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「学び」と「実践」を通じた人材育成

比較文化専攻

戦争と文化(最終回)――このブログが「本」に生まれ変わります ⇒ 星川啓慈・石川明人著『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか?』(並木書房、4月1日刊行決定)!

はじめに

 

 3年間にわたって愛読していただいたブログ「戦争と文化」ですが、残念ながら、今回をもって最終回となります。番外編をいれると、ほぼ30回にわたって連載してまいりました。

 

 大正大学の先生方の中には「毎月、月初めに先生のブログを読むのを楽しみにしています」とか「面白いです、ずっと続けてください」と励ましてくださった先生もいらっしゃいます。学外の仕事仲間も時々のぞいてくれているそうです。学部の学生さんの中にも、高校生の中にもファンがいることを知り、大変うれしく思いました。

 

 ちなみにブログへの訪問数をいうと、たとえば直近の1か月(昨年12月21日から今年の1月20日)では、「1,749」です。意外と多いでしょう。

 

 連載ブログ「戦争と文化」の長い間のご愛読、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

 

今回は、以前に述べたように、「重要なお知らせ」があります。

 

人は平和を祈りながら.jpg

本ブログを反映した新著の出版について

 このブログの書評では、石川明人先生(北海道大学)の本を2回取り上げましたが、先生と何度かお会いして話をするうちに、「一緒に本を出しましょう」ということになりました。軍事関係の本を出版している並木書房の社長さんに企画をもっていくと、「そういう内容の本は見たことないですね、うちから出しましょう」と快く出版を引き受けてくださいました。

 その石川先生との共著には、このブログで書いた原稿もかなり利用しています。しかし、先生の原稿と合わせて、このブログは新たな本に生まれ変わります。

 今回、現在検討中のカバーのデザインを3つ載せています。タイトルは『人は平和を祈りながらなぜ戦うのか?』『人は神に平和を祈りながらなぜ戦うのか?』『人は神に祈りながらなぜ戦うのか?』などの候補とにらめっこしているところです。写真もさらに良いものがあれば差し替えるかもしれません。 

 

今年の4月1日が刊行日(予価は1500円程度)です。ご期待ください!

 

実はこの共著は、来年度の大学のテキストにも採用が決まっています。具体的にいうと、大正大学はもちろんですが、慶應義塾大学、桃山学院大学です。 

 

本の内容を知っていただくために、「目次」も載せておきましょう。

 

『人は平和を祈りながらなぜ戦うのか?』


はじめに

序章「戦争」とは何か?

【戦争の現実】
 1,人は人を殺せない
 2,それでも戦争はなくならない
 3,戦闘における生理と心理
 4,「フォルト・ライン戦争」と「コスモス戦争」

【戦いのなかの矛盾】
 5,「人を殺すな」か? 「人を殺せ」か?
 6,聖書・キリスト教における「平和」
 7,軍事大国アメリカの宗教
 8,日本のクリスチャンと戦争責任
 9,キリスト教史のなかの暴力と迫害

 10,戦場の聖職者たち

【平和への葛藤】
 11,テロをめぐる善と悪
 12,戦うことは絶対に許されないのか
 13,兵役拒否と宗教
 14,世界の諸宗教の平和運動

あとがき

 

人は神に平和を祈りながら.jpg本書の特色

 

  石川先生も私も、宗教学ないし宗教哲学という領域で専門的に仕事をしています(注1)。そこで、「われわれの知識をうまく活かせる本を一般向けに書けないか」「戦争と宗教という2つの領域を橋渡しするようなものを書けないか」と思案しました。そこから生まれた内容が、上に掲載している目次です。

 

 続いて、私の「あとがき」を貼り付けます。

 

・・・・・・・・・・ 

 本書を執筆したわれわれ二人は、いずれも宗教学ないし宗教哲学という領域で専門的に仕事をしてきました。宗教について勉強していると、「どうしても戦争のことを知らなければならない」という場合がでてきます。人間の歴史をふり返れば、ほとんどの時代・地域において何らかの「宗教」が営まれ、同時に「戦争」も絶え間なく起こり、両者は密接に連関しているからです。

