次の一節を引用したい。

 出撃の服装は飛行服に日の丸の鉢巻をしめて純白のマフラーをして義士の討入のようです。お母さんの、千人は右に萬人は左にたおるとも…のかいてある国旗も身につけてゆきます。

 必ず必中轟沈させてみせます。戦果の中の一隻は私です。最後まで周到に確実にやる決心です。お母さんが見て居られるに違いない、祈って居られるに違いないのですから安心して突入しますよ。

ここに見られる「千人は右に萬人は左にたおるとも」という言葉は、旧約聖書「詩篇」91篇7節の言葉である。正確には、「千人はなんぢの左にたふれ萬人はなんぢの右にたふれる されどその災害はなんぢに近づくことなからん」(日本聖書協会、文語訳)という部分である。つまり、多くの者が死ぬ/倒れるような状況においても神はあなたを守ってくださる、という詩の一部である。まつゑはこの一節を国旗に書いて、市造に持たせたのである。

まつゑのこの行為は、従軍チャプレンと共通するような、はっきりいうと、ダウニーと同種の行為である。彼女は彼と同様に、市造への神の加護を祈ったのである。もちろん、彼女は、普通の日本の母親として、愛する息子が生きて帰ってくるようにという願いをこめて、その国旗を市造に渡しただけであろう。しかしながら結果的に、これはダウニーと同じ行為をしたことになるといえる。両者とも、同じ「神」に対して、かたや搭乗員の無事生還を、かたや息子の無事生還を祈ったのである。

 

isho.JPG著者の締めの言葉

 林市造についての論考である第4章を締めくくる著者の言葉は、以下のようなものである。

…いくら市造の日記や手紙を熟読しても、やはり今の私たち  は、彼がどれほどの苦悩と葛藤を抱えながら、母を思い、神に祈ったのか、それを完全に知り尽くすことはできないだろう。また、「特攻」により敵艦に突入しようとすることは、自らの死を覚悟することだが、それは同時に、敵の殺害を試みることでもある。それが事実であるからといって、しかし、こうして市造の日記や手紙を読んだ後に、彼に対し、「戦争といえどもあなたは人間を殺そうとした。それはあなたの信仰と矛盾しているのではないか」などと批判することも私にはできない。

戦争という社会の巨大なうねりに翻弄されたひとりの青年の姿として、まずはただ、彼の最期の佇まいを静かに見つめることだけが、私たちには許されているように思われるのである。

 第1章を締めくくる言葉と共通するものを、ここに見出すことができよう。第1章で、著者は、従軍チャプレンは矛盾を抱えた存在であるが、それを非難することはせず、現状を見つめるという姿勢をとった。第4章でも、著者はキリスト教徒の市造が殺人を犯すことを批判することはせず、彼の言動を静かに見守るという姿勢をとっている。

 全体として、従軍チャプレンや市造を見詰める著者の視線に、ほとんどの読者は人間的な温かみを感じるであろう。

 

キリスト教徒同士が死闘をくり広げなければならないという悲惨さ

 以下では、太平洋戦争において日米のキリスト教信者同士が殺し合わなければならなかったという、今回のブログで紹介した厳粛な事実について考えてみたい。

一方で、ダウニーたちは次のように祈ったのであった。

  ・全能の父なる神よ、あなたを愛する者の祈りをお聞きくださる神よ、わたしたちはあなたが、天の高さも恐れずに敵〔日本軍〕との戦いを続ける者たちとともにいてくださるように祈ります。彼らが命じられた飛行任務〔日本への原爆投下〕を行うとき、彼らをお守りくださるように祈ります。

他方で、市造は母に次のようにしたためたのであった。

・アメリカの弾にあたって死ぬより前に汝を救うもの〔神〕の御手によりて〔敵を〕殺すのだといわれましたが、これを私は思い出して居ります。

・すべてが神様の御手にあるのです。私は讃美歌をうたいながら敵艦につっこみます。

・必ず必中轟沈させてみせます。戦果の中の一隻は私です。最後まで周到に確実にやる決心です。

さらに、市造の母・まつゑは、「千人は右に萬人は左にたおるとも…のかいてある国旗」を市造に渡し、息子への加護を神に祈ったのである。

 B29の搭乗員たちが祈りを捧げた「神」と、市造とまつゑが信じていた「神」とは、ともにキリスト教の「神」である。それならば、どうしてその「神」は、同じく自分を信じている者たち同士に、現実の世界で殺し合いをさせなければならないのか? もしも「神」が信者たちを愛しているのならば、現実の世界で彼らに殺し合いをさせるようなことをするだろうか? 「神」は信者たちを愛していないのではないか? もしくは、信者同士が殺し合いをしなくても良いような世界を「神」は創造することはできなかったのではないか? つまり、「神」は全能ではないのではないか? いや、「神」は信者たちを愛してもいないし、全能でもないのではないか? 

