学部・大学院

「学び」と「実践」を通じた人材育成

比較文化専攻

大正大学大学院比較文化専攻の修士論文の紹介

今回は、中国からの留学生の馮宇さんの修士論文(平成28年度提出)と、松本美咲さんの修士論文(平成29年度提出)を紹介します。

 比較文化専攻では、実に様々なテーマを扱った修士論文が書かれています。
馮さんは「〈模倣〉から〈イノベーション〉にみる日中比較」という論文を、松本さんは「〈雪白姫〉の改変―― 映像化されたメルヘン」という論文を完成させました。

写真の中央が馮さん、右側が松本さん、左側が馮さんを指導された西蔭先生です。


「模倣」から「イノベーション」にみる日中比較

馮 宇

 
 本論文は、日本の技術発展過程を高く評価し、中国が日本と同じ技術発展を成し遂げることができるかという問いを追及している。
 まず、日本と中国の技術発展過程の違いを浮き彫りにするために、日本の自動車産業におけるイノベーションに注目した。日本の「技術発展過程」を「コピー」「模倣」「リバースエンジニアリング」「フォワードエンジニアリング」「技術改革新」への流れと位置づけ、技術後発国の中国の技術発達過程が、現在どの位置にあるか比較検証し、今後の中国の自動車産業の将来像を探った。
 “Make in China”の製品は低価格で重宝される一方、模造品の大量生産ゆえに「パクリ」製品とも揶揄されている、しかしながら、日本もかつては先進諸国の技術を真似する「コピーキャット」と呼ばれた時代があった。日本は「改良して開発」するリバースエンジニアリング、そして高度な製品を独自に開発するフォワードエンジニアリングの段階に進み、他の追従を許さない「技術革新」に到達し、「コピーキャット」という汚名を返上した。この日本の成長を、日本の自動車産業の強みと捉えた。
 日本の自動車産業の発達段階を大きく4期に分けて、イノベーションの道をどのように進んだかを明確にした。
 第1期は「先進諸国からのコピー期」で、欧米諸国の自動車産業をし、日本の自動産業を設立させ、第2期は「戦後の模倣期」と呼び、外国車の模倣から独自の自動車技術開発へつなげた。第3期は「日本の成長期」で、自動車の生産方式の改善と技術の革新を遂げ、第4期は「競争による技術革新期」で、国際競争下で先端技術を開発し、優位性を持った時期としている。
 この日本の歩みに対して中国の発展段階は現在3期目に留まる。第1期は「旧ソ連からのコピー期」で、旧ソ連の自動車技術を習得した時期を指す。第2期は「合弁企業の模倣期」で、国有自動車企業が外資系企業との合弁企業の設立で、製品の品質向上を目指した。第3期は「民族系企業の成長期」で、国有自動車企業が外国の技術に頼り技術開発力が弱い中、一般企業に相当する「民族系」の努力により研究開発力を伸ばした。しかしながら、中国の技術開発は「改良して開発」するリバースエンジニアリングの段階から脱することができないことが最大の弱点と指摘されている。理由は、国有自動車企業が外国の技術への依存体質が強く、中国独自の技術開発まで進めないことにある。その一方、民族系企業の資金不足がプラスになり、「模倣」と「リバースエンジニアリング」を繰り返しながら新技術の開発へ進む可能性が残っている。
 結論としては、現在の中国の自動車産業が、日本のような第4期の「競争による技術革新期」への移行を示唆しているという方向性を導き出している。

「雪白姫」の改変――映像化されたメルヘン

松本美咲

 松本さんの修士論文は、21世紀になって以降、グリム童話集のなかの「雪白姫」をモチーフとした実写映像の映画が立て続けに制作されたことに注目し、①なぜ「雪白姫」が近年映画化されるようになったのか、②その際、どのような改変が行われたのか、という2点の問題意識に基づいて、アダプテーションという観点から、現在入手可能な6編の実写化作品を分析している。第1章では議論の前提となるグリムの採集と編集による「雪白姫」の成立の過程をたどるとともに、その普及に強い影響をもつと考えられるディズニーによる長編アニメーション『白雪姫』について論じている。第2章から近年の実写映像作品の分析が行われ、第2章で継母のキャラクター設定と鏡の効果、第3章で白雪姫の性格描写の出現と人間関係の多様化、第4章で継母と白雪姫の関係性の変容とりんごの表象的機能について論じている。
 いわゆる「おひめさま」ものと分類される童話からのアダプテーションによる映画作品は、これまで「シンデレラ」を起点にするものが大半で、大規模な制作資金を準備した劇場公開作品で「雪白姫」が取り上げられることはほぼなかったにもかかわらず、最近になって「雪白姫」が盛んに改変される背景として、近代的価値観である忍耐を伴う努力がエンターテインメントとしての求心力を失っていることと、CGの発達によって、臨場感のある冒険シーンを描くことが可能になったことを松本さんは論じている。既視感のあるシンデレラ的人物の苦労話ではなく、新たな主人公に、意表を突く冒険と行動を取らせるのに、これまで映像化されることの少なかった「雪白姫」は、映画産業にとって恰好の素材であったといえる。もはや雪白姫は、だまされて毒りんごを口にし、寝たままで王子の救出を待っている「おひめさま」ではない。自ら冒険に乗りだし、継母と対峙し、自分自身の能力を活用して自身の立場を構築する自立した女性がこれらの改変映像作品の主人公である。
 松本さんはこの自在な改変の中心にりんごがあり、どのように変更が加えられても、りんごの役割は変わらないと分析する。物語を要素に分け(ウラジミール・プロップへの言及はないが、それに似た手法を使っている)、詳細にそれぞれの映画の特徴的な描出方法を探りだしたことは評価できる。さらに精神分析的な分析を加え、りんごを要として、継母と雪白姫が両針のルーレットのように回転することによって、いかなる位置をも占めることができると同時に、互いに引きあう磁場からは逃れえない関係性を作り、それが作品における緊張を維持する効果を発揮していることを論じている。
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