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国文学専攻

国文学専攻博士後期課程の草木さんの論文が『解釈』誌に掲載されました

先日発行された、解釈学会の機関誌『解釈』に、本学大学院国文学専攻博士後期課程の草木さんの論文が掲載されました。草木さんには先日インタビューにご協力いただいたところ(こちら)ですが、今後のご研究にもますます弾みがつきますね。

草木美智子「栗木京子短歌における視点の変化に関する考察-傍観者から当事者へ、そして行動者の視点へー」(解釈学会『解釈』第66巻第7・8号、pp45-pp55)です。要旨は以下の通りです。

 栗木京子は、現在までに十冊の歌集を刊行しているが、その長い作歌歴にあってどのような視点のもとに詠出してきたのであろうか。その視点を明らかにすることは、栗木短歌を論ずる上で重要な作業となろう。そこで小考では、栗木の初期作品(大学時代)から現在までの主要な歌集に収載された作品をとりあげて、作者の視点を整理する。次にその全体を通観することで変化の足跡を辿ることにする。
 まず、初期作品と第五歌集『夏のうしろ』から、「傍観者」の視点を確認することができた。特に初期作品の詠歌を調査した結果、当時の栗木が挫折感や無力感を抱えており、同時に、当時の「大学紛争」に積極的に同調できず、「外」から見る視点、つまり「傍観者」の視点が看取できた。次に第五歌集『夏のうしろ』では、初期作品に認められた「傍観者」の視点は依然として継続されてはいるが、変化の兆しも確認できた。それは「外側」の出来事を自己という「内」に引きつけて詠むという手法であり、その変化は、第八歌集『水仙の章』へと連接していく。
 『水仙の章』では、「外側の出来事を自己という「内」に引きつけて詠む視点」が進展して、「傍観者」から「当事者」への視点へと変化したことを確認した。その理由として、栗木自身が体験した「東日本大震災」と「母の介護」を指摘した。
 第十歌集『ランプの精』では、「傍観者」から「当事者」へと「視点」が移行したことが機縁となり、栗木自身の作歌態度にさらなる変化をもたらしたことを確認した。それは「外」から事象の「内」へと自ら入り、行動し、得意とするレトリックにできるだけ依存せず、ストレートに歌に詠むという視点と手法の獲得である。その視点をもって、『ランプの精』を「行動者」の視点と位置づけた。
 以上が小考の結論となるが、更に端的に纏めるならば、栗木の視点は「傍観者」から「当事者」へ、そして「行動者」に至る視点に変化したといえよう。


要旨は以上です。図書館などに配架されましたら、今後の院生の研究のためにもご批正いただければと思います。よろしくお願いします。

大正大学大学院文学研究科国文学専攻

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