また、宗教も戦争も、ともに「生と死」に向き合い、理想と現実との葛藤を抱え、合理性と非合理性をあわせ持つ、実に不可思議な人間の営みです。宗教の研究者は、あまり戦争そのものについて論じませんし、戦争の研究者は、あまり宗教そのものについて論じません。しかし、この二つはともに、人間以外の動物には見られないという意味で、実に「人間らしい営み」です。したがって、宗教に関心のある人は戦争にも関心をもつはずであり、また、戦争に関心をもつ人は宗教にも関心をもつのが自然であるように思われます。

 宗教には、人に心の平安をあたえたり、人を救済したりするという側面があります。その一方で、宗教には苛烈な側面もあり、他宗教に対して非寛容であったり、戦争を推し進めたりもします。また、戦争という「悪」にしても、これまでにいろいろな原因やスタイルのものがありますが、それらのすべてが純然たる悪意をその源としている、とも言い切れません。「宗教」も「戦争」も、不可思議な矛盾をはらんだ営みです。

人間は、理想や道徳を頭で知ってはいても、必ずしもその通りに生きていくことはできません。「戦争をやめてみんな仲良くしましょう」と口では言っていても、学校や職場のささいな人間関係に悩み、すべての人と仲良くできるわけではないというのが、現実の人間の姿です。「宗教と戦争」というテーマにおいては、そうした人間の根本的な矛盾が露わになります。

本書の究極的な狙いは、狭い意味での「宗教」や「戦争」にかかわる議論そのものにのみ拘ることではありません。むしろ、それらの問題を手掛かりとして、「人間の根本的な矛盾」を自覚し、それを問うことです。「戦争と宗教の交錯」を通して意識される問い――人は何のために生きるのか、人はなぜ矛盾や葛藤を背負わざるを得ないのか、などという問い――は、広い意味での宗教哲学的な問いだといってよいでしょう。

今回、われわれ二人は「戦争研究と宗教研究という二つの領域を橋渡しするようなものを書けないか」と思案しました。大学生や一般の方々を読者に想定しており、また紙面も限られていますから、あらゆる戦史や宗教文化に言及することはできませんでした。けれども、「重要な問題をシャープに抉りだして見せた」という自負がないわけでもありません。本書で論じたテーマや問いかけが、今後の宗教や戦争をめぐる議論のささやかな足がかりになることを願っています。

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人は神に祈りながら.jpg

以上が「あとがき」です。

 

現在、シリア情勢が深刻化していますし、世界各地でおこっている内戦や紛争と宗教が絡み合っています。人間が幸せになるための宗教、平和を実現するはずの宗教の力は、それらに屈したのでしょうか? いえいえ、決してそうではないでしょう。

 

人間は多くの矛盾の中を生きています。その矛盾を深く見つめることが大切ではないでしょうか? その矛盾を凝視しながら、平和の問題に思索をめぐらすことが、宗教の信者であってもなくても、グローバル化した世界に生きる私たちに必要なことだと思います。その理由は、「人間」について考えるとき、宗教と戦争は無視できない事柄だからです。

 

もちろん、戦争には、宗教のみならず、政治・経済・歴史・民族などに関わる問題が複雑にからみあっています。しかしながら、戦争そのものや戦闘しなければならない自分の存在に「意味づけ」を与えることに、宗教が大きな働きをしていることは否定できないでしょう。

 

皆さんも、『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか?』を読みながら、そうした問題について考えてくだされば、まことに幸いです。

 

おわりに

 

それでは、長い間「戦争と文化」を愛読してくださった読者の皆様、健康に気をつけられて、充実した人生を歩んでいってください!

 

 

(星川啓慈・比較文化専攻長)

 

 

【謝辞】

本ブログでは多数の写真を掲載しました。写真探しに協力してくださった首藤卓哉さんと、写真の貼り込みを助けてくださった高橋慈海さんに、心から感謝いたします。

 

【注】

(1)参考までにいうと、石川先生の博士論文は『ティリッヒの宗教芸術論』(北海道大学出版会、2007年)で、私の博士論文は『言語ゲームとしての宗教』(勁草書房、1997年)です。「ティリッヒ」というのは、ドイツ生まれでアメリカで活躍した、20世紀を代表する神学者です。日本でも広く知られています。「言語ゲーム」というのは哲学者「ウィトゲンシュタイン」が頻繁につかった言葉で、宗教理解に新たな観点を導入しました。