 こうした問いかけは、いわゆる一種の「悪」の存在――自然がもたらす地震・津波・洪水など、また、人間がもたらす戦争・殺人・盗み・欺きなど、人間存在にダメージを与えるあらゆるものの存在――からなされる、キリスト教批判である(注7)。

筆者は、さきに「個人と社会という2つのレベルは相互的な包含関係にあり、著者のいう宗教的矛盾はきれいに割り切れる性質のものではない、という気がする」と述べた。その理由は、そのとき筆者の念頭に、上記のような宗教的矛盾・悲惨さ(悪の問題)のことがあったからである。

同じ神を信じるキリスト教徒同士で、殺しあわねばならない。それも架空の世界においてではなく、現実の世界においてである。ここには、同じ宗教を信じる信者たちの宗教的矛盾がある、宗教的悲惨さがある。

これを「それは国家/社会が戦争状態にあるのであって、宗教とは分けて考えるべきである」という人もいるのは、想像に難くない。おそらく、多くの読者もそのように考えるだろう。さらに、「星川は質的に異なる2つの問題を混同している」として、筆者を批難するかもしれない。たしかに、個人と社会というレベル分けの問題と、神学上の問題とは異質な問題かもしれない。

だが、それでも筆者は、今回のブログで論じたような宗教がはらむ矛盾や悲惨さは、個人と社会というレベルわけでは決して決着がつかないような気がしてならないのだ。これはわれわれの想像以上に根深い問題ではなかろうか(注8)。

それでは、どうすれば良いのか。残念ながら、筆者にはまったく考えが浮かんでこない。何も考えていないからではない。考えを進めると、また新たな問題が出てくるのである。これのくり返しばかりである。

そうすると、結果としては、従軍チャプレンや市造を見つめる著者と、同じような態度をとるほかないのである…。

 

おわりに

 次回のブログのアップは、12月1日ですが、重要なお知らせがあります。ぜひご覧くださるよう、お願いします。

 少しそのお知らせについていうと、「〈宗教と戦争〉という2つの事柄について、初学者にもわかりやすくて、種々の角度から具体的に考察を展開する、異色の本を準備中」ということです。お楽しみに!

 

(星川啓慈・比較文化専攻長)

 

【謝辞】

貴重な写真を提供してくださった、著者の石川氏にあつく御礼申し上げる。

 

【注】

(1)「戦争と文化(11)――石川明人『戦争は人間的な営みである――戦争文化試論』に見られる「平和」論と「戦略」論」。 /faculty/graduate_school/major_incomparative_culture/blog/20121201/24673/

(2)「エノラ・ゲイ」の機長ティベッツと日本のエースパイロット坂井三郎については、次のブログを参照。「戦争と文化(6)――日本に原爆を落としたティベッツ機長と、日本のエースパイロット坂井三郎」。 /education/faculty/a-3/blog/2012/07/01-000000.html

(3)極東軍事裁判(東京裁判)の最後に示された少数意見の中で、「非人道的な原爆投下をしたアメリカが、日本の指導者を〈非人道的〉だったとして裁けるのか?」という根本的な疑問も出されている。もちろん、その少数意見の答えは「裁けない」である。

(4)特攻隊や予科練などについては、次のブログを参照。「戦争と文化(13)――茨城県阿見町の〈予科練平和記念館〉を訪れて、平和について思う」。 /faculty/graduate_school/major_incomparative_culture/blog/20130201/24674/

(5)その数7万人とも10万人ともいわれる「学徒出陣」の実態はよく分かっていない。ごく最近、慶應義塾大学などで、その実態に迫ろうとしている。

(6)エノラ・ゲイの搭乗員がすべてキリスト教徒であったか否かは、定かではない。かりにそうではなかったとしても、重要なのは、彼らによってキリスト教の祈りがあげられた、という事実である。

(7)筆者は現在、大学院の「宗教哲学」の授業で、「悪」の問題について論じている。テキストは次のものである――A・プランティンガ『神と自由と悪と――宗教の合理的重要可能性』(星川啓慈訳)、勁草書房、1995年。

この著作は、「悪」や「矛盾」という問題を考えるうえで、興味深い視点(可能世界、様相論理)を提供している。その内容を一言でいうならば、可能世界論を駆使して「悪」の問題に決着をつけようとするものである。つまり、「悪の問題はキリスト教を信じることの障害にはならない」ことが論証されているのだ。

ただし、論理記号や論理式は一切登場しないが、この本を読むには相当の忍耐を要求される。また、理詰めの議論に辟易する読者もいるだろう。熱烈なカルヴァン派のきわめて優秀な論理学者が書いた著作で、世界的に読まれているものだが、これを読んだからといって、今回論じた問題に解決を与えられるということもない。だが、宗教における「悪」や「矛盾」について考えるとき、啓発される議論が随処に見られる。

(8)考えてみると、アダムとイブは神によって作られたが、彼らの子供のカインとアベル、つまり「人間から生まれた最初の人間」が行なったこととして記録されている唯一のトピックが「殺し」である。これは、今回のブログとの関わりにおいても、じつに象徴的なことである